守島正議員ら3人が維新に離党届
維新から守島正氏を筆頭に3人の国会議員が離党届を提出した。10日時点でまだ離党届は受理されていない。
この件に関して途中までいろいろ書いていたのだが、維新に非常に詳しい一般人である音喜多駿氏が、現在の維新の内情を含めてYouTubeで解説……というより、熱のこもった感想を吐露しておられるので、そちらをご覧頂いた方が早い。
斉木武志氏、阿部弘樹氏はいずれも比例当選議員とのことだが、一応一般論を述べておくと、比例当選した議員が【離党】した後、いったいどのツラ下げてどこへ行こうと言うのか。皆さんもこのフレーズは散々聞かれているだろうが、「離党するなら議員辞職しろ」だし、そろそろ法律作った方が良いのではないかとすら思う。
この2人の経歴を見れば、阿部氏は自民系であり、斉木氏は思いっきり民主系のようだ。この後、新党結成みたいな話もあるようだが、その新党もウィークリーマンション的なもので、それぞれが古巣に出戻るようなことがあったら、いよいよ「比例当選の悪用」であり、恥知らずとしか言いようがない。
ただし、だ。斉木氏の会見を見てみたが、その論に一理ないわけではない、と言うのが私の感想だ。維新は維新で反省すべき点はなかったか?本当に選挙で主張を変えていないか?確固たる政党のアイデンティティーは持っているか?主眼は離党者ではなく、政党に置くべきだろう。
即席!音喜多駿論
さて、守島さんの話をする前に。
「音喜多駿論」を書こう書こうと思いながら、結局いまだに書いていないのだが(本当は、旧旧党三役についてはある程度書いているのだが投稿はしていない)、少し触れておく。
私が維新(関係者)の中で最も高い評価をしているのが音喜多さんだと言って良いと思う。その理由は、
●視野が広い上に、論説が緻密で明解である
●己に与えられた権能・責任の範囲でやるべきことをやっている
●滅私奉公の精神が強く窺える
という点にある。私の目には、音喜多さんこそが最も維新らしさを体現している政治家(志望の一般人)なのである。もちろん私の主観なので、私の目が曇っていれば、実は音喜多さんがとんでもない〇ソ野郎だったという可能性だってある。その時は皆さんごめんなさい。
なぜこんな話をするかと言えば、守島さんの話をする際に音喜多さんの政治家としてのスキルや持っている理念、発信姿勢がけっこう重要になるからである。
「真っすぐ」でさえあれば許されるわけではない
で、そんな音喜多さんが今回の集団離党劇に憤慨されているわけだが、怒りながらも守島氏については政治家として評価しており、なお慰留を続けていると言う。
私はこれを反対する立場である。
守島さんを批判しながらも擁護し、慰留する人は多い。詳しくは知らないが、私から見た心象でも守島さんは決して「悪い人」ではない。むしろ真っすぐな人なのだろうと思っている。
ただ、その「真っすぐ」さが幼いのである。政治に対して熱いものを持っているのだろうとは思うが、その暑さはハートにとどめておくべきものであって、守島さんの場合は「真っすぐ」が単純な直情性となり、頭にまで熱が回ってしまう人なのだ。
音喜多さんも動画内で触れているが、アンチ藤田の思いを何のフィルターもかけずに発信してしまったのだ。吉村代表が執行部一新を決断し、すわ藤田共同代表へ、という段に、藤田氏自身がポストを投稿した。
守島氏のやらかし
吉村代表の再任が決まりました。
明日、国会議員団の代表選挙が両院議員総会で実施されます。本日、立候補届を提出致しました。吉村代表を支え、国会議員団を牽引する覚悟と思いを心を込めて訴えたいと存じます。
YouTube公開されますので、是非ご覧いただけたら幸いです。
↓…— 藤田文武(日本維新の会 衆議院議員) (@fumi_fuji) August 7, 2025
藤田氏のこのポストを引用する形で守島さんがコメント。以下が2025年8月7日に守島さんが投稿した問題のポストだ。
笑える。
吉村代表が目指した、永田町政治を見直すとか、予備選実施とか参議院選挙の目標数とか全て批判したあげく、参議院選挙の目標数は到達しなくても批判しないから目標数あげろ言いながら、目標数クリアしても選挙で負けたことを認めろとか批判し続けたのに、 吉村さん以外を弾劾した上で吉村さん支えるとか、言うてることが矛盾しすぎてて理解できない。二枚舌すぎて どんびき。
このポストには2つの重大な問題が含まれている。
(1)同一党内の同僚議員、しかも国会議員が使う言葉づかいではない
(2)投稿直後に何の断りもなくツイ消しをした
(1)批判すること自体に何の問題もない。むしろオープンでどんどんやるのが本来の維新らしさだろう。だが、この文章は一般人が投稿するクソリプそのものである。守島さんはいやしくも国民16万人分の代表権を持つ国会議員であり、維新の看板を背負って当選した特別党員である。「笑って」る場合でも「どんびき」している場合でもない。党内の事情に問題があると思うのなら、表でも裏でも良いから課題を投げかけて議論すれば良い。だが一特別党員でしかない以上、自分の思うがままにはならず、最終的には【民主的に】人事が決められ、党員である守島さんは党の決定に従う義務がある。
守島さんは国会議員として、あるいは一党員として、しかるべきやり方で問題を投げかけたのか?それをやってないからこんなポストをしてしまったのではないか?
