女性閣僚が少ないのって何か問題ですか?

男女平等 ジェンダー
スポンサーリンク

ジェンダー論争の頭の悪さ

菅新内閣における女性閣僚の少なさが話題になっています。

話題になっているというのは、どうやらネガティブな意味でのようですが、女性閣僚が少なくて一体何が困ると言うのか、私には分からんのです。男性が少なくても同様。優秀でさえあれば、男女など関係ないと言うのが男女平等のはずですから。

ジェンダー論争って、政治ネタがすぐに「ネトウヨvsパヨク」の頭の悪い対立構造になるのと同じで、不毛になりがちなんです。

女:女性はこれまでの歴史でずっと不当な扱いを受け、人権を蹂躙され続けている!私の賃金が低いのも、子育てノイローゼになるのも、郵便ポストが赤いのも、全て男のせいだ!

男:男女平等が良いなら風呂屋の仕切りも外せ。オリンピックも男女混合でやれ。生理休暇なんて廃止しろ。

……極端に言えばこういうノリです。

今回の女性閣僚の少なさという論題もともすればこういう感じになっちゃうんですよ。そしてその原因は、

・女性閣僚が少ないことの何が問題なのか

ということと、さらに、

・それが問題だとしてその原因は何か

という基本的な着眼点がすっぽり抜けているからです。

 

男女格差は上っ面の数字だけを見てもしょうがない

政治家の数の男女差について、

「男女の数はほぼ同数で、それぞれに優秀な人たちがいるんだから、政治家だって同数いるのが当たり前だ」

と聞くと何とももっともらしく聞こえます。

しかしですね、閣僚(政治家)の数とか男女の賃金差とか、分かりやすい数字を持ち出して「男女平等」を語るのは、私から見るとバカバカしい話で、これらは結果に過ぎないのです。その前段階には人間を作る教育と言うものがありまして、そこに着眼するとですね……。

例えば東大生の男女比を見てみると8:2ですよ。京大でも7.5:2.5くらい。少なくとも学力的に優秀な人間はその数において男性が圧倒してるんです。

学力に差があれば、政治家や幹部官僚になる人の数、会社経営者になる人の数、収入が変わってきて当然ですね。

すると今度は学力の男女格差という問題に移ります。

それは子供が男か女かで、親の子に対する学力向上の意識が違うからだ。

それもあると思います。女の子にはそれほどの学力は要らない、と。

が、そこまで単純な話でもなさそうというデータもありまして。

例えば、偏差値がそこそこで菅総理の出身大学である法政大学を見てみると、国際文化学部という何を勉強するのかよく分からない学部だと、34.5%:65.5%で女子が圧倒しているんですが、政治に最も関係が深いであろう経済学部では73.8%:26.2%で、女子は4人に1人しかいません。「グローバル教養学部」といういかにも歴史が浅そうな、これまた何を勉強しているかよく分からない学部もまた、女性が61.8%で多数派になっています。

この傾向はどこの大学でもほぼ同じで、大学全体の男女比がほぼ1:1でも学部別で見ると男女比は全く違ってきて、理系の度合いが強くなるほどの女子学生の割合は減っていきます。例えば法政大学理工学部だと女子は13%しかいません。経済学部は一般的には文系にカテゴライズされますが、実際の経済学は数字にまみれており、難解な数式がわんさか出てきます。

早い話、女性は数字や論理を敬遠するのですよ。

問題は、その男女差が生得的なもの(セックス)なのか、社会的なもの(ジェンダー)なのかという点です。

この辺のことを考察し、解決法を考え、その上でなお「妊娠・出産・子育て」という抗いようのないセックス差が浮き上がってくるわけですが、今巷で論じられるセックス・ジェンダー論は極めて稚拙だとしか言いようがありません。

 

生物学的な性差が脳に及ぼす影響は結構ある。が、しかし…

私の肌感覚で言えば、人間の脳には割とハッキリした性差があって、そもそも女性は理系学問や歴史に興味が向きにくいという性質を感じます。囲碁・将棋における男女の実力差が極めて大きいことも、脳の性差が原因ではないかと思っています。

とは言え、社会的要因も十分に考えられます。現代においても男の子と女の子では、親の学歴に対する意識は結構な違いがあるのではないでしょうか。場合によっちゃ進路相談において、理系を希望しても教師に「お前は女の子なんだから」と窘められるなんてこともあるそうな。

HKT48の歌に『アインシュタインよりディアナ・アグロン』という結構強烈なタイトルの楽曲がありますが、これを「おっさんが女の子に歌わせている」と見るか、「女の子の気持ちを絶妙に表現しているので女の子が喜んで歌っている」と見るか、ですね。

いずれにせよ、私が「肌感覚」と言ったところで私の主観でしかなく、それをもって男女の脳には決定的な違いがあるなんてことを言えるわけがありません。しかし少なくとも、学歴にはかなりの客観性があって、今最も信頼できる指標ではあるわけです。

 

まずは客観的指標を作ろう

学歴以外に客観評価軸を作るとしたら、私がかねてより提唱する「国民検定」みたいなもので点数を付けるのが良いでしょう。

例えばですね、政治・経済に関する知識という観点で、問題を出します。「日本の防衛予算規模」「税収総額に占める消費税の割合」「省庁を全て答えろ」「GPIFとは何か」ってな質問を男女1万人ずつにぶつけると、その正答率には男女でかなりの差が出てくると思います。

こういうテストをちゃんとした形(広い分野で)にして実施すると、その人の知的スペックが出ますから、男女差も、さらには学歴も関係なしにその人の知性を評価することができます。「あ、この人は高卒の女性だけど、政治A経済S数学B歴史Aで相当信頼できるぞ」とか「あいつ外務大臣のくせに英語Cじゃねーか」みたいにね。

社会的要因については、風潮を正していくしかありません。性別に縛られることなく、もっと自由かつどん欲に勉強し、望む職業に就くべきだと思います。

 

科学的に正しい認識をした上で社会的な正解を導く

私は脳の構造が男女で違うと思っているので、機会を平等に与えてもそこにはクッキリとした性差が表れると思っています。が、これは差別ではなく、学術的な観点からの区別です。差別というのは「だから女は政治家になるべきではない」という主張のことを指します。

私の主張はあくまで、「男女に差はあろうけれども、女性であるというだけで才能を埋もれさせてしまっている女性は間違いなくいるだろうから、そういう人材が遠慮なく社会の上の方に出て来れる地盤を作るべきだ」というものであり、言い換えれば女性を不当な差別から解放するという方向性のものです。

今回の総理代替わりでも、にわかに野田聖子と稲田朋美という2人の女性議員の名前が上がりましたが、2人とも「女性」をキーワードにしている時点でダメなんです。

女性が社会で活躍できるようになる地盤を作るには、「女性」(性差)を感じさせず、男と同じ仕事ができることを示すしかありません。淡々粛々と職務をこなして実績を積めば、おのずと差別・偏見はなくなっていくはずです。

「女性議員を増やす」とか「女性の励みになる」とか、それは手段であってゴールではありません。そもそもそんなことを言ってる稲田議員は、国会答弁で返答に困って涙流してましたからね。「これだから女は…」などと言われる元凶でしょう。

上っ面の女性差別解消は、根本的なところでより大きな女性差別を促進してしまうことになる危険性を孕んでいるわけですよ。

 

にほんブログ村 ニュースブログ 話題のニュースへ

コメント

タイトルとURLをコピーしました