宇崎ちゃん献血ポスターについて。
「エロくたっていいじゃないか!」という考え方は、原理主義的な表現の自由の立場からすると、アリです。ただしこれは言わば「イデア」、つまりあり得ない理想なんですよ。
例えば、人を殺すことを芸術だと思っている人の“表現の自由”は認めるべきでしょうか。あるいは、地上波のゴールデンタイムに裏ビデオを放送する自由は認めるべきでしょうか。現実的にそんなものを認める訳にはいかないのです。
「人を殺すことを芸術だと思っている人の“表現の自由”」なんてあって良い訳ないだろ。お前は何を言ってるんだ!
などと思った人は、自分の知性を疑ってください。「自分にとっての“当たり前”については理屈は要らない」という論法は思考停止であり、他人に自分の価値観を押し付けていることになるんですよ。物事を突き詰めて考えるには、極論からその中間を考察するのが基本です。
なぜ今、津波の映像を放送する際に「今から津波の映像が流れます」と警告表示されるのでしょうか。それは、その表現によって傷つく人がいるからですよ。性質としては、人を殺すことと同じで、度合いが異なるだけです。こういった配慮を「要らない」とする人はさすがに少数派でしょう。
原理主義的な表現の自由論者は、そこまでの覚悟ができているのか?って言うと、よほどエキセントリックな人でない限り、そうではないと思いますよ。ちょっと前にラサール石井氏の寝言を批判しましたが、それはそういう覚悟もなく軽薄に「表現の自由」を語ったからです。究極的な表現の自由なんてないし、あってもいけないのです。
件の献血ポスターについては「このくらいなんだ、表現の自由を奪うのか」と言いながら、その口であいちトリエンナーレの「表現の不自由展」を「けしからん!」と批判していたりするのです。見事なダブルスタンダードです。
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