(2)さらに重大なのはこちらだ。このポストを「一時的に感情的になってしまった」上で投稿してしまったという時点で、私が代表なら許していないが、その罪を10倍にも増幅するのが、「何の断りもなしに削除した」という行為である。音喜多さんが言うように酔っ払っていたのかもしれない。だが、守島さんは今に至るまで酷い酩酊状態が続いているのか?おそらくツイ消しした時点でアルコールは抜けていただろう。つまり、冷静な状態でツイ消しというバカな真似をやっているということであり、これが彼のデフォルトの人間性ということに他ならない。
足立康史氏を振り返ってみよう
好例として今は国民民主党に所属している足立康史議員を挙げる。足立氏といえば維新時代にさんざんお騒がせした問題児であり、私自身も強く称賛もしたし、酷く貶したりもした。
彼の欠点はまさに直情的で発信が不規則というところにある。言って良いこと悪いことの区別がついていないのだ。そして当たり前のようにツイ消しをする。IQは高いがEQが低くて信頼を損ね続けるという典型的な人物だ。
念のために言っておくと、足立氏は、好き嫌いで言えば今なおどちらかと言えば「好き」な方に入る人物である。「小ライスを取り囲んで皆でボコボコにしろ」などと言われても「まあ足立さんだしなw」で済ますことができる。だが、「人間として」と「政治家として」では評価を変える。当たり前の話だ。
私は「誰がやったか」ではなく「何をやったか」で判断するので、あの時に足立さんを裁いた(と言っても私には何の権力もないので私のポリシーの話でしかないが)剣は、同じことをやる人に等しく使う。守島さんがどんな人格の持ち主だろうが、やってはいけないことをやったのだ。党内のLINEグループならともかく、国会議員のアカウントから全世界にあのようなポストが発信され、しかも黙ってツイ消しされてしまうことがどういうことか、維新は今一度考えてみた方が良い。
政治家にとって言葉は命である
これは後に詳しく書くし、今の維新や維新幹部を批判する強い根拠にもなるのだが、公人たる政治家にとって「言論規律」「しかるべき国語能力」は必須の心得だ。「言論規律」とは、相応しいものが見当たらなかったので私がテキトーに作った言葉なのだが、「リテラシー」や「コミュ力」よりも狭い概念で、要するに【どの立場から】【どのタイミングで】【何を】【どのように発信するか】という規律のことであり、為政者が一般人の言論を制限する「言論統制」とは全く違う。
凡そ政治家と言う職業に就く人達を見渡せば、その立場を考えると「言論規律」は非常にいい加減で、維新の政治家はかなりマシな方ではあるのだが、それでもまだまだ甘い。というか、傾向としてどんどん言葉を軽んじているように見える。
「へへ、すいませんね、コイツ酔っちゃってるんでw」
「アメリカの大統領が酔っ払ってることを理由に核のボタンを押しても良いのか」
「いや、でもコイツ大統領じゃないッスからw」
「日本でも尖閣の領海内に侵入した中国船に攻撃命令はできるよな」
「え、コイツ総理大臣になれそうなヤツに見えますかw」
「総理大臣を目指さない、あるいは自分が総理大臣になった時のことを想定しない国会議員など今すぐやめてしまえクソガキめ!」
である。言葉は「情報伝達」「意志表示」「理解」の手段であり、政治家の命だ。その言葉を軽んじながら政治家をやりたいならペンギン村の村長選にでも出ていれば良い。
維新の“言論規律”
件の守島ポストは、一般人である音喜多さんが認知していたのだから、維新幹部の目に入っていないわけがない。ではなぜ何もリアクションを取らなかったのか。リアクションを取らないということは、執行部はあのような発信を許すというメッセージになる。
本当に、返す返すも、何度も何度も、口が梅干しになるほど言っていることだが、「面倒くさいことは見なかったことにする」という最近の維新の空気は、ちょっと外側にいる政治垢にとっては「腐臭」であることを自認した方が良い。
私が、代表・幹事長・総務会長のいずれかの立場なら、即座に反応するだろう。その際は先述のようなことを言う。
異論があるなら堂々と言え、
自分の思い通りにしたいなら周りの人間を動かせ、
そして本意だろうが不本意だろうが多数決で決まった結果には従え、
それが政党組織に所属することだ、
と。
繰り返すが、「言論規律」は、発信に制限をかけて窮屈にするものではない。むしろその逆で、「このルールさえ守れば後は自由」という闊達な議論を促すものである。
守島さん関連のポストを検索すると、離党を惜しむ声も存外に多いことが分かるが、「だからこそ」である。しかるべき言論規律さえ持っておけば、その情熱の燃焼のさせ方も違っただろうし、つまらない失点もしなかっただろう。



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