岸田内閣の衆議院解散は、総理就任後の解散としては史上最短だったそうで、まあ何ともせわしない話です。
ともあれ、総選挙です。
選挙となると毎度聞かれるのが、
若者よ、投票に行け!
という大人の声なのですが、私はこれが嫌いというのは過去に何度か書いた通りです。
だって、理由もないのに大人から「行け」と言われたから投票に行く若者なんていないでしょうし、私が若い頃だって投票なんて行かなかったのに、偉そうに言えるはずもありません。
それに投票はあくまで権利であって義務ではありません。「投票は国民としての義務」なんてのは甚だ筋違いなのです。
なぜ投票率は下がっているのか
ところで、投票率って年々下がってきてるんですよね。逆に言うと、昔の人達の方が積極的に投票してたということです。
じゃあ昔の人の方が政治に関心を持っていたの?あるいは政治に重要な決断が迫られるような局面がいくつもあったの?……って言うと、これと言ってなかったように思うんです。そりゃいろいろあった昭和ですが、様々な事件が国民の投票意欲に繋がったかと言えばそうじゃないと思うんですね。
むしろ政治が身近なのは現代の方で、特に小泉純一郎政権あたりから政治はワイドショーになっちゃったわけです。
政治が身近になったにも拘わらず、投票率は下がり続けている。おかしな話ですが、要するに私たちは、政治を話のネタにすることはあっても自分で政治をどうにかしたいと思っていないってことなんでしょうかね。
昔は政治なんて考える必要がなかった
さて、若者の話に戻ります。
戦後の日本は、どんな馬鹿が政治やってようが社長をやってようが、寝てようが鼻くそほじってようが、スタートが焼け野原だったおかげで嫌でも上向きになる良い期間が長らく続きました。あ、言っておきますが、実際に鼻くそほじってたわけではなく、先人達は物凄く頑張ったので世界史上希に見る経済成長を遂げたんですけどね。
高度経済成長を経て80年代には自動車販売台数で世界一に、「Made in Japan」は世界に冠たる工業製品のブランドになりました。
政治の根幹には経済があり、その経済が絶好調だから、政治なんて特に考えるべきこともなかったわけです知らんけど。それこそ若者が投票に行こうが行くまいがどうでも良いことでした。
ところがそんな我が世の春を謳歌していた日本もバブル崩壊という一種の「経済事故」によって地の底に叩き落とされます。株価の大暴落、大手企業の倒産、残ったのは不良債権の山。企業は人を雇っている場合ではなく、新卒の有効求人倍率が1を切る「就職氷河期」が訪れたのです。
そしてこの時に一部の国民は気づきました。「我々が信じていた政治家・官僚・財界はいざという時に何もしてくれない」と。
またこれ、間の悪いことに人口の分厚い団塊ジュニアが大学卒業あたりで起こったんですよね。団塊ジュニアの人口ピークがちょうど境目くらいで、それより上の人達は滑り込みセーフだったんですが、それより下の人達はいわゆる「ロスジェネ」という妖怪になっていきます。
このバブル崩壊だってえらい人達がしかるべき対応を講じていれば、あばらと足の骨折くらいで済んだかもしれないものを、何の治療も施されなかったため、傷口からバイ菌がはいり、全身のあちこちが壊死するほどの重症、そして後遺症が残りました。
ある政治家が「正規雇用は既得権益」と言えば、現代の若者は「正社員でいることすら既得権益なのか」と感嘆していましたが、ロスジェネのその後の人生を考えると、正社員という雇用状態がいかに大きな利権であるかが分かります。その時代を生で知らない世代には大きな違和感でしょうが。
どんどん貧しくなる日本
えっと、こんな話はしようと思えば軽く1万字くらいは書けてしまうので本題へ。
この記事で言いたいことは、
若人たちよ、君たちの未来は暗黒だぞ
ってことです。
我々は愚かなので、自分たちの知る僅かな期間をもって「当たり前」を形成しています。バブル崩壊で暗くなってしまった日本は、その後政治や行政が何もしないまま「失われた10年」が過ぎ、さらに「失われた20年」となり、いまや30年が過ぎようとしています。20歳の若者が景気の良かった日本を知るはずもなく、この薄暗い空の下で生まれ育ったため、この明るさがデフォルトになってしまっているわけですよ。
現代史…というほど大げさなものではなく、ちょっと過去を振り返ってみると、日本はかつて1人当たりのGDPで主要国中トップだったのが、いまや韓国にも抜かれる始末。欧米の中で日本より下の国を探すと、イタリアとかギリシャ等どうしようもない国の名前しか出てきません。日本人は気づいていないでしょうが、今日本はどんどん貧乏になっているのです。
