体調を心配したらセクハラで訴えられた
管理職の同僚が、セクハラで訴えられました。
『体調悪そうだね、大丈夫?ちょっと痩せた?』
この発言がダメだったそうな•••。
関係性とか、シチュエーションとか、言い方とか、いろいろな要素があると思いますけど、皆さんはどう思われますか?
— よしお🦖@料理好き雰囲気投資家 (@Yoshio3_invest) October 4, 2022
体調を気遣ったら訴えられた、というツイート。
〇〇ハラスメントの類は、関係性やシチュエーションに依存する、その要件を普遍化しにくい、法的にはかなりイレギュラーな案件です。「体調悪そうだね、ちょっと痩せた?」というのもニヤニヤと胸元を見ながら言われりゃ、そりゃセクハラでしょう。難しいのは、いちいち動画とか撮ってなければニヤニヤしていたか、どこを見ていたかなんて証明できないし、仮に防犯カメラに映っていたとしても、ニヤニヤしていたかどうかと客観的に判断することも難しいでしょう。さらに、本気で心配していても、相手が不快に思えばやはり結果としてハラスメントになっちゃうところに「ハラスメント問題」の難しさがあります。
SNS上での私の事例
これは、スペースにおいて、セックス・ジェンダー論についてある女性と議論を交わした時の(議論になりませんでしたが)顛末なのですが、一部を切り取って公表され、小ライスはセクハラ野郎という扱いを受けた事案です。内容が内容なので、ツイッターにも一度しかリンクを貼ったことがないのですが、これ結構面白く、読みごたえもあると思います。ここで偶然知ったあなたは是非。
こちらに至っては、セックス・ジェンダー・フェミニズム、一切関係なしで、哲学に関するある提案をしたら「マンスプレーニング」(男性がマウンティング目的で女性に上から目線の教示をすること)だと非難された事案です。
不妊治療女性を泣かす鬼畜・小ライス
さらに、結構前にあったことだけど、まだブログで書いたことがない事例もあるのでここで紹介します。
コロナワクチンの是非についての議論の場でした。
「ワクチンは接種すべきだ」「接種すべきでない」という立場の人がそれぞれ根拠を出しながら議論をしていたのですが、途中で入ってきた看護師をしているという女性(以下、C美さん)が「私は打ちません」とまず最初に宣言。
この女性、ど~もフワフワして主張が掴みづらいのですが、話を聞いてると「これ、ワクチン推進してるよね」となります。他のスペース参加者さん達も、「えっと……C美さんはなぜワクチンを打たないのですか?」と何度も質問しているのですが、それに直接答えることはありません。それでも「ワクチンはこんなに効く」「ワクチンは素晴らしい」という勢いで、どう考えても推進派の見解と思われる主張を続け、皆が少しずつC美さんにイラついてきているのが分かったので、これはマズいなと、私がスピーカーに参加しました。
俺「C美さんの話をまとめると、カクカクシカジカで、ワクチンは皆打った方が良い、と言うことですね?」
C「はい」
俺「そこはよく分かりました。で、皆さんがさっきから疑問を呈しているのは、なぜC美さんご本人はワクチンを打っていないのか、ということなんですが」
C「……わたし、今不妊治療中なんです」
俺「ほう。ということは、ワクチンを接種すると不妊治療に何かしらの不具合が発生する可能性があるということですか?」
C「……………」
俺「C美さん?」
C「なんでそんなプライベートなことまで話さなきゃいけないんですか!」(泣き出す)
ここでさっきまでやや批判的だったメンバーまで「泣かないで」「大丈夫だから」とC美さんを励まし始める。
C美さんを助けようと入った私でしたが、まんまと「不妊治療中のか弱い女性を精神的に追い詰める小ライス」という画が出来上がりました。最初から聞いていた人なら事情は全部分かっていますが、1分前に入室したメンバーにはそう映っても仕方ありませんね。
「気遣い」が「加害行為」になる不思議
さて、件のツイートに話を戻しましょう。繰り返しになりますが、こういうのは、言った方の意識と態度、そして言われた方の意識と見方という定量化できないアバウトな要素が強く働くため、少なくともテキスト情報からは何とも言えないんですよね。
例えば。
以前犬の散歩をしている時、知り合って間もない女性飼い主さん(おばちゃんというにはほど遠い程度には若い)が、私の犬を避けるために転んで、尻もちをついてしまったんですよ。私は謝りながら手を引いて立たせはしたものの、お尻の砂を手で払うことはありません。それから数年経ち、あちこち一緒にお出かけするようなお友達になった今なら、同じことがあっても何の躊躇もなくお尻の砂を手で払うでしょう。
…という私の事例においても、いろんな人がいると思います。
「自分の犬のせいで転んでズボンを汚したのなら、払ってやるべきだ」という人もいるかもしれませんし、「親しくなったからと言って女性の尻に触れるようなことはセクハラだ」という人もいるでしょう。これはもう当事者の関係性でしか決めることができませんし、どちらか一方がズレていればそこで「ハラスメント」が発生してしまうわけですよ。
心配しているという体でヤラシ~目で体を舐めまわすように見ていたかもしれないし、本当に善意で心配していたのかもしれません。
「セクハラ」と言う言葉が出た時点で男の負け
「セクハラ」事案はほとんど男性加害者&女性被害者という構図です。そして「セクハラ」という言葉が発せられた時点で、女性は圧倒的優位に立てます。もちろん、それ以前に男性による女性への性的加害という現実があってのことなので、総合的に見て「どっちが悪い」なんて軽々しく言えることではありません。
一つ言えるのは、「自分を被害者にすること」はクセになるということです。先述のSNS上での私の事例で示した例は、自分の思考が破綻した際にその苛立ちを相手の男性が原因であることにしてしまったというもの。彼女らはいずれ、田〇陽子のように「戦争がなくならないのは男がパンツ洗わないからだ」と言い出しかねません。
そして、例え相手がメンヘラであっても、悪意があったとしても、判断力が欠如していたとしても、「セクハラ」と言われればほぼ100%男性が悪いことになるのですから、男性側としては「絶対に女性からセクハラだと言われない」という確信か、「言われてもかまわない」という覚悟のどちらかが必要になります。
男性の女性忌避
そうなると男性側が学習するのは「女性忌避」です。アメリカのある議員は、女性と2人きりになる取材は断っていると言います。これはこれで差別と言えるかもしれませんが、「セクハラ野郎」という汚名をかぶるよりは、この程度の差別を批判されても良いということでしょう。
この議員さんのことはともかくとして、男尊女卑ならぬ女性忌避という考え方をする人は昔から男性の一定割合で存在します。「女性とは議論しない」と。そしてこのような「セクハラ」事案が多発すると、その女性忌避は加速することになります。さて、このことについて当の女性はどう思うでしょうか。
私がジェンダー論を語る際、常に主眼に置いているのがこのことで、「フェミニズム」や「男女平等論」と言われるものが、逆に男女間の分断を生むことになるのではないかということです。
この女性忌避という考え方はある意味、最も自分勝手で、そして最も賢明でもあります。実は女性を差別しながらも、差別だと言う分かりやすい事案を作り出さないのですから。
企業の役員も一定割合は女性を入れろ?はいはい、じゃあ女性に役員になってもらいましょう。あ、名前書くだけで良いですから。報酬払いますから。余計なことは何もしないでくださいね♪
こうやって女性差別がボカされ、ステルス化していくことに怖さを感じませんかね?
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