「夫婦別姓論」にスッポリ抜けている視点(1)~そもそも姓は必要か?~

男女平等 ジェンダー
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夫婦別姓派にない視点

割と大ネタになるかもと思ってなかなか書けずにいましたが、夫婦別姓についてはずっと1年以上前から書こう書こうと思っててメモだけを残し、参照サイトもいくつかチェックしていました。最近また夫婦別姓が話題になっているので、とりあえず雑ながらも投稿することにします。上のURLは参照サイトのひとつです。

“進歩的”な男性が、タバコ撲滅、教育、ジェンダーなど、相当“分かりやすい形で”メッセージを発信するブログです。

さて、ブログ主さんが実践しているという夫婦別姓。ブログ主さんは、夫婦同姓を差別の象徴として扱っている様子。

そして夫婦別姓を実践するとともに、夫婦別姓をお子さんに「男女は平等なんだ」と教育しているんだそうな。ふむふむ。

この手の夫婦別姓推進派の主張は、ほとんどの場合、最も大事な視点が欠如しています。それは、

そもそも

「姓とは何か」
「結婚とは何か」
「家族とは何か」

という問題です。

夫婦別姓問題の本質を考えたことありますか?

この論争が不毛である理由は、女性/女系天皇の是非でもほぼ同じです。
すなわち、「そもそも天皇とは何か」を考えないのに、「男系だ!」「女系もアリだ!」といくら声を上げても、それは大声合戦でしかないのです。

さて、夫婦別姓の問題ではどうかと言うと、まずは「姓とは何か」を考えなければ話などできないはずなんです。ところがほとんどの人はこれをやらない。推進派は「男女差別ガー!」反対派は「伝統ガー!」のガーガー論争です。

件のブログもそう。「夫婦別姓でも何も困ることはありません」と実践した上で夫婦別姓を推進するのですが、肝心の「姓とは何か」については一切触れていないのです。

子供の教育のために夫婦別姓ですって!?

このブログ主さんが夫婦別姓を実践するのはお子さんの教育のためでもあるそうな。つまり、男女は平等だと言うことを教えたいようです。

私は、「教育とは洗脳である」というホリエモンに同調するのですが、その洗脳だってタチの良いのと悪いのがあるんですよ。教える内容に「どれほど特殊な価値観を入れているか」で洗脳の度合いが変わってくるんです。

教育は洗脳なんですが、教育を施す側としてはできる限り思い込みや思想を排除すべきではあるでしょう。

この人の場合、想像がついちゃうんですよ。
「日本の女性はこれだけ差別されてるんだよ!」ということを植え付けたいだけだと思うんですね。

私が夫婦別姓問題について子供に教えるなら、というか近々教えるつもりなんですが、話は原始時代から始まります。

なぜ今のような男女の社会的役割に区別ができてしまったのかを語る際には原始時代に遡る必要があり、近現代の変化、そして夫婦別姓のように今日存在する問題とその解決法の候補を教えることになります。

そしてこう言います。「夫婦別姓なんて言うヤツはバカだ」と。

姓とは何か

なぜ「夫婦別姓がバカ」なのか。

それはそもそも姓とはファミリーネームであり、家族になった者同士が違う姓を使うことを社会や法が認めてしまったら、それはすでに姓ではなく、大きな矛盾が生じるからです。

「整数にはマイナスの数があるのに自然数にないのは可哀想。だからこれからはマイナスの数も自然数に含めましょう」みたいなことを言ってるのと同じなんですよ。いやいや、それが「自然数の定義」なんですよ、と。

となると、選択肢としては「現行制度を維持するか、さもなくば“姓”そのものを廃止するか」ということになるのであって、「夫婦別姓」などあり得ない話なのです。

「姓とは何か」を考えない、思慮の足りない連中が、上っ面のジェンダー論を引っ提げてギャーギャー騒いでいるだけだから、議論が浅~くなってしまうのです。

 案の定ツッコミが来たので捕捉しておきますが、ここで言う「ファミリーネーム」とは広義の使い方をしています。各国ことに微妙に違う姓の概念、日本におけるウジカバネなどややこしい話はとりあえず置いといて、「名」の対比としての「姓」を扱っています。
ちなみに私の先祖は士族で名前が4つのパートに分かれているのですが、祖父がそれを自慢げに話す姿が嫌いで、その反発で姓に対する執着が薄くなったのかもしれません。

「別姓にしたい人は別姓にすれば良い」

つまりは所謂「選択的夫婦別姓」ということなんですが、そうはいきません。一部で本来とは違う使い方をしたら、本来の姓の価値は棄損されます。

「両津」という姓であれば、親が「両津」または配偶者が「両津」であることを意味しますが、別姓を認めてしまうと、親も配偶者も「両津」でない可能性が出てくるわけです。

これは「姓」の定義そのものが変わってしまうことを意味するので、「これまで通りの姓の使い方をしたい人はすれば良い」なんてことはできないのです。ニセ札が出回れば、本物のお札の価値が下がるのと同じです。

どうやって姓をなくす?

