男女差別を是正するための具体策~個人ごとのスペック出せばいいじゃん~

男女平等 ジェンダー
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ジェンダー関連の投稿が続いたついでに、以前書いた投稿の続きのようなものを。

このリンクは以前に当ブログで書いた、男女の能力差についてのものです。書籍『言ってはいけない』をベースにしています。

それに対してコメントを頂き、能力の男女差についてはまだまだ統計的に不確かなものがあるという趣旨でした。

 

ラインの引きにくいテーマにおいて、こういう統計や論文はなんぼあってもいいですからね。大歓迎です。

 

しかしそれとは別に、現実の施策としては、私の主張は変わらないのです。

「現実の施策」とは何かと言いますと、「男女平等」を具体的にどうやって実現するかという話です。

一般的にはその提案のひとつの形が「クオータ制」だったりするのですが、私には全くナンセンスに思えるのです。

といって、「男たるもの、女たるもの」みたいな論調も言語道断。それは差別ですから。

私の主張は一貫して「能力主義」なので、男だろうが女だろうが、能力と意志の一致する者がその仕事をやれば良いという見解を持っています。

問題は、それをどう評価するかってとこですね。特に政治の世界では、年齢の条件さえ満たせば、老若男女万人に選挙権も被選挙権も認められるので、ややこしい話になります。

 

国民統一テストで個人のスペックを出せ!

ってことで、

当ブログのこの記事をご覧頂きたいのです。

主旨を簡単に説明しますと、

「投票することは良いことで、投票しないヤツは国民の義務を放棄している倫理観のないヤツ」みたいな主張は馬鹿馬鹿しい。
若者はそもそも政治に興味なんてないし、知識もない。
投票に行かないのは当たり前だ。
何より投票は「義務」ではなく「権利」だ。
それよりも、逆の発想で、投票権を「資格」にすれば、民主主義の有難みも分かるし、意識が高いだけのバカや、政治家に騙される年寄りの投票から政治を防御できるじゃん?
その指標として「国民検定」という日本人全員を対象にした学力テストを実施しろ。

というもの。

この「国民検定」は汎用性が高くて、例えば政治家になるべく選挙に立候補したとします。その際に公約や経歴だけではなく、この国民検定の得点も公表するんです。

「日本を良くしたいという思いは誰にも負けない!」という立候補者も、国民検定で「政治経済:D判定」だとおそらく誰も投票しないはずですよね。

この仕組みがあれば、男性に比べて女性が政治に向いていないことが証明できるはずだし、本当に政治経済を理解する聡明な女性は誰に遠慮することなく政治家になることができるんです。

もちろん、何度も言うように、その結果として国会議員が100%女性になったって良いんです。この仕組みさえあれば能力は保証されていますから、誰にも文句言われる筋合いなんてないのですよ。

大学および学部ごとの学生男女比を見てみよう

ちなみにですが、東京大学の学生の男女比はおよそ4:1、京都大学はおよそ3:1となっています。そして偏差値が下がっていくほどにその割合は1:1に近づいていきます。

どの程度が社会的要因なのか、どの程度が生物学的要因なのかは分かりませんが、結果としては男性の方が偏差値が高い=頭が良いということになります。

学生の男女比がほぼ半々の学習院大学でも、学部別の男女比を見てみると…

文学部 937 2,048 2,985

 男:31.4%  女:68.6%

国際社会科学部 330 544 874

 男:37.8%  女:62.2%

法学部 1,038 1,020 2,058

 男:50.4%  女:49.6%

経済学部 1,393 977 2,370

 男:58.8%  女:41.2%

理学部 599 300 899

 男:66.6%  女:33.4%

(https://search.keinet.ne.jp/outline/department/2204より)

とこんな感じになっています。

どの大学でもほぼ同じ傾向が見られますが、理系は男性が圧倒していて、文学部だと完全に逆の比率、文系でも法学部⇒経済学部となるほどに男性比率が高くなっていきます。

経済学は文系にカテゴライズするべきかどうか分からないほど数字まみれの学問です。

さて、このデータが何を物語るでしょうか。

 

巷間で交わされる議論においては、こういう客観的なデータすら参照しない乱暴なものが非常に多いんです。上っ面で、「男と女は違う!」「男も女も同じだ!」という鳴き声の応酬ばかりやっとるわけですよ。

ここでは健全な理論を展開したいと思います。

議論の争点になるべきはここで、先述の大学の男女比のデータは、「生物学(生得)的要因」なのか「社会(学習)的要因」なのかということです。

私は、「両方ある」と思ってるんですよ。

社会的要因による男女の差とは

社会的要因にはどんなものがあるでしょうか。

例えば、親と子が家にいて何かで遊ぼうという話になる。

「よし、いっちょ将棋でも教えてやるか」と言うのは、普通「父と息子」ですよね。

母から息子にとか、父から娘にというケースはかなり少数派でしょう。

その結果として、囲碁将棋の競技人口は男女比で相当な開きが出て、もちろん実力差も比較にならないほど大きなものがあります。

 

あるいは例えば、高校のコース選択において、自分は理系に進みたいという女子高生が先生から「女なんだから文系にしておけ」と諭されて諦めたなんて話は現実にあります。

将来、有能な学者になったり、最新技術の担い手になったりしたかもしれないことを考えたら、実に勿体ない話です。

もし男女1万人ずつの赤ちゃんを全く同じように育てたら…?

さて。

ではですね、男の子1万人、女の子1万人の赤ちゃんを無作為に集めて同じように育てたとします。

10歳なら10歳と決めて、全く同じタイミングで将棋を教えたとします。

その教わった将棋にどれほどの子が興味を持つかを調査したとしたら、私はそこに明らかな男女差が生まれるだろうと予想するんです。

もちろん、今の将棋人口ほどは開かないにしても。

 

あるいは、そのアンケートを無視して、無理やり将棋を教え続けたとします。

5年後にどれほどの子が初段以上になっているかを調査したら、やはりこれも男女差が明確に出ると思うんですよ。

その理由は進化の経緯です。

これについては過去にも書いたと思いますが、ここで書き直すとそれだけでめちゃくちゃ長くなるので、ここでは割愛させて頂きます。後日まとめたらリンクを貼ることにします。

結論

ここで大事なことは、

たとえ能力に男女差があるとしても、それはあくまで大数(平均)の話。個人単位で能力を評価することによって、男女分け隔てなく個々に自由な(かつ適正な)生き方の選択をできりゃいいじゃん!

ってことです。

「男と女では生まれつきの能力差がある」と言えばある種のフェミニストから叱られますが、この結論についてはどう考えてもフェミニズムではないでしょうか。


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