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【維新の文通費論争】橋下徹は創造神なのか破壊神なのか。

政治・経済

月の最終日に投開票が行われたにも関わらず、その月の国会議員の文書交通費が満額の100万円支給されたという話を維新の議員が発信。そこからのアレコレです。


今、橋下徹が維新に向けている熱量、多分ちょうど良いと思う。計算か天然かはともかく、もう間もなく、今の維新は「橋下も松井もいない維新」になるんだから。

橋下徹は、権力がどれほど人間を腐らせるかを身をもって知る政治家経験者。維新の理念=橋下イズムであり、彼が厳格すぎるというより、彼の理念の下に人が集まってきたのだから、彼には言う資格があるのよな。嫌なら去れば良いだけ。

橋下徹は維新を創り上げた創造神だが、別に盲従する必要などない。言うことがおかしいと思えば疑問をぶつけ、反論し、議論を交わせば良い。ガチでもプロレスでもケンカすれば良い。ただ、その神の存在そのものを否定すべきではない。

言うまでもないことだが、橋下徹が苦言を呈するのは維新だけではない。そもそも味方を作る気のない彼は、けしからんと思ったことには360度どこにでもその砲台を向ける。

それが分からんお子ちゃまが、贔屓の議員がディスられたからと言ってアンチ橋下に回る姿は見るに堪えない。ただ、冷静に、その言葉を評価し、異論があるならそれを主張すれば良い。それが言論である。

「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄がない」実際には親だって間違うこともあるが、そのほとんどは、十分な経験と子供には見えない目線からのありがたい忠告だ。

「橋下はすでに私人なのだから黙っておけ」と言うのは甚だ筋違いだ。維新はその一私人に振り回される程度しか存在感がないということを自ら言ってることになる。一私人でしかないのなら無視すれば良い。でもできないじゃん。

橋下徹の維新への苦言が、どこまでが本気でどこからが演出なのかは私にも分からないが、焦りがあるのは間違いないと思う。松井さんが抜けた後、吉村さんと誰が維新を運営していくのか。いまだ見えない。

「アイツが俺たちのことを“イシンジャー”って言ったああっ!!」とブチ切れていたガキンチョが今、全く同じ手法で橋下支持者をディスってる光景を、鼻くそほじりながら眺めている。


<補足>

ポイントは、一般党員を含めて我々一般人が知っている情報は実体のうちのほんの僅かな部分でしかないということです。

橋下氏は現役ではないというだけで、そりゃ維新の内情はかなり知っているはず。一部の議員の金の使い方において、目に余るものがあったのかもしれません。そう指摘された議員にだって言い分もあるでしょう。

そもそもです。

我々と橋下さん、あるいは我々と松井さんよりも、橋下さんと松井さんの関係の方がはるかに心が通じ合い、強い絆で結ばれてるわけでしょう、どう考えたって。その2人の間で論争が交わされたとしたら、それはプロレスであっても全くおかしくないし、ガチンコでやっているとしたらガチンコでやるに値するテーマだということです。何にせよ高度な論争なのですよ。

そんなこたぁちょっと想像力を働かせれば分かることなのに、(あ、ここからいつものコピペですよ)知的弱者はすぐ対立構造を作りたがるんですよね。非維新支持者はここぞとばかりに松井さんを攻撃、これは良い。そりゃそうでしょうよ。問題は、維新支持者の中ににわかにアンチ橋下が発生していることです。

彼らは、維新に今の立ち位置の橋下徹がいない方が良いとでも思っているのでしょうか?彼の“小言”はマスコミに取り上げられ、それだけ「維新」と言う言葉がテレビから発せられることになります。なんだかんだ言っても、今維新だけが高潔な内規の議論をしていることが一般に知らされることになります。

これって誰か損しますか?

気づけば、特に橋下さんと足立康史氏の間で、公務と政治活動の違いというような高度な議論が交わされています。

すみませんが、再度ここから似たようなことを書いた私の連ツイ転載です。


橋下さん、松井さん、足立さん、吉村さんがやっている一連の議論は、俯瞰的観点から抽象化すると「つまり維新とは何か」という話だ。それをコアな支持者に限って「ケンカ」と捉えてバカみたいに騒いで煽る構図は何とも情けない。

100万円を引き出したいなら、まずは300万円の数字を提示する。交渉の常套手段だ。橋下さんがやっているのはこれで、「理想のベクトル」を示している。そこから「現実的な目標」を抽出するのが現役政治家の役割だ。

振り返ってみても、彼らの議論は別に破綻している訳ではない。双方合意できない部分があるだけで、それこそが今後の課題だ。「公務」とは何であり、「政治活動」とどう区別していくか。政治家が考えるべき普遍的問題が今抽出されつつある。

議論が破綻していないということは結局、橋下さんは「受け身の取り方を知っている相手を投げ飛ばした」というだけのことなのだが、それを見て「アイツには殺意があった」と格闘技の素人が騒ぐようなことが起きている。タイガージェットシンを見て「刃物使ってる!」と騒いでたうちのババアと同じ。

我々素人にできるのは、抽出された問題について考え、互いに論じながら、見守るということのはずだが、短絡回路の持ち主はどうしてもこれを対立構造にして「ケンカ」ということにしたがる。

維新の支持者が維新内側の不和を演出して誰かが得するとしたら、それはアンチ維新のはずだ。なぜそれが分からないかと言うと、【短期間】【小範囲】でしか物事を認識できないからだろう。

『サピエンス全史』によれば、人間が言葉を使えるようになったのは、複雑な概念を形成したり、重要な話を伝えるのではなく、「噂話」だと言う。自分や他人の評価を気にすることが、話すと言う行為のインセンティブになったと言うのだ。

なぜ我々が「言葉は思考のツールである」と言うことを度々言い聞かせなければいけないかと言うと、先述の通り、人間はともすれば自分の極近辺のことだけを見て、「誰が何した」という井戸端会議をして、考えた気になってしまうからだろう。

「日割り計算に合意」と言うのは実に国民をバカにした話だが、それでも維新が騒いで全体が動いたという実績にはなった。その後さらに国政全体を巻き込むつもりで維新内側の改革を進めれば良いのではないか。

今回の選挙で維新は大躍進を遂げた。しかしその分、改革の圧力を作り出すポンプの出力は強くしなければいけない。橋下さんが最も恐れているのは、維新が初心を忘れて、国民民主党などと同じ「一野党」に堕ちてしまうことだと思う。

今の橋下さんの小言が、維新に対して結果的にどのような影響をもたらすか。局所的に見ればマイナスもあろうが、全体として見ればどう考えてもプラスのはずだ。町内に1人はいるカミナリ親父のありがたみは子供には分からない。

大躍進を遂げ、さらに代表選をやるかやらないかのこのタイミング、そして文通費という話題。そりゃ橋下さんからすると言っとかにゃならん!でしょうよ。ケンカを煽る前に「維新とは何か」を支持者も今一度考え直すべきではないか。


 

ではまた。

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