ユスリカ問題を振り返る
さて、今さらながらだが、万博のユスリカ問題を振り返る。着目して頂きたいのは、万博の在り方よりも「言論」である。「対立構造は問題解決に向かうどころか、むしろ遠ざけてしまう」といういつもの持論を、ユスリカ問題を通して見てみる。
「万博は虫だらけ」と言われたのは万博開幕直後からだ。その後、4月下旬に初めて万博を訪れた際、私もその光景をこの目で見た。たしかに、そこらへんの公園や川原で見る蚊柱とは違うレベルの数だった。
しかし、「万博はどこに行っても虫だらけ」は嘘である。大量の虫は大屋根リングの芝生の上のみ。そしてその時点では、ユスリカが直接体に接触するようなレベルではなかった。
で、そのレベルの虫を許容できるかどうかだが、少なくとも私の場合は「大屋根リングからの夕焼けは見たいが、あの大量のユスリカ越しか~」という障害にはなった。
親・万博派の的外れなアンチへの「打ち返し」
さて、「万博は虫だらけ」という批判に対して、親・万博派は2通りのリアクションがあった。それは、
A.「虫なんていない」
B.「虫がいたって良いではないか」
である。
「虫なんていない」という意見のタチの悪いところは、決してウソではないという点にある。私だって、万博に半日いて、ユスリカを1匹も(あるいはほとんど)見ないということもある。それは個人の体験した事実だ。問題は、「万博は虫だらけ」に対するカウンターとして言ってしまうところにある。
同じ「虫なんてい(見)なかった」でも、文脈次第でその意味や意図が変わってくる。「『虫がいなかった』と言うのは、『虫がいた』と言う報告が嘘だったと言いたいのか。そして運営は何も対処しなくて良いということか」と問えば、おそらく「誰もそんなことは言ってない」と言うだろう。では何のためにそんなことを言ったのかと問えば、「単に事実を言っただけ」と答えるだろう。
であるなら、「虫だらけ!」「虫なんていなかった!」「いや、虫いっぱいいた!」「でも俺は虫なんて見ていない!」これを延々繰り返すだけになる。
万博はartを楽しむためのイベント
そして「虫がいたって良いではないか」論。その通りだ。そこに自然があるのなら虫だっていて当然。問題は【度合い】である。
そもそも万博はartを楽しむための催し物であって、nature beautyを楽しむために行くものではない。なぜわざわざ英語で書くかと言えば、日本語は「芸術」と「美」をあまり区別しないからだ。
「art」の本来の意味は「人の技術によってできた価値のある何か」というニュアンスを強く持つ。工芸品にしろ絵にしろ建築にしろ、である。漢字1文字で言えばそれこそ「芸」になる。「芸術」「園芸」「話芸」「芸能」全ての人の手が加えられたもの、あるいは人の持つ技術そのものを指す。
大屋根リングや各タイプAパビリオン、さらにはフランス館のバッグや衣装、LED立体ディスプレイ、あるいはイタリア館のダヴィンチのメモ、ミケランジェロの彫刻、これらが尊いのは「芸術」だからであって「自然美」(nature beauty)ではないのである。
「虫がいたって良い」と言うのは「この程度なら許してやる」であって、多くの人はユスリカから「自然美」を感じてはいない。むしろあのユスリカの数は、夢洲という埋立地および万博という上物によって環境を破壊し生態系を狂わされた結果に生じたものであって、むしろ「不自然の象徴」である。
例えばUSJにはハリー・ポッターのホグワーツ城が再現されており、その敷地内には多くの本物の植物が植えられているが、見事に虫は1匹たりともいない。それはそれで、考えてみると異様なことなのだが、利用客はそこに何ら違和感を感じない。
おそらく相当高頻度の手入れと、相当量の虫の忌避剤なんかが使われていると思うが、USJの役割は幻想世界を見せることにあって、虫はいない方が良いのである。
万博も、USJほど徹底する必要はないが、「芸術」を邪魔するレベルでの虫の存在を許してはいけないだろう。
