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【新型コロナ】オリンピック延期とか春のセンバツ中止とか

高校野球 医療・健康

トイレットペーパーがまだ買えないだって?

苦しい時のカミ頼み。半世紀ほど前に刷り込まれた日本人の遺伝子はまだ強く残っていて、何かあるとトイレットペーパーを買い占めたくなるんですね。

うちでは数日前にようやく買えましたが、これを書いている3月13日時点で、まだ買えない人がいるんだとか。

これね、「一家族様あたり1袋」とかやってても全く無意味でして、朝の10時開店のドラッグストアに9時から並べる人って限られてるんですよ。つまり、老人たちです。

その日に1袋買っても「まだ危ない」と次の日も並んで買う。そして次の日も。

これはもうストレートに社会的混乱でして、騒動が起きたらすぐ行政が介入すべきだと思いますよ。

政府が買い上げて配給あるいは専売するとか。

携帯電話の末尾で販売規制するとか。

あるいは、1人当たり換算で1週間に2ロールまでとかの規制をして、購入に際して身分証を提示させる。いちいちカウントすることは実際には難しいけど、違反者には罰金ってことにすると、よほど図々しいヤツでない限り、違反を犯してまでは買おうとしないでしょう。

あるいはまた、マイナンバーカード使って管理するとかね。ま、これはこれで逆に老人たちが全く買えなくなる可能性があるんで困ったものですが。

高校野球春のセンバツ中止

中止は全く必要ないと思います。

今世の中はコロナけん制のために小中学校が一斉休校中。保育所も休園するところが増えてきています。

その子供たちが何をしているかっつーと、未就学児は公園に大集合。いつもの3~4倍くらいの人混みで、皆元気に遊んでいるそうな。

小学生はSwitchを持ち寄って誰かの家でゲーム三昧。

中学生はサイゼリヤに集まってダベってるんだとか。

で、高校球児は野球禁止って、一体何の意味があるのやら。

甲子園に行かないことでコロナ感染の確率がゼロになるならともかく、試合がないならないで高校球児たちはどこかにいないといけない訳で、その彼らが全員家にじっとしているわけがありません。

むしろちゃんとした管理の上で大会をやった方がずっと安全かもしれませんよ。

出場校が49校として1校あたり選手と関係者20人程度でしょうか。だとしたら全体でざっと1000人。その1000人に試合1週間前と前日に新型コロナの検査を受けさせれば良いでしょう。その2回とも陰性という結果が出た者のみ出場可能、と。

これ、中止の実情は、主催者である毎日新聞が「利益が見込めない」からだと思いますよ。やるなら無観客試合にしなければならず、そうすると甲子園入場料売上はゼロになるわけですからね。

批判を乗り越えて実施したとしても、収益は放映権料のみ。リスクを抱えてまでやることか?という判断じゃないかと私は思います。

でも私は、高校球児たちのことを思えば、やるべきだと思います。そして国民が許すかどうかは分かりませんが、観客だって入れりゃ良いじゃんと思ってるんですよ。

先日の投稿で書いた通り、消毒した上でマスクと手袋を着用、その他不規則な行動をしない限り、少なくとも日常生活以上に感染率が上がるとはとても思えないのです。

オリンピック延期?

「予定通り開催」か「中止」しかない!?

トランプ大統領の「五輪延期」発言からオリンピック開催延期が少しずつ現実味を帯びてきましたが、まあ延期でもしょうがないでしょうね。皆が大人しくルールを守れるなら良いけど、客は日本人ばかりじゃないし、なんせ数が高校野球とは比較にならないほど膨大です。

舛添要一なんかは、「予定通り開催か中止かのどちらかしかない。延期はあり得ない」と言ってましたが、仮にそれがその時のIOCの見解だとしても、今はどうか分かりません。

仮に今のままのペースで新型コロナが拡大し続けたら、いくらなんでも予定通りに開催はあり得ないでしょう。

中止はあり得ないんじゃないかな…

と言って「中止」と言うのはもっとあり得ない話に思えます。

というのは、オリンピック開催準備のために使われた金はハンパな額ではないからです。今や金をかけすぎて開催しても回収できるかどうか分からないと言われるほどです。それをないがしろにして、「はい、中止」なんてされた日にゃ、開催予定国はとんでもない大赤字になってしまいます。

オリンピック開催は大きな利権です。それはIOC自身がよく分かっているはずで、だからこそIOCが見捨てるようなことはちょっと考えにくいのです。もし「中止」なんてやってしまったら、戦争以外で初めての例となり、なんら救済措置を採らないIOCは、その信頼を失墜させてしまうのではないか?と思うのですよ。「裏であんだけやったのに、結果がこれかよ!」ってなもんです。

その準備が最も無駄にならず、IOCが恨みを買わずに済む方法が「延期」です。

オリンピック原理主義

これに対し、スポーツ選手に近い側の有識者は「何が何でも予定通りやるべき」と主張します。

「オリンピアード」(オリンピックが開催される周期の4年区切りのこと)という原理原則を持ち出し、オリンピック開催の意義を唱えるわけですよ。

分かりますよ。延期なんかしたらオリンピアードの規則が崩れちゃいますからね。でも、今更オリンピックをことほどさように神聖視すべきか?と私なんぞは思うんです。

だってオリンピック開催において、邪な目論見やきれいでない金が動いていることなんて、もはや常識でしょう?気候条件を考えずに真夏に開催するのだって、アメリカ様の都合であって、それはIOCも認めちゃってるわけでね。

延期なんかしたら選手が可哀想!?

「予定通り」派のもう一つの言い分が「選手が可哀想」というもので、選手のピーク期間なんて短いのに、1年ズレたら今と同じ実力を出せるかどうか分からない、というもの。場合によっちゃ選考のやり直しにもなって、そもそも出場予定選手が出場できなくなるかもしれません。確かに何とも気の毒な話です。

いや、しかしですよ。

「スポーツ選手のピークなんて短いもので、1年経ったら分からない」のであれば、オリンピック出場、あるいはその成績って、かなり運に左右されるってことですよね。

競技や選手によっちゃ2連覇3連覇なんてこともありますが、あくまで例外であって、ほとんどの選手は1大会出られれば御の字。その選手はその前年でも国内1位だったのでしょうか。その翌年でも国内1位であり続けられたでしょうか。

「1年延期されたら出場予定だった選手が涙を飲む」代わりに、別の選手が喜ぶことになるんじゃないの?だったらそれいいじゃん、くらいに思っちゃうんですわ。
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