例えば「両津勘吉」という名前があったとしたら、「両津」が姓で、「勘吉」が名となっていることは誰でも分かりますね。

「姓をなくす」のだとしたら、「両津」がなくなるのか?というと、私はそんなことを想定していません。

「勘吉」だけだと実際の運用として個人の同一性という機能が著しく低下するからです。

「いちろう」と言っても「すずきいちろう」なのか「おざわいちろう」なのか「ふるたちいちろう」なのか、それは姓があってこそ特定できるのです。

となると、これまでの姓を違う形にして残す必要があります。今までの姓を「前名」今までの名を「後名」とでも呼びましょう。

「両津」「前名」であり、「勘吉」「後名」になります。

子供が産まれたら、親はこの「前名」「後名」を名付けることになります。

ん?それって結局姓名と同じことでは?

違います。「姓」はそれを使う以上、子供が両親どちらかの姓を受け継ぐことを運命づけられています。

となると、それはやはり「ファミリーネーム」ということになるんです。

ファミリーネームなのに同じファミリー内で違う姓の人がいる。父の姓を受け継げば、母だけが違う姓になります。母の姓を受け継げば、父だけが違う姓になります。

物凄くおかしいんですよ。

ファミリーネームという性質を否定しながら子供には受け継がせるということになぜ夫婦別姓派は疑問を持たないのか、私には大いに疑問なのです。

自分は自由に名乗りたいくせに、子には意思を確認できないのを良いことに勝手に姓を付けてしまうことの傲慢さに気付かないのでしょうか。

職場は積極的に旧姓を認めよ

私自身は自分の姓というものに特段のこだわりはないので、「明日から戸籍の上では『田中』と名乗って下さい」と言われれば、別に構わないんですよ。

まあ、でも仕事でもプライベートでもしばらくはかなり困ることにはなりますよね。だから可能な限り旧姓で通すことになると思います。

ところが官公庁その他の行政の現場ではいまだに旧姓使用が許されないというケースがあるそうな。

これもめっちゃアホらしい話ですよ。

名前とは本来個人を区別するためにあるものなのに、結婚によって戸籍上の姓が変わったからと言って職場でも変えられてしまうと、個人の同一性が崩れてしまうのです。

職場内でもしばらくは多少の混乱をきたすだろうし、取引先やお客さんにとっても不便極まりない話です。

私の職場でもありましたが、社内恋愛の末の結婚だと、自動的に同じ苗字がひとつ増えてしまうことになるんですよ。

これは婚姻による姓の統一の問題とは別の文脈で語られるべき問題で、全く非合理的なので旧姓使用はあらゆる職場で認められるべきです。

これこそ女性差別と呼ぶべき問題なのです。

なんで夫婦別姓論みたいな主張がはびこるのか

取り上げたブログのその他の記事を読んでみると、結構香ばしいんですよ。

「女性の力でも開けられる」みたいな通販のコピーを見つけると「女性の力が弱いというのは勝手な決めつけで差別だ!」とのこと。

体力測定をすると、握力や背筋力において男性は女性の7~8割も数値が高いのですが……オリンピックで100m走を男女の区別なく実施される日を夢見ているのでしょうか。

件のブログはすごいPV数を記録しているそうで自慢されていますが、ブログを商売にしようと思うと、層の分厚いところを掴んだものが勝ちなんですよね。

知的レベルというのはーーこの場合はIQと言い換えても構いませんがーー平均周辺に人口分布が集中しています。PV数を自慢するようなブロガーだとこの平均付近を狙うのが正解なんですよね。あるいは、天然で平均的なことしか理解できない(かつ、マメでそれなりに表現力を持つ)人間なのか。

それを考えると、件のブログって多分ちょうどいいところの需要にフィットしてるんでしょうね。

「皆さん、ここにも差別、あそこにも差別、あ~~大変!」「頭のガチガチの保守オヤジどもの妄想を皆で叩きましょー!」

とやってると一定数の“客”が集まってくるわけです。ド平均ではないけど、分かりやすいことしか理解できないのに中途半端にジェンダーに覚醒した人たちは、それなりに層が分厚くて、“売上”が見込めるんですよ。

ここで「“姓”そのもの存在に疑問は持たないの?」と言うような当ブログは決して人気ブログにはなり得ません。分厚い層から外れてしまうからです。
この手の主張にカウンターかましてそれなりに人気を得ようと思うのなら、「伝統ガー!」というネトウヨ的論法が良いんです。パヨクにはネトウヨです。(あ、今まで我慢したけど言っちゃった)

夫婦別姓について私は「どちらかと言えば反対」

「夫婦別姓について賛成か反対か」と聞かれたら、私はとりあえず「どちらかと言えば反対」と答えます。

これまでの口ぶりだと「絶対に反対!」と言う方が似合ってはいますね。

でも、こういう形で質問されて、「賛成」か「反対」かで答えろと言われたら、ここで書いたように「そもそも」まで考えた上で条件付きの賛成って人もいるかもしれません。

そんな人の意見は尊重すべきであって「夫婦別姓なんてとんでもない!アホかお前は!」などとは言えません。というか、場合によっては私も賛成するかもしれませんし。

当ブログは常にそうなのですが、大事なことは結論ではなく、結論に至るまでの論理的プロセスです。そのプロセスがいい加減であれば、賛成だろうが反対だろうがダメなんですよ。

 

まだ途中ですが、とりあえず一旦ここで送信しておきますね。

 

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