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オールナイト万博イェイ!(1)~「運営」と「利用者」の立場の違い~

政治・経済

8月13日のいわゆる「オールナイト万博」について、当然触れないわけにいかない。

簡単に概要を説明する。午後9時30分頃に大阪メトロ中央線において送電線のトラブルが発生し、そのまま次の日まで電車がストップしてしまった。その影響で、予定通りの帰宅ができなかった「帰宅難民」が3万8千人、さらにそのうち1万1千人が万博会場で夜を明かした、言うなれば「帰宅不能者」となった。

 

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これは「インシデント」以上の不祥事である

この事案は、期せずして万博会場内で一夜を明かせるチャンスをもらい、各パビリオンの特別な計らいを受けたことで「祭」となった。

が、それは元気で健康な単身客や若者グループ客にとってのこと。小さな子供や高齢者を含む家族連れ客にとっては、(特に心理的負担において)地獄にも近かったかもしれない。いや、それを言うなら帰宅困難になった時点でそうだったはずで、今のところまだ健康上の不具合が出ていない私であっても、何も情報が与えられないまま東ゲートと夢洲駅の間に1時間半も留めさせられたら心身への負担はえげつないものになるはずだ。

主に交通網で聞かれる用語に「インシデント」という言葉があるが、これは狭い意味では「結果として重大事故にはならなかったが、そうなる可能性があったミス」のことである。その定義で言うなら、多数の帰宅困難者と帰宅不能者、そして35人の救急搬送者を出した今回の件は、少なくとも「インシデント」より上の事案である。

特に維新系ガンギマリ万博ガチ勢は〇〇が多いので分かっていないようだが、これは重大事案なのである。

いや、分かってないのはガンギマリ勢だけではない。

何万人もの帰宅困難者と35人の救急搬送者を出したイベントの実質的最高責任者が、こともあろうに「オールナイト万博」を満喫する投稿をリポストし、批判を浴びたのである。この吉村さんの感覚は「ズレている」と言うより、「狂っている」と言うべきだろう。吉村知事のヤバさはもっと根本的なところに及ぶが、それは後述。

 

話の主体をコロコロ変える詭弁

「もし私がそこにいたら」を考えたら、そりゃテンション上がるでしょう。万博に泊まれるチャンスなんてないんだから。しかしそれは、私が一人で、かつまだ体の自由が利く身だからである。その時の私は「一来場者」に過ぎず、私の他にも立場や条件の違う無数の「一来場者」がそこにはいる。

万博で一泊が決まったら、それはそれで楽しむ人がいて当然だし、むしろ若いなら積極的に楽しむべきだ。ライブカメラ前で踊るのも良し、真夜中であっても遊具で遊ぶ子供たちがいても良し、それは一利用者としての【ポジティブな】姿勢である。

だが、ライブカメラの前で踊る若者が帰宅困難者の全てではない。むしろほんの一部だ。その裏には、何の情報もなしに自分たちがどうなるかも分からないまま1時間半屋外軟禁を食らって心身の具合を悪くした人、何とか帰れはしたものの翌日の予定をキャンセルした人、環境の変化に敏感な発達障害気味の子供、特定の椅子や寝具がないとまともに休めない高齢者、子供と高齢者を同時に連れてきてそのケアのために神経をすり減らした人、潔癖症なのに何の敷物もなしに地べたで寝転がらざるを得なかった人などがいたことだろう。キャンセルされた翌日の予定は、大事な仕事だったかもしれないし、関西の別の場所の観光だったかもしれない。

「利用者」という立場の中にも複数違うパターンの主体がある。そして何より「利用者」と「運営責任者」という主体は全く違う。その全く違う主体にとって今回の事案の捉え方が同じであってはいけない。利用者の一部に今回のハプニングを楽しんだ人がいても良いが、運営責任者は地べたに額をこすりつけて謝罪と反省をしなければならない事案だ。

ずるいのは、ある時は運営者目線で語るのに、都合が悪くなると利用者目線にシフトする政治垢の振る舞い方だ。

 

ポジティブって何?

主体の転換と言えば、オールナイト体験者の中にいた「不便を強いられた来場者のレポート」に対する維新系ガチ勢の反応がすごい。先述の通り、各来場者がこの体験をポジティブに捉えるのは単純に良いことだと思う。だが、子連れ客が強いられた不便、感じた不安をレポートした際に「ポジティブではない」と批判する筋合いはない。と、こう書くのは実際にこういう理屈で非難する維新系ガチ勢がいたからだ。

なんと幼稚で、なんと身勝手で、なんと思いやりのないことか。何度も書くが、私だって一人なら楽しめただろうが、世代の違う家族がそこにいれば話は180度変わる。あなた方がポジティブに捉えるのは全くの自由だが、他人が感じた不便や不安を「ポジティブではない」などと批判するのは全くの筋違いだ。少なくともその利用者と全く同じ状況になってみないとその感覚は理解できないだろうし、仮に全く同じ状況で同じ体験をしたとして違う感覚を持っても構わない。

「俺たちがポジティブに発信してるんだからお前もそうしろ」は暴力である。

そして、表現方法はともかくとして、比較的穏健な維新支持者でもこのようなことを言っているのが今の維新がどういう政党になっているかをよく表していると思う。

 

「ありがとうロンダリング」

上で引用したポストのひとつは純然たる一利用者のものと思われ、そこには「オールナイト万博」という期せずして遭遇した幸運と各パビリオンスタッフへの感謝の言葉が綴られている。それは良い。

問題は、こういったポストを維新支持者が利用することだ。

例えば、5月末の花火イベントには私も足を運んだが、その時ですら「ちょっとした恐怖を感じた」と私はXで書いた。夢洲駅では、眠る幼児を抱えながら人に押されないよう、足を踏み外さないよう慎重に階段を降りる父親の姿があり、離ればなれにならないよう必死にくっ付き合う家族の姿があった。私は一人だったが、自由意思で動くのが困難なレベルで、流れのまま押し込まれるようにメトロに乗り込んだ。

この時の警備や交通誘導は適切だったかと言えばとてもそうは思えない。大阪メトロは2分半に1000人ずつ運搬する。言わば、絶対的に規則正しく拍動する血管であり、時間当たりに運べる血液量も決まっている。であれば、東ゲートの手前から、あるいは東ゲート外のトイレ前から、その拍動にシンクロして交通誘導をすればそんな恐怖も感じることはなかっただろう。なんせ万博敷地面積自体は十分にあるのだから。

ところがガンギマリ勢にかかると、「すっごい人混みだったけど交通整理スタッフさんが優秀で何も問題ありませんでしたー。スタッフさんありがとー!」となる。何ともわざとらしい投稿だが、裏を返せばこのようなわざとらしい投稿をしなければならない程度には混乱があったということだろう。私はそこにいたので生で実情を知っているのだが。

私はこういう仕草を「ありがとうロンダリング」と呼んでいる。要するに、自分が応援したい事柄に直接は関係のない第三者を持ち出して綺麗な言葉をぶつけることによって、全体を美しく飾ると言うゲスなやり方だ。

もちろん個々のスタッフさんに文句を言うつもりはない。一人ひとりは「がんばって」はいる。だが彼らは彼らで給料をもらっているプロであり、給料分の仕事をしているだけだ。給料をもらって責任を果たしている職員さんは他にもたくさんいる。本当の責任問題は統括・運営責任者の統制力にある。

 

 

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