吉村知事への批判=ただの悪口
このコロナ禍中の行政の振る舞いという点において、吉村大阪府知事はまさに無双状態と言って良いでしょう。「#吉村寝ろ」というハッシュタグが作られたほどの、大車輪の働きです。
そういう吉村知事の働きを面白く思わない人もたくさんいます。
その一勢力が、言うまでもなくアンチ維新。橋下&松井政権下の大阪府市では、かなりの改革が断行され、既得権益が粉砕されました。当然、利権保有者の立場にあった人たちにとっては維新は恨んでも恨み切れないほど憎い存在でしょう。
もう一つ、アンチ維新ほど強力ではありませんが、ネトウヨレベルの自民党支持者にとっても、吉村知事の振る舞いは「この小僧め、生意気な」ってなもんでしょう。
そういう人達の吉村批判は、「ただの悪口」であって中身がスッカラカンです。
純粋にその政策に文句があるなら、代案を出すべきなのですが、そういうのは一切ありません。
困ったから形式論に逃げた西村コロナ大臣
今回話題になった吉村大阪府知事vs西村コロナ大臣の小さなバトルの構図は、
吉村知事がコロナの出口戦略として「大阪モデル」を提示。
「でもこんなんほんまは国がやることですやん?国がせえへんからとりあえず大阪独自の基準出しますわ」
ということ。
これは政府の無策批判であり、このことをマスコミに質問された西村大臣は(まんま引用します)、
「何か勘違いをされているのではないかと、強い違和感を覚える。各都道府県の裁量で休業要請なり解除なりを行っていただくわけなので、その説明責任を果たすのは当然。都道府県の知事の権限・裁量を増やしてほしいと要請や主張をされながら、『休業要請を解除する要件の基準は国が示してくれないから』というのは大きな矛盾だと思う」
この西村発言、何か間違っているでしょうか?
そう、何も間違っていないのです。
形式的には、ね。
国はこういう必殺技を保持するために、ずっと責任逃れをしているのですよ。ハッキリしたことを言わずノラリクラリ、実質論としては何もやってなくて、そこを突っ込まれると「形式論」で応じる。これめちゃくちゃ卑怯なやり方なのです。
政府がこういうことを言うってことは、ずっと前から知識人が指摘してきたことで、西村大臣はまさに期待通りの言動を取ったわけですよ。
ああ、この調子だとこの件だけで今回のブログは終わりそうですが、続きを書きます。
コロナ対策の主たる部分は本来政府の仕事
そもそも今回のコロナ危機のような非常事態にあっては、政府が何とかしないといけないのです。緊急事態宣言で自粛を「命令」して、その代わりに国民の生活を補償する。国民(事業者)の生活を補償するというのは、要するに安心して生活できるだけのお金を国民にあげるってことであり、これは政府にしかできません。
一部の自治体で住民への現金給付を決めたところもありますが、そんなのは焼け石に水もいいとこで、東京都という超黒字自治体を除くと、そんなことを地方自治体はできないのです。
なぜなら、地方には通貨発行権がないからです。通貨発行権がないということは、今保有している自治体の貯金を取り崩すか、正味の借金をするしかないのですが、どちらにしろ桁が違います。
逆に、管理通貨制のメリットは、基盤となる経済力さえあれば、必要な時にいくらでも金を刷って良いということであり、今がまさにその時なのですが、財務省はそれを許しません。これ、長くなるのでここまで。
国民の生活補償と緊急事態宣言はセット
緊急事態宣言とは、要するに国民の行動を制限する政府の宣言のことですが、この「制限」が緩くて、決して「命令」ではないのです。「命令」したら責任を取らないといけないわけで、責任を取りたくないから命令できないわけですよ。
ここには法律的な問題もあって、橋下徹氏なんかはそこを批判しているんですけどね。
さて、この緊急事態宣言。宣言をする際には多少の勇み足でも良いんです。まごまごしてて後から取り返しのつかないことになるよりは。
問題は出口。
多くの国民は「この状況がいつまで続くんだろう」と不安になっています。安倍総理は、緊急事態宣言延長の根拠を「思ったほどの成果がなかった」と語っていますが、だったらその「思ったほどの成果」ってどんなものなのか、具体的な説明が何もないのです。
