橋下徹氏と自民党総裁選に出馬を表明している河野太郎氏がテレビで「政治家のブロック」問題について討論。
このことについては私も昔から持論を述べておりました。簡単に言えば、この討論で橋下さんが言ってることと全く同じです。
国会議員と言えば国民の代表です。さらに大臣ともなれば行政サービスの提供者という重要な性質を持ちます。そういう立場の人たちがSNSを利用する場合、その相手は1億2千万人の全国民でなければいけません。
私の見解では、このことは地方の議員や首長も同様に、その相手は全国民であるべきです。例えばA市の市議会議員だからB市の市民はブロックして良いだろうということにはなりません。ある地域の政治は隣の地域の政治にも、そして上部組織(都道府県や国)にも影響を及ぼし、税金という形で全ての地方自治体は繋がっていますから。仮にそれがOKだとしてもいちいち住所を確認してからブロックするなんてことは現実的ではありませんからね。
公人のブロックは違憲?
アメリカのトランプ元大統領は、一般ユーザーをブロックしたことについて訴訟を起こされ、違憲判決を下されました。その根拠は「言論の自由の侵害」だそうで。
と言っても何かモヤモヤしますね。別に言いたいことがあるなら勝手に言えば良いでしょ?「私は聞かない」ってだけじゃん……って言われると、果たしてそれって本当に「言論の自由」の侵害になるのかどうか。解釈としては、大統領という公人相手の言論の自由ってことなんでしょう。
しかし、そんなアクロバティックな解釈をしなくても、「言論の自由」の文脈上に出てくる「知る権利」を持ち出せば話は簡単で、実際に討論中に橋下さんはこれを根拠にしています。
すなわち、言論の自由の前提として公人が発信する情報について国民には「知る権利」があるというものです。それが先述した、「公人の発言は万民に対して行われなければいけない」ということに繋がります。
足立康史氏の独自の理論
この橋下徹氏の見解を受けて、面白いことを主張するのが我らが足立康史大先生。彼によると、
デマや誹謗中傷への異議申し立てですからリプを付けてきた本人に分かることが大事ミュートでは当人に分からないからね
とのこと。
足立さんは法律に詳しいのでまさかとは思いますが、「異議申し立て」の意味はご存じなんでしょうかね。「異議申し立て」はそれをした後のリアクションがあってこそ成立するものであって、相手が謝罪訂正するにせよ、異議申し立てに対してさらに異議申し立てをするにせよ、ブロックと言う形で通信手段を閉ざされてしまったらできなくなるわけです。
つまり、言ってることとやってることがもう支離滅裂ということです。
簡単に言い換えると、そもそも一般ユーザーがブロック機能を使う時って、そのほとんどが「ムカついたから」なんですよ。足立氏と同じで「ミュートだと何も伝わらないが、お前のことが嫌いだという感情だけは伝えたい」という消極的攻撃、それがブロックです。
足立氏の「ブロック・オペレーション」(カッコイイ!)は実にアクロバティックなようで、私がすでにブロックされている状態で、
小ライス:
完全に家に依存してるくせに、母親が部屋まで運んでくれる料理にはケチをつける引きこもり。小遣いくれなくなったら「吐きそう」。玄関前には“お友達”が居座って「ここの親はひどいぞー!」と大声で喚き散らす。
というツイートしたところ、どうやって嗅ぎつけたのかご本人がこれを発見し、
足立議員:
私への批判は、いくらでも引き受けますが、「引きこもり」云々は、撤回をお願いいたします。 そうした喩えは、現代社会では許容されないと、私は思います。
と引用リプをつけてこられました。そこで私は、
小ライス:
国会議員サマの言うこととあれば撤回もしますが、具体的に撤回ってどうやるんでしたっけ?足立先生のように【黙ってツイ消し】すれば良いんでしょうか? あと、片山氏への「呆けてるんでしょうか」発言がOKで私のポストがNGという基準をご教示頂ければ幸いです。
と返したところ、また即ブロックされてしまいました。ほんと、年頃の男の子って難しいですね。
河野太郎というお笑いデジタル大臣
かつて河野太郎デジタル大臣は、自身の動画配信において、「ブロックされると大臣の発信が見れません」という指摘に対し、「お前ツイッターの仕組み分かってねえだろ。こっちがブロックしても公開アカウントなら自由に見れる」という仰天のコメントを返しています。
数年前に、竹本直一という当時のIT担当大臣が「日本の印章制度・文化を守る議員連盟」会長だったという本当にあった笑い話がありますが、似たようなものですね。
河野さんはこの勘違い発言についてその後セルフフォローしたのかどうかは知りませんが、彼の不見識と傲慢さをよく表している一例だと思います。
河野大臣にとってツイッターは「楽しむもの」?
