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「悩む」と「考える」の違いと共依存の話。

悩む女性 哲学・心理学

からの続きです。

 

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「悩む」と「考える」はどう違うか

「あー、困った困った、どうしましょ」というのが「悩む」。では「考える」はと言うと、

自分が望むゴールを明確にして、そこまでの道筋を立てること

となります。あなたの身の回りでもまるで趣味のように「悩む」ことばかりやっていて、「考える」ことを放棄している人は結構いるはずです。

さて、そのゴールと道筋なんですが、これは現実的でなくてはいきません。例えば、「留学したい」と「仕事で成功したい」は、少なくとも同時にはほぼ達成が無理な目標です。であれば、どちらか一方を完全に諦めるか、時間的にずらすかしかありません。「留学費用を捻出するために仕事で成功する」のか「仕事で成功するために留学する」のか。

となると、目の前のゴールはいくつかあって当然で、そのための道筋が違ってくることになります。コースAは「いばらの道だが成功すれば得るものも大きい」、コースBは「平坦な道だが得るものは小さい」というように。もちろん、その先には自分の幸福という普遍的なゴールがあるはずですね。

ここで注意したいのは、精神的に弱っている人や理性の欠如しているは、そこにあってはいけないゴールを設定してしまうことがあるということです。私のこれまでの人生経験から観察されたものでは、「酒やドラッグに溺れる」という選択は、健康を損ね、人間関係を崩壊させてしまいます。あるいは、寂しさから「ダメ男と再婚する」というコースを選択した女性は、自分の連れ子を不幸にしたりします。ま、これらの例は、そもそもゴールと道筋を考えていないから破滅に向かってしまうだけのことなんですがね。

 

物事に優先順位をつけよう

ではそのコース設定の方法なんですが、最も肝心なのは、「こうなっていたい」という願望を「明日」「1か月後」「1年後」「10年後」と想像してみて、「10年後の希望のために明日捨てなければいけないもの」を考えることです。簡単に言えば、物事の優先順位をつけていくわけですよ。

財産、家族、恋人、仕事、趣味。趣味を優先するなら財産が減って行く。仕事を優先すると家族との時間が少なくなる。人間なら、Aさんと関係を保つことはBさんとの関係を希薄にするかもしれません。10年後のあるべき自分の姿を想像して、今優先すべきは家族なのか趣味なのか、AさんなのかBさんなのか、「使ってないけど捨てるとなると惜しくなる」意識を捨てさり、断捨離を敢行することがコース設定には必要になります。

で、これをやっていくと、「捨てるべきもの」あるいは「捨ててもいいもの」は多いことが分かります。今自分の状況を作っているあれやこれやの要素のうち、どうしても必要なものは1~2割程度のもので、残りの8割以上は結構どうでも良かったりします。その8割に対する執着を捨てれば「自分のやるべきこと」はシンプルになります。これを100%やっちゃったのがお釈迦様で、それを「悟りを開く」と言います。ほとんどの人はお釈迦様にはなれませんが、近づくことはできます。

お釈迦様があらゆる執着を捨てて、苦悩から解脱し、言わば究極にして永遠の「安楽」を手に入れたとするなら、その逆は、ウサギもアブもハチも追っかけて結局何も手に入らず「ほしい!ほしい!でも手に入らない!」と死ぬまで的外れな執着に苛まれる人生だと言えるでしょう。

 

犬の飼い主に見る「共依存」

さて、執着の話から話を発展させます。

例によって『犬小屋』からセルフ引用の形になりますが、私が『犬小屋』で槍玉にあげるバカ飼い主の基本形は、「犬と共依存の関係を作るのに勤しむ人」です。

犬って大抵の飼い主はペットショップで買ってくるわけです。1万とか2万とかじゃないですよ。30万とか50万とかの大金です(私は買ったことがありませんが)。その買ってきた犬に何をさせるかというと、「遊びに連れて行く」と称して犬が望まないあちこちに連れ回し、散歩の時は何十着もある服のうちの1着を着せ、誕生日には超高級和牛を食べさせます。太って病気にさせ、毎日薬を飲ませます。ろくにしつけもできないので、無駄吠えし、よその犬を攻撃します。歪な環境で育った犬は、いつの間にかその飼い主用にカスタマイズされ、他の人間では手に負えないようになります。そしてバカ飼い主はこう言うのです。