簡単に定量化できる問題を定量化しないヤツは無能
ちょっと話を逸らしますが、当ブログには『犬小屋』という別館がありまして、その大きな趣旨は「世の中に蔓延るいい加減な犬のしつけ論を斬る」と言うものです。
そのブログの中の一記事。
こともあろうに牧羊犬を飼いながら「散歩なんてまったりするもの」無責任な断言の後、どうやらろくに走らせることもなく、これでいいのだとかましている自称犬のトレーナーを俎上に乗せています。
書き方が実に曖昧で、根拠となる論理がどこにもありません。
それに対し、私は一般人でも知り得る情報から、犬の運動を可能な限り定量化し、それを根拠として批判しています。
愛犬家というのはこういう手合いが多くて、自分の感覚で書いたポエムを「理論」にしてしまいがちなのです。自分の主観から逃れられないのです。
安倍さんの「思ったほどの成果が出ていない」も同様、どこにも定量化された根拠がなく、ただのポエムです。
この自称トレーナーさん、書き方がアバウトなので読み手であるこちらが補足すると「言ってもいないことを言ったかのように言われるのは不愉快です!」と来る。
これは西村大臣の論法と同じです。
「出口のないトンネル」の恐怖
吉村知事は早いうちから、コロナの感染状況を「PCR検査数」まで含めて毎日ツイッターで発信していました。そして今は、「大阪モデル」という数値に基づいた出口戦略を提示しています。
これどういうことかと言いますと、分かっている数値は公表し、何かを評価する基準も数値化するという、ものすごく当たり前のことをやっているに過ぎないのです。
この吉村知事のやり方が殊更評価されるというのは、逆に他の行政担当者は何をやってるんだ?という話なんですよ。
例えその時、光が見えなくても、出口はどのくらい先にあるかが分かっていれば、人間は長いトンネルでも歩き続けることができます。逆に、本当に出口があるのかどうかも分からない状態では、人間はいとも簡単に心を病んでしまいます。
政府がやっていることは、いたずらに国民を心の病に陥れるようなもの。どうなったら緊急事態宣言を解除するかの基準も示さなければ、緊急事態宣言を続けるにあたって国民にどのような生活補償をするかも名言しません。
他方の吉村知事は、「この速度で歩いていたら〇分後には出口が見えてきます」という目当てを住民に示し、安心させているわけです。ただし、補償については知事と言う立場から何も言えない。お金がないんですから。だから政府に葉っぱをかけざるを得ないんですが、それをやると「なんか勘違いしてない?」とやるんだから、西村大臣はクズというか、見事な官僚の操り人形なんですよ。
おまけ
すぐ謝罪した吉村知事の評価として、(死ぬほど嫌いだけど)坂上忍の言葉が最も適切だと思う。強固な理性で己を制御して、謝罪の形を取って皮肉る。したたかだから頼れる。https://t.co/1ncbQleRzs
— 小ライス (@shorice_hitotsu) May 7, 2020
田崎史郎は、今回西村大臣に対してすぐさま謝罪した吉村知事について「橋下徹より人間ができている」と評価しましたが、これどういう意味で言ってるんですかね。多分深くは考えていないのでしょう。
橋下さんならこういう場合に半分本気で子供っぽく怒り、半分は戦略として、猛烈に反駁する。が、どちらが正しいというわけではない。いわば、橋下は空手、吉村は合気道。 https://t.co/v1n7exxj3C
— 小ライス (@shorice_hitotsu) May 7, 2020
一方の吉村さんは本当にしたたかで、恐ろしいんですよ。心の中では本気で謝っているわけがないんです。相手が殴りかかってきたら、それを脱力でかわして転倒させてしまう。それが合気道の手法なんです。
ただ、この様子を見てもなお「ほれ、西村大臣が正しかった」と本気で思ってる人が結構いるようで、どうしようもありません。
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