龍馬を教科書から消すなんて!
この記事がちょっと面白かったです。
坂本龍馬や吉田松陰が高校の歴史の教科書から消えるということが話題になりました。それを受けての歴史研究家・河合先生のご意見です。
私(を含め、きっと多くの若い日本人)は、坂本龍馬が昔から近代日本の英雄であったというイメージを持っていました。
しかし最近になって、本当は坂本龍馬なんて「知る人ぞ知る」程度の存在で、多くの日本人の常識となったのは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が大ヒットしてからの話、ってなことになってきました。
ところがところが、河合先生によると、戦前から龍馬は英雄であり、ちゃんと教科書にも載っていたんだと。こんなつい最近の話まで、情報が錯綜するんですね。
で、河合先生は、坂本龍馬の功績を考えたら教科書から消すだなんてとんでもない、というご主張。
わかります。私も坂本龍馬は大好きで、その功績は大いに称えるべきです。
「歴史の授業が嫌い」と「歴史が嫌い」は違う
しかし、私と河合先生の間には大きな違いがあって、私は「歴史が嫌い」なんですね。正確に言うと「歴史の授業が嫌い」であり、学校で教わった歴史は、はっきり言って何の知識にもなっていません。あ、私には、ですよ。
歴史だけではなく、地理や経済など社会科系の授業が苦痛で苦痛でなりませんでした。感覚として頭に入ってこない、ただのテキスト情報を暗記するだけのテスト。何の役に立つんだ、と。
そんな私が歴史を好きになったのは、半分は、歴史についての浅学や読書が苦手というコンプレックスを解消すべく、吉川英治の『三国志』や司馬遼太郎の『国盗り物語』なんかを自発的に読み始めたのがきっかけです。後の半分は、というか坂本龍馬に関しては、武田鉄矢&小山ゆうのマンガ『お~い、竜馬!』がきっかけだったと記憶しています。
歴史にはそんなに興味はないけど、マンガなら読める。小山ゆうの絵は嫌いだけど、武田鉄矢が原案なら面白そうだ、と。実際読んでみたらめちゃくちゃ面白いマンガでした。そしてその後、司馬の『竜馬がゆく』や山岡荘八の『坂本龍馬』なんかも読みました。前者に至っては3回読んでます。そうなると、幕末全体に興味が湧いていろいろ読んだりするようになります。
歴史の教育に必要なのは「教師」ではなく「語り部」
これらのマンガや小説と、歴史の授業では何が違うかというと、語り部がいるかいないか、なんですね。歴史の授業は知識の詰め込みですから、カリキュラム通りに満遍なく、そして滞りなく教える必要があります。時系列にそって事実を教えていくのが学校教育上の「歴史」です。
ところが、私のような人間にとってこの教育は実に相性が悪くて、何一つ頭に入ってきません。武家諸法度だの十七条憲法だのと言われても、感覚を素通りしていくのです。
歴史が得意だった人は、幼少期にマンガの『日本の歴史』シリーズなんかを読んで、予めある程度のイメージが出来たのではないかと推測します。私は全く読まなかったので、ただのテキスト情報でしかなかったんですよね。
いやもう、だったらですね、小学校からマンガで歴史を教える授業やってくださいよ。
「だまれ、ゆとり!」
という声が聞こえてきそうですが、そのおかげで中高の歴史の授業、のべにすると何時間になるか分かりませんが、その時間全てを私は無駄にしたんですよ!
一度歴史オタクに好きなように授業をやらせてみたら?
歴史の先生だって当然歴史が好きだから歴史の教師になったんであって、その中でも自分の好きな歴史上の人物がいるはずなんです。本当は織田信長だけで半年間やりたい先生だっているかもしれないし、長宗我部家から見た戦国時代を語りたい先生だっているかもしれません。つまり、先生が「教科書を読むアナウンサー」ではなく、熱く歴史を語る講談師のように授業をやってくれたら私みたいな歴史オンチでも興味を持てたはずなんですよ。
もちろんそんな授業をやったら、知識に偏りが出ます。でも良いではありませんか。興味さえ持ったら後は自分で調べるんだから。現に私は、『お~い、竜馬!』から始まってその他の小説やドラマを見倒したんだし。
てなことを考えたら、少なくとも私のような人種にとって、坂本龍馬や吉田松陰という「人名」が教科書に残ろうが消えようがどうでも良いことなんです。うちには子供がいて、彼らの教育に深く関わることではあるんですが、彼らにとって必要なのは「いいか、龍馬というのはな…」と暑苦しく語る語り部たる親父であって、教科書の役割なんぞ大したことはないと思います。
時代考証がどーだこーだうるさい!
ついでにもう一つ。
歴史オタクの中には「時代考証がなってない」と言って、そのマンガやドラマの価値自体を貶めたがる勢力がありますが、全くもってナンセンスです。お前、そんなこと言い始めたら、坂本龍馬を福山雅治みたいなヤツが演じること自体おかしいやろ、と。いや、分からんではないですよ。劇団ひとりが演じるジョン万次郎の土佐弁のイントネーションがおかしかったり、日本語が一切ない環境で英語を習得したはずの万次郎がカタカナ英語の発音したりとか、おかしいですよ。だからといって、ドラマ全体の価値がなくなるかと言ったらそんなことはありません。特に西郷隆盛の物語に初めて触れる人にとってはどうでも良いことです。
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