「女流棋士」は女性差別?
先日の『朝まで生テレビ』は「激論!女性国会議員大集合! ドーする?!男女格差」というテーマで討論されてたんですが、その論客の一人であるパックンが面白いことを言ってました。
「“女医”とは言うのになぜ“男医”とは言わないのか。“女子アナ”がいるなら“男子アナ”という呼称もあって良い」
とその他、わざわざ「女」と付けられる呼称を挙げられてたんですけど、そのうちの一つが「女流棋士」でした。
「女流棋士」って、女性の棋士を単純にそう呼ぶための呼称じゃなくて、制度なんですよね。女性しか所属できない特別なプロ棋士の枠なんです。
なんでこんなものが存在するかと言うと、男女の区別をなくしてしまうと、プロ棋士に女性がいなくなっちゃうからなんです。その理由は、実力差があまりに大きいから。
ってことで、女性への将棋奨励を意味を込めて、女流棋士という女性だけのプロ枠を作ったわけですよ。
この制度があるおかげで、将棋の強い女性は将棋でお給料や賞金をもらうことができるわけです。と言っても専業で食っていける人は一握りらしいですが、優勝を重ねるとウン千万になることもあるので、夢がありますよね。
もちろん、女流棋士より強くても男性はこの枠に入れませんし、そういう中途半端な男性棋士はプロにもなれません。
女性差別と言えば女性差別だし、男性差別と言えば男性差別でもある制度なんですよね。
じゃあこんな制度、なくしてしまった方が良いでしょうか?
私は……どっちでも良いかな。
そもそも「女〇〇」と言うのは、単純に女性が少数派だからです。唯一、アナウンサーについてだけは男女ほぼ同数か、女性の方が多いくらいなのに、「女子アナ」という呼称が使われています。着目するならここに焦点を絞るべきでしょうね。
今でこそ徐々に変化しつつありますが、アナウンサーは男性と女性でその役割が結構違っていて、例えばスポーツ実況やメインMCは男性が多く、アシスタントはほとんどが女性です。この現状を認める限りにおいては男女を区別する意味があるということ。
「役割を男女で区別するべきでない」という主張ならまた少し話が変わってきて、例えば高校野球の実況を一度女子アナがやったことがありますが、不評だったのかそれっきりでした。『IPPONグランプリ』の実況を女子アナがやったところでどっちらけでしょう。
「いや、役割は置いといて、「男〇〇」という呼称がないのがおかしい」ということであれば、そもそも「看護婦」⇒「看護士」のような「〇〇士」という呼称にも違和感を覚えなくてはいけません。「士」とはそもそも仕事をする男という意味で、字源としては「男が持つ武器」や「男性器」とも言われます。
香ばしいジェンダーブログ
さて、本題に入ります。
最近、夫婦別姓について記事を投稿する際に、たたき台にさせてもらったブログがありまして……
ここなんですが、まあこれがなかなか香ばしいというか、突っ切っちゃってるというか、相当分かりやすい“フェミニスト”(ここでは敢えて引用符を付けています)なんですよね。
「“女性の力でも簡単に~”みたいなフレーズは、女性が力が弱いという決めつけで差別だ」
「男が青、女が赤、という色のセットは決めつけで差別だ」
「“嫁”という字は、妻は家にいるものという思い込みが含まれていて嫌いだ」
といったものです。
「女性の力でも簡単に~」は差別だーーーっ!!
これはなかなか驚きました。こういうこと言ってるだけでたくさんの読者がつくんですね。
「女性の力でも簡単に」は、家電製品や日用雑貨の売り込みによく使われるフレーズですが、これが気に入らないと。
困ったものです。
世の中には腕力がなくて困る人もいるんですが、その腕力の弱さの理由のひとつが「女性だから」というケースも多々あります。僅少な例外がいるというだけで、平均はそうなってるんです。
例えば体力測定をすると、握力や背筋力などでは、男性は女性の70~80%ほども高い結果を出すんです。これが3%とかであれば誤差とも言えるでしょうが、70%ともなると、それが男女の性質の差であると言うことは科学的な真理なのです。
もし身体能力の差がないものという前提を用意するなら、オリンピックのスポーツ競技も男女混合でやらなきゃいけないことになります。
陸上100m走の世界記録で言えば、
男子:ボルト 9.58秒
女子:ジョイナー 10.49秒
その差は0.9秒もあり、ジョイナーと言えども日本の男子高校生の記録にも及ばないのです。
「男が青、女が赤、は差別だーーー!!」
トイレのピクトグラムを見てみると……
なるほど、男性が青、女性が赤になってますね。
これは差別です!