「虫がいたって良いではないか」を通すのであれば、吉村知事がアース製薬とともに対処することを表明した際には「虫を殺すな!」と言わなければならなくなる。極論は破綻する。
対立構造から解決法は生まれない
何が言いたいかと言えば、SNSはすぐに対立構造を作って極端な意見同士をぶつけたがるということだ。
その点で言えば、万博ガチ勢の一人である平原こうや氏(@HIRAHARAKOUYA)の発信は見事だ。さりげなく「ユスリカの生態」についてポストし、少なくとも有害なものではないことを教える。その際に「刺しもせえへん虫にガタガタ騒ぐなボケェ!」みたいな言い方は決してしない。大きな力ではないだろうが、「プラスにはなっても決してマイナスにはならない発信」であり、多くの人が見習うべき姿勢だ。
大事なことは、親・万博派であるなら、運営が速やかに妥当な判断をできるような客観的情報を発信することである。
「万博はどこに行っても虫だらけ」はそもそも大嘘だし、同様に「万博に虫などいない」(と取れるような言い方)も嘘である。
また、本当に会場中虫だらけなのであれば、「虫がいたって良い」とは言ってられない。
判断を間違えた運営
だが、運営は判断を間違えた。
4月の時点であれだけのユスリカがいたことは当然運営も把握していたはずで、普通ならそこからどんどんユスリカは増える。それを想像しなければならなかった。開幕前に予測はできずとも、4月末ならその後を予測できたはずだ。
だが、運営が動いたのは、すでにメディアで報じられるレベルまでユスリカが超大量発生してからだ。大屋根リングに上がれば芝生もクソも関係なく、歩いているだけで顔にバチバチ当たるレベル。警備員が帽子でユスリカを振り払う光景がテレビで何度も再生された。大屋根リングの柱にもびっしりとユスリカ。コンビニに入る時もユスリカを踏み、フランス館の美しいモニュメントもカビが生えたようになってしまった。
アンチはこのタイミングでこそ「万博はどこに行っても虫だらけ」と言えばよかったのに、早めに嘘をついてしまったので説得力がなくなってしまった。その代わりアンチは、推進派の「虫がいたって良いではないか」論を逆手に取り、「虫を殺すのか」「どこがいのち輝くや!」なんてことを言い始めた。かくして、対立構造の極論は常に派手な空中戦を楽しみカオスをもたらすのである。
なぜ1か月前に対処しなかった?
さて、吉村知事が動き始めたのが5月下旬。何度も言うが、ユスリカの大量発生は開幕間もない頃から確認されていた。
「吉村さんステキー!すばやい対応ありがとうございます~!」
「すばやい」どころか動くのが1か月遅い。テレビで取り上げられるレベルになってからしか対応できなければ、運営責任者として完全な失格である。
何がアホらしいって、1か月前に対処しておけば、使う人・時間・金・殺虫剤は10分の1で済んだであろうことだ。しかも、テレビで万博のマイナスイメージが発信されることもなく、だ。
「吉村さんはよくやってくれている」と支持者は言うが、何のことはない、早めにやっていれば何の損害もなく非常に小さい労働量で済んだものを、先延ばしにして自分で仕事を増やしているだけである。
「やれることは全てやる」と頼もしい吉村さんだが、そこは「やれることは全てやるが、何をやれば良いのか分からないので、誰か教えてください」と言うべきだろう。
吉村さんなのか協会なのか分からないが、万博に関しては一事が万事こんな感じで、メタンガス騒動、ユスリカ、イタリア館チケット転売問題、サーバー脆弱問題、レジオネラ菌問題、何もかも問題が顕在化してから、あるいはオールドメディアに取り上げられるレベルになってからでないと対応していないことがよく分かる。どれも全て事前に予見できた問題にも関わらず、だ。
そして今、最もヤバい事案である「混雑問題」が非常にきわどいところにある。これに関しては、吉村知事が横山市長の提言(来場者数見込を減らしてでも快適性を優先すべき)を蹴ったという経緯もあって、注目に値する。
あ、吉村さんを貶しまくってるように見えてるでしょうが、この後は褒めるところもあるのでファンの皆さんは要チェックですよ!
コメント