橋下徹の「三角関数不要論」
これをネタにここぞとばかり、
「橋下は自分の興味のないことは切り捨てるという考え方」
「金儲けに必要のない学問は教える必要もないと言っている」
などと妄言を吐くツイートを見かけましたが、橋下さんはそんなこと言ってないのですよ。
橋下氏が指摘しているのは、学校で教えることに意味がないという意味での「三角関数は死に知識」と言うことであって、「三角関数が必要ない」ということではないのです。
これ、私も大いに賛成です。
三角関数は基礎教養の限界を超えている
学校で習うことのうち、どれほどが将来役に立つかってのは明確に言えることじゃありません。
例えば八百屋さんを経営するにも、コストと売り上げの2本の直線を引いて、その交わる点が損益分岐点で…みたいなことが理解できなくてはいけないし、それはまさに学校で習う一次関数です。
これが二次関数ってなると機会がぐっと減ると思うんですが、それでも二次関数が描く曲線は「放物線」であり、それは文字通り、ボールを投げた軌跡そのものなんですね。つまり、身近に見られる現象を記述しているわけで、感覚的な理解が可能です。
これを進めていった時に、大体微分積分あたりが「基礎教養」としての限界だと思うんですよ。あ、私の感覚ではね。
これが三角関数となった途端、訳が分からなくなるんです。これやってて一体何になるの?と。
「わかる」という実感
私が学生の頃、パソコン持ってまして、ちょっとしたプログラミングも自分で作れたんです。で、テレビゲームも好きだったんで、テレビゲームでやってるようなことを自分で再現するみたいなこともやってたんです。
二次関数を覚えたらすぐ、パソコン上で「跳ねるボール」を再現して「ワーイ!」などと喜んでたんですが、三角関数を教わった時もそうでした。我々が何気なくやっているテレビゲームの動きも、三角関数は使われまくっています。具体的には、「任意の角度でキャラクターを動かす」と言った時に三角関数は必須なんですよ。「お、これでグラディウス自作できるやん!」とアホなこと言いながら、キャラクターを動かすプログラムを組んだりしたものです。
これ、私がパソコン持っててテレビゲームも好きだったから、「三角関数」という知識に命が吹き込まれたのであって、そうでないほとんどの人にとってはやはり「死に知識」でしょう。ただお経を暗記させられているようなものだと思うんですね。
それって学校で教える意味があるんでしょうか?
なんてことを言うとですね…
後に役に立ったって人がいたとしても…
職人の父親に「三角関数を使えば一発」と教えたが理解されなかった話「三角関数使わずに試行錯誤でやるのは無理がある」 – Togetter
というような主張をする人もいます。
この方の仰ることはよく分かります。世の中には三角関数が必要な職業があるのは間違いないんです。建造物の設計や電気工学とかですね。
でもですね、そういう職業に就いた人は、高校で三角関数を習ったからそういう職業に就いたのではないと思いますよ。習っていたとしても、資格試験を勉強する時にどうせやることになるでしょ?
仮に、本当に学校で教わった三角関数のおかげで、後に設計士なりなんなりになれた人がいたとして、そういう人を1人作り上げるために費やすコストの割が全く合わないと思うんですよ。
死んだうちのじーさんはまさに電気回路と建造物設計のプロだったんですが、大学は文学部出身でした。電気回路と建造物設計というバリバリの理系学問はほとんど独学で習得したものです。
興味さえあれば、教師も学校も要らない
何が言いたいかと言うと、何かに興味を持った者に必要な物は参考書であって、教師でも学校でもない、ということです。
「勉強は直接的に役に立つものでなければいけない、という考え方は間違っている」
という意見は、端的に言って大げさなんです。
それを言い出したら、そもそも実質的に学習することを強制している今のやり方そのものに疑問を持つべきです。
彼らは、「子供たちは探求心で溢れていて、勉強したくて、研究したくて、新しい知識を得たくてたまらないものだ」という空想的前提でモノを言ってるんです。子供の好きにさせてたら、そもそも勉強なんてしませんよ。
学校では柔軟に選択させるべき
話を戻して、橋下氏の言っていることは「学校で三角関数を教えるべきではない」ということではなくてですね、「なるほど、面白いな」とすら思えない死に知識を強制的に教えるのではなく、もうちょっと早いうちに選択制にでもしたらどうか、という趣旨だったと記憶しています。
英語の授業なんかも同様で、高校の時にイギリスから来た留学生が「日本で教えている英語は、イギリスでは古文だ」と言ってて笑ってしまったんですね。だから、中高大で8年勉強したって英語で挨拶すらろくにできないんです。
これは教育に「その先のビジョン」がないせいです。「英語を話せたら外人と話せるんやで!めっちゃおもろいやん!」というビジョンがあれば、今のような英語教育ではなく、ネイティブ講師を雇うのが当たり前で、会話中心の授業になっていたでしょう。
同じようなことは、「坂本龍馬も吉田松陰も教科書から消える」問題の時にも言いました。
すなわち、坂本龍馬のことを教科書に一行書いたところで、坂本龍馬の魅力なんか伝わるわけがない、と。しかるべき感覚の持ち主であれば、教えなくても坂本龍馬に興味を持つだろうし、『龍馬がゆく』を買って読むだろう、と。
三角関数も同じ。三角関数を教えるくらいなら、その時間を「三角関数を使う職業」の紹介に使うべきです。設計とはどういうものか、我々が住んでいる家はどうやって設計されているかという社会勉強をもっとすべきじゃないですか?
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