なんで男は青、女は赤なんですか!?
誰が決めたんですか!?
じゃあ色を同じにしましょう。
はい、これで男女平等♪
……あれ?白黒にしても男女の違いが分かりますね?
そうです。男性はズボン、女性はスカートを穿いているから区別できてしまうんですね。
男女のピクトグラムはこの他にも、「男が股を開き、女が閉じている」とか「男が短髪で、女が長髪」とか「男の方の肩幅が広くて、女の方の肩幅が狭い」みたいな感じで区別されています。
「『女性の力でも簡単に』みたいな表現は決めつけであり差別だ!」などと主張するブログ主さんですから、服装はもちろんのこと、体格でも決めつけはいけませんよね?
じゃあこうするしかありません。
ん?これ、人のシルエット入れる意味ある?
ということで、一目で分かるピクトグラムなんて作りようがないのです。だって一目で男女が区別出来たら、それは差別を含むことになりますから。
じゃあここはひとつ、世界最古のピクトグラム(かどうか知らないけど)である漢字を使ってですね……って、そうはいかないのです。
“嫁”←なんで妻は家にいることになってるんだ!差別だーーー!!
「嫁」っていう字、よく見てください。女が家にいるから「嫁」なんですって!
何言ってるんですか、女だって外に出て働くこの時代にこんな字の存在は差別を助長するだけじゃないですか!!
私は「嫁」なんて言わず「妻」と言いますよ。だって、「妻」という字の起源は着飾った女性……って、おい!!なんで妻だからって着飾らなきゃいけないんだ!!男はすっぴんで良くて、女は常に化粧してろってか!!差別じゃないかーー!!
はぁっはぁっ……
これだから男ってのは……あれ?「男」っていう字、田んぼで力仕事をするという表意文字だってーーーっ!!男は力が強くて、女が弱いだと!?決めつけではないか!!こんな字、二度と使うかーーーっ!!
って、よく見たら「女」って、ひざまづいた女を表してるじゃないか!!なぜひざまづいてるんだ!!
いいですか、皆さん!
何千年もの歴史を持つ漢字にも女性が搾取されてき……「取」って、戦で敵兵の耳を切り取った様子だってーーっ!!怖すぎるがなーーーっ!!
もう「男」も「女」も「妻」も「嫁」も「取」もフォントをいじって、自分のPCでは表示させないように……ん?「示」って、生贄から血が滴ってる様子を表してるだってーーっ!?動物愛護家である私にプギャーーーッ!!
“フェミニスト”の人達って大変ですね。
こういうアジテーターがぎゃーぎゃー騒ぐとそれに応えてしまうのが日本人の弱さ。社会はどんどんバカになっていきます。
「嫁」の字で騒ぐのも、アジテーションは功を奏すことが分かった上のことかもしれませんね。
本当のフェミニズムとは何か
本当のフェミニズムとは何かについては、以前に書きかけたものがあって、後日改めて投稿する予定です。
が、自分のことをフェミニストと思っている人の中で、ここで取り上げたブログのようなものなんぞフェミニズムではない!と思う人は多数いるはずです。
アレは差別だ!コレも差別だ!と喚き散らす上に、それを差別と規定することによって生まれる別の問題や、根本的な解決法についてはこれと言って書いていない。なんというか、子供のごっこ遊びレベルなんですよね。
でも、ある種の人達にとってはこういう分かりやすいのが好まれるんですよ。ブログですんごい高収入あげてるってことだから、毎日1桁アクセスの当ブログから見れば羨望でしかありません。
私はと言えば、「男女には能力差がある」と言えばフェミ方面から叱られ、「ベビーカーで電車に乗って何が悪いんだ」と言えばエセ保守から叱られ、とかくにこの世は住みづらい……。
「本当のフェミニズム」について少しだけここで書いておくとするなら、男女のセックス(生物学)上の差異とジェンダー(社会学)上の差異をどう区別し、どの辺でバランスを取るかが大きなポイントです。
イタいエセフェミニストはこんなこと考えなくて良いから楽なんです。「嫁という字は差別だー!」などと喚いていればイタい読者が寄ってきてお金も稼げます。
私は「そもそもなぜ女は家にいるものだったのか」を生物学的にアプローチした上で、これをどう現代的なジェンダーにフィットさせるかを考えます。埋めようのない生物学的差異の問題として女性専用車両に賛成します。「肉体面だけでなく、将棋が得意・不得意も生物学的差異ではないか」と、デリケートな部分にも踏み込みます。
ということで、この続きはまた後日に。
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