「犬が落ち着かない」ことの原因は
先日散歩中に、大型犬のしつけに困っている人から「犬が落ち着かない」と相談を受けたのですが(この相談自体はいつものことですが)、「この散歩以外に運動は?」と言うと、していないとのこと。私の回答は決まっていて「河原でもドッグランでもいいから連れて行って走らせてあげてください」です。
私が大型犬を、自分でも飼わないし人にも決して勧めないのは、とにかく運動量を確保することが難しいからです。かつて書いた「飼ってはいけない犬種」でもそこを重点に置いています。
で、改めて犬にとっての運動について書こうと思って、過去ログを眺めていたら、その時引用したよそ様のブログを再度拝見することに。そのブログにはちょうど(というか、日付を更新しただけか知りませんが)犬の散歩のことが書かれていました。その内容がいろいろと衝撃だったので、急遽予定を変更。犬の運動とはどうあるべきかについて、このブログにある程度沿った形でゆっくり書いていきます。
膨大なので、とりあえずいくつかに分けて投稿します。
犬に必要な運動って?
『犬と笑えば』
https://mattari-dog.com/walkingfordogs/
まずこのブログの散歩と運動に関する記述の論旨をざっと拾って疑義を呈していきます。
「犬の散歩は運動ではない」
これはどういう意味なのかちょっと分かりかねます。書き方が曖昧で何を言いたいかがいまいちハッキリしないのですよね。
「犬の散歩は運動ではないから、散歩とは別にしっかり運動させるべきだ」とも取れますが、後の記述を読んでいたら決してそうではないようです。むしろ、「犬がどんどん歩かなくなること」を良いこととして紹介していらっしゃる様子。
一方で、「運動は大事」とも書いていますが、じゃあその運動とは?散歩が運動ではないのなら、どうやって運動をさせているのでしょうか。
「強い興奮は、それが嬉しいものであってもストレスになる」
全く共感はできませんが、書いてあることは理解できます。後ほどゆっくり書きましょう。
「犬のストレス解消のためにこういった「運動」をさせるよう教えるトレーナーもいますが、かえって逆効果になるのです。」
これも同様。書いてあることは理解できますが、共感はできないという人は私だけではないでしょう。
「犬に不必要な「運動」はさせない」
「犬に必要な運動」はどのようにして決まるのでしょうか。それがないんですよ、このブログには。
犬の必要運動量
当然ながらここで言う犬の運動とは、「犬が健康で長生きするための手段」としての運動です。健康理論っちゅーもんはプロの学者や医者でも科学の範疇でいろんなこと言う上に、そこに民間療法的な言説まで混じって一体何を信じて良いやら分からなくなるものです。
なので、明確な数値データがあるものについてはまずそれを優先して判断材料とし、自分が健康論を語る場合もなるべく定量的に表現することを心掛ける必要があります。
さて、以前当ブログで犬の運動量に触れた際も、「なるべく定量化」を心掛けた上で、「例えば牧羊犬なら本来毎日30km程度の運動が必要であってもおかしくない」と書きました。
その時もとりあえずの根拠は書きましたが、もう少し詳しく書きましょう。
なぜ犬は「1日30km」?
江戸時代の日本人の交通手段と言えば「自分の足」でした。馬は限られた人しか乗れません。その自分の足でどのくらいの距離を移動できたかというと、大体1日30~40kmでした。日の出から日没まで歩き続けたらもうちょっと距離は伸びるはずなので、このくらいの距離が「毎日歩ける限界」だったと考えられます。
その日本人は今、医者から「1日1万歩歩け」と言われます。距離にして7~8km前後と言ったところでしょうか。つまりこれが、「健康を維持するための運動量」とされているわけですね。
そして、犬。
牧羊犬の場合、1日の移動距離は100km前後。これも限界ではないでしょうから、150kmを限界と設定します。Wikipediaでオオカミのページを見てみたら、「獲物を追いかけて時速30kmを7時間維持できる」とありますから、まあ妥当な数値だと思います。後は単純な比の計算。
40:8=150:x
x=30
と、数値が特定できます。
もちろん、だから30km歩かせる(走らせる)のが最善なのであると主張するものではありません。ただ感覚で主張するよりずっと説得力があるだろって話です。これが「定量的に語れるものは定量的に」という論理展開の手法なのですよ。
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