つい先日もアメリカのマクドナルドの時給が話題になりました。様々な事情はあるでしょうが、それでもマクド店員の平均時給が13ドル(約1500円)と言うのは日本では考えられない話。マクドナルドの話ついでに、いわゆる「ビッグマック指数」の記事も出ていたので、ちょっと紹介します。
※以下、リンク先のページがなくなっていたので替えています。
私くらいの世代の若い頃は、「海外はどこに行っても物価が安い」と言うのが共通の観念としてありました。日本は金持ちだけど物価も高い。だから海外旅行に行くと、日本人の感覚からすると何もかもが安く、海外に出てはブランド物を買い漁るのが日本人のお決まりになっていました。
ところがこのサイトのグラフを見てください。今や、ビッグマック1個を買おうと思ったら、タイや韓国の方が高いのです。
これで賃金が外国並みにあれば、「日本は賃金が高くて物価が安い夢のような国」となるのですが、一方のこちらのサイトをご覧ください。
日本の平均賃金はG7中、イタリアに次ぐ下から2番目。アメリカとは倍近くも差が開けられています。購買力平価で言えば、「アメリカ人にとってのアメリカのビッグマック」の方がむしろ少し安いくらいなのです。
もう日本に未来はない
では日本はもう一度経済大国になれるか?って話ですが、なれません。ここから先は堕ちていくだけの国です。
政治家は「政治家を続けるため」だけに努力し、官僚は保身と組織拡大のために働き、財界を見れば(高橋洋一氏によると)サラリーマン社長ばかりで産業の革新を起こせずにいます。新しいアイデアを持つ企業は官僚の敷いた規制にことごとく潰され、選挙があれば人口の分厚い老人のための公約ばかり。保守的な日本企業はいまだに新卒一斉採用という悪習をやめようとしません。
そんな日本が今、世界の中でどんな存在なのか、島国でありムラ国家である日本の人間には認識しづらいところがあると思います。ましてや若者に何が分かるでしょうか。
政治家、官僚、NHKや医師会その他もろもろの公的組織は国民無視でとにかく利権拡大。大企業の経営者は「とにかく自分の代でヘマをしないよう」という保身。日本はまだまだ堕ちていきますよ。
改めて申し上げておきます。
若人諸君、君たちに明るい未来など待っていません。
そしてそれは君たちの責任などではなく、君たちに未来を作って上げられなかった我々老人こそが原因なのです。
「改革」という安い言葉
我々は一体何十年「改革」という言葉を聴き続けたでしょうか。
「改革」?何を?
終戦間もなく作られた憲法を1字たりとも書き換えられなかった政治が、一体何を改革するというのでしょうか。
というようなことを突き詰めていくと、結局「政治は何のために存在するのか」という問題になります。
「政治」とは一体何か。辞書の観念的な定義を無視するなら、ざっくり言って「国民の平和、安全、豊かさを実現するための統治の方法論」とでもなるでしょうか。
要するに、社会のルールや指針を決めるのが政治であり、これがない無政府状態は、言わば究極の自由である反面、究極の弱肉強食社会であり、争いが絶えず、社会も発展することがありません。
政治とは、それがあることによって、社会が発展していかなくてはならないのです。
では最近の日本は発展したでしょうか?何か進歩したでしょうか?
世界一の金持ちだった日本は、いつの間にやら貧乏国に。
「日本には四季と美しい風景がある!」
「日本人は礼儀正しい!」
「日本の治安の良さはGDPに代えがたい!」
どれも事実ではありますが、そんな自慰行為的な言葉で30年を無為に過ごし、いつの間にやらゆでガエルになってしまったのではありませんか?
それもそのはず、先述の通り、日本の政治家や官僚は自らを改革しようとしません。その行動原理はは利権の維持・拡大なのです。
加計学園問題では、獣医学物を増設しようとしただけで当時の安倍首相は野党やマスコミからコテンパンにやられました。自動車産業で世界をリードし、自動運転技術でもその地位を確保できるかと思いきや、官僚の敷いた規制で頭をどつかれ、海外メーカーにリードを許してしまっています。少子化問題に根を落とす待機児童問題においては、幼保一体化と言いながら、利権の圧力に屈して「認定こども園」なる第三のルールを作るという笑い話。
日本においては何事もこの調子で、だからこそ私は菅政権下の「ハンコ廃止」や「デジタル庁の設置」を高く評価したのです。
さて、そんな改革のできない日本において、政治家が自らの身を削る大改革を提案し、その判断を住民に委ねるという大事件がありました。
しんどくなったので一旦ここでやめますが、誰か続き書く?
※誰も書いてくれないので自分で書きました。
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