ツイッターは暇つぶしで始めた。楽しむもの
河野大臣からはこういった言葉が発せられました。
いや、大臣にそれやってもらっちゃ困るでしょ。もちろん、河野太郎という個人にそういう楽しみ方をする権利はあります。ところが大臣という肩書をつけたままこれをやるのは、道義上大きな問題です。やるなら「河野太郎(個人)」みたいなアカウント、もしくは身分を隠した完全な裏アカでも作って楽しめば良いだけです。
実際、現行の河野大臣のアカウントには、政治・行政にまつわる話も高頻度で投稿されています。であるなら、それは「国民の知る権利」の対象と言わざるを得ませんね。
誹謗中傷を許してはいけない
実にもっともらしいご意見です。では「誹謗中傷」を定義してもらえますか?何をもって「誹謗中傷」としましょうか?
ないんですよ、そんなラインなど。地上波放送においては、「放送コード」という自主規制がありますが、これは単なる「NGワード」であって、こんなのあろうがなかろうが誹謗中傷などいくらでもできます。
「私のツイートにぶら下がってる誹謗中傷をフォロワーさんに見せるわけにいかない」というようなことも言っていましたが、あなたのツイートを見なくてもあなたに関する誹謗中傷はいくらでもあって、それを制御できますか?いや、その前に「誹謗中傷」と「批判」をどう区別するんですか?
皆のためみたいなカッコイイこと言ってるけど、要するに「ムカついたから」でしょ?
だってツイッターにはブロックって機能があるんだもん!
最初のうち、河野大臣はこれも言ってましたね。
「だってツイッターについてる機能なんだから使って何が悪い」
ということは河野大臣は車を運転すれば時速180km出すし、拳銃持たせたら人を撃つってことでしょうか?
って聞いたら「そんなことは法律が許さない」って答えるでしょうね、きっと。
そうなんです。「ツイッターにはブロックする機能があって、そのブロックを使ってはいけないという法律もない」という事実が浅ーいエクスキューズになっているのです。ここにアメリカと同様の判決が出れば少なくとも法的には問題となりますが、法律を持ち出す前に「道理として」公人が一般人をブロックするようなことをしちゃいかんだろ、というのが橋下氏や私の見解です。
ブロックされるきっかけ
およそ「誹謗中傷は許さない」ということをを根拠にブロックを肯定する人のブロック基準って、まーアバウトで自分勝手なんですよ。例えば、都民ファーストの会のおじま航平都議は、新型コロナ対策においてコロナに死亡者数を根拠に危険性を訴えていたので、「交通事故までコロナ死にカウントされる今の統計に意味はない」という旨をリプしただけでブロックされました。どうも、彼にとってはこの意見が「誹謗中傷」になったらしいです。
立憲民主党の都議・塩村あやか氏の場合だと、『「今日はどこどこのペットショップに~」「今日はどこどこの保護施設に~」という活動報告は良いけど、そこから“提案”するのが議員の仕事であって、「行ってきました」だけだと仕事をしてるフリにしかならない」』ってなことを書いたらブロックされました。なんで反論できないんでしょうかね?
他の政治家も同じようなものです。要するに「ムカついた」からであって、正義とか倫理ってどうでもいいんですよ。
というわけで次回は、「私が誰もブロックしない理由」を挟んだ後、「公人の発信リテラシー」についてもう少し突っ込んだ見解を述べたいと思います。
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