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頭の悪い読書のしかた

育児・教育

の続き。

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知識≠頭のよさ

「本をたくさん読んでいる」「人より物知りである」という人がいます。しかしながら、そういう人が「建設的議論ができるか」「問題を適切に分解できるか」「人に分かりやすく説明できるか」と言えば、それはまた別の能力です。

とりあえず、私は以下の方程式を考えました。

実効知能 = 情報量 × 情報処理能力

これでは分かりにくい、と言うのなら

頭の良さ = 知識 × 知識を適切に扱える力

ということでどうでしょうか。あるいは、

料理の美味しさ = 食材 × 調理人の腕

とかでも良いんですが、まあ、何が言いたいかと言うと、ものを知ってるだけでは頭が良いってことにはならないよ、ということです。

以前、ツイキャスで語った覚えがあるのですが、ウン十年前にメーリングリストで議論をしていた頃、めちゃくちゃ本を読んでめちゃくちゃ物知りな人がいたんです。で、議論の中で、私はその人と対立することが多かったんです。何が困るって、その彼が言うのは「ダレダレはナニナニという本の中でこんなことを言っています」の連発だったのですよ。「分かりました。で、貴方は最終的に何を主張したいんですか?」とこちらは繰り返すしかありません。それを何とか聞き出して、反論すると今度は「それはダレダレのナニナニ論ですね」と来る。「え、それは知らないんですが、まあそうなんでしょう。で、反論は?」と返すしかありません。

その彼にとっては、読書量こそが頭の良さであり、アイデンティティーだったのでしょう。そして、「(これだけものを知っている自分を論破する)あなたは、とてつもない量の読書をしているはずだ」と来たのです。しまいには「小ライスさん、あなたの文体は立花隆にそっくりだ。全部読んでるでしょ!」と。

私はいまだに立花隆の著書を一冊たりとも読んだことがありませんし、それどころか、そもそも読書をほとんどしないのです。当時、たまに読むとしたら宇宙論関係か、中島らもか、ジャッキー・チェンの自伝くらいのものでした。

私からすれば、彼こそ「めちゃくちゃ物知りなのに、情報処理能力(=知識を適切に扱える能力)の低さゆえに“知識当たり”を起こしている人」なのです。

 

数字を当てはめてみよう

例えばここに知的生産のためのリソースが合計10単位あったとして、「情報量」と「情報処理能力」に当てはめてみましょう。

本をたくさん読んで情報量が9あるけど、情報処理能力が1しかない人の場合、

9 × 1 = 9  …(A)

となります。

頭の回転はめっちゃ速いけど、知識がほとんどない人の場合はその逆で、

1 × 9 = 9  …(B)

と、総合的な頭の良さという点では同じ値になります。

(A)の人が本を読むのを少し控えて、その分自分の頭で考えるようにし、バランスが7:3になったとすると、

7 × 3 = 21

となり、何と頭の良さは倍以上になりました。もちろん(B)の人も同じ。

3 × 7 = 21

では、同じリソース量ならその効果を最大化できるバランスはと言うと、当然1:1、つまりリソース10なら、

5 × 5 = 25

となります。

これは、知識を得る作業と考える作業を等価にするということ。言い換えれば、何か知識を得た時にその都度自分の頭で考え、咀嚼・消化するということです。ただただ無造作にろくに咀嚼もせず知識を詰め込んでも、肥満や脂肪肝になるだけで動きは鈍くなります。採り入れるべき知識はそれなりに選び、それをしっかり咀嚼・吸収すれば、筋骨隆々の「出力しやすい」脳を作り上げるでしょう。

 

 

 

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