「この子には私がいないと!」

ブリーダーに望まない繁殖をさせられて産まれた犬は、金で買われて、依存体質になり、幸せだか不幸だかよく分からない人生を送らされ、飼い主だけが喜ぶ。

同じ「愛犬家」でも、私の考えは180度違います。

うちの犬は、多くの犬を飼っている人が驚くほど、穏やかで、朗らかで、ケンカも無駄吠えもせず、どんな人や犬とも仲良くでき、人間かと思うほど言葉を理解し、言うことを聞きます。「こんな犬がほしい」としょっちゅう言われますし、実際うちの犬が貰われて行っても幸せな人生(犬生)を送れるだろうという自信もあります。

これ、つまり、【私に依存させないように】育てた結果なのですよ。

子供の頃から犬は飼ってましたが、(私にとっては当たり前の)分別がついてから、つまりおっさんになってから飼い始めた犬については、まず「犬が死ぬまで私が生きているかどうか分からない」という想像が働くのです。人間の場合、先に死ぬのは親ですが、ペットはそうであってはいけません。犬が死ぬまで飼い主は死んではいけないのです。そうは言っても何が起きるか分かりません。ある日突然心筋梗塞や交通事故で死ぬ可能性だってあるわけで、そうなったら犬はどうなるでしょうか。飼い主に依存していたとしたら、生き地獄ですよね。

なので、「いつ私に何が起きても良いように」何にも執着しない、依存しないしつけを施したのです。

「え、そんなことやろうと思ってできるの?どんな本に書いてるの?」

と興味の湧いた飼い主さんもいらっしゃるでしょうが、そんなこと普通の人がやろうと思ってできることではありませんし、それが書いてある本も知りません。私だからできたのです。唯一の方法は、このブログを読むことでしょう。

と、宣伝を済ませたところで……。

 

人間の「共依存」

バカ飼い主の中には、飼い犬が「自分にさえ懐けばそれで可愛い」と思う人が結構いるのです。恥ずかしながら私の身内にもいました。

これは感覚的には分かるんですよ。自分だけ特別扱いされているわけで、さらに自分に依存しているとなると、自分から見れば「尊い」存在になるのです。親から見た赤ちゃんだって、自分に依存している存在だから愛おしくなるわけでしてね。

が、犬と赤ちゃんが違うのは、赤ちゃんは「結果として依存しているだけであり、かついつかは自立する」のに対し、犬は「わざわざ金で買ってきて依存させ、それを死ぬまで続ける」という点です。

 

人間であっても歪な共依存と言うのはいろいろありまして、例えば古い話ですが、かつて『ずっとあなたが好きだった』という大ヒットドラマがありまして、その登場人物である母子が典型的共依存でした。佐野史郎が演じる子は、子と言ってもすでにおじさんで極度のマザコン、野際陽子演じる母親は過保護・過干渉の毒親。互いに強烈に依存し合い、特殊な環境で育った子は何かあるとすぐ抑制が効かないレベルで感情が高ぶり、それを母親がなだめるというのがパターンでした。

画像はTBSチャンネルより。

大ヒットドラマと言いながら、私はたまーにチラ見する程度だったので、結局どういう話でどんな最後だったかも知らないんですけどね。まあでもこの母子は困ることになりますよね。だって母親は先に死ぬことになるんですから、この子はその先どう生きていけば良いのかとなる。

「共依存夫婦」に生まれる「アダルトチルドレン」

もっと生々しく、かつ多くの人が目撃したことのある例と言えば、「共依存夫婦」ですね。例えば、分かりやすい架空の例を挙げるなら、夫は無職のギャンブルとアルコール依存症、妻は必死に働いてギャンブルのタネ銭と酒代を夫に貢ぐ。傍から見りゃ「別れりゃ良い!」の一言なんですが、夫は妻に依存し、妻は自分に依存する夫に依存するという完璧な共依存関係が出来ているわけです。バリエーションとしては、「金」が言葉や腕力による暴力であることもあります。女心はよく分からないもので、それでも「私がイライラのはけ口になってあげないと」とでも思うんですかね。最悪なのは、この共依存夫婦に子供がいるケースです。この例のまんまという訳ではありませんが、私も親戚の子供をこういった共依存夫婦から救おうとしたこともありました。

そしてこういう環境で生まれ育った子供は、高確率でいわゆる「アダルトチルドレン」になります。かく言う私もその一人です。

 

えーっと、この後「マイルドな共依存志向の罠」「アダルトチルドレンの治療法」「自分の価値はどうやって決める」なんて話をしたいのですが、本当に終わりがありませんね。どうも長期シリーズものになりそうです。

ということで、今回はここまで。

 

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