自動運転は完全自律式でないとダメ?
かなり昔に書いた記事をなぞることになりますが、「自動運転において道路に通信機を設置するという発想は世界から遅れを取ることになる」という主張について。
私は「そんなアホな」って思いましたよ。
元々この発言は辛坊治郎氏のものなんですが、その根拠は、完全独立式こそが世界の標準であって、海外で売れないとかそういう理屈でした。
しかしですね、通信機器の設置のコストとその効果を考えた場合、この考え方はいかにももったいない。機械やコンピュータのことをよく分かってないのではないの?と思っちゃうんですよ。
そもそも、日本と欧米では走行車線が逆だし、標識の文字も違います。信号も微妙に違うし、道路交通法も違う。すると、どっちみち輸出入の際は何かしらのローカライズが必要になるはずです。
だったら、ですね。自動運転車はとりあえず完全自律式で作動するようにしておいて、通信機がある場合には情報の出し入れをしてより速く、より確実、より効率よく作動できるようにしておけば良いのではありませんか?
通信設備によって圧倒的に効率の良い走行が可能に
例えば、完全自律式の自動運転の場合、角を曲がった先の歩行者を感知することは基本的にできません。
正確に言えば、設置されたミラーを確認するとか、わずかな音を感知するとか、基本的には人間と同じことをより高い精度ですることしかできないわけです。
もし交差点にセンサー&通信機があれば、全方向にどんな障害物や歩行者・自転車が存在するかが交差点に入るまでに把握できます。
特に力を発揮するケースがちょいちょい問題になる老人や無法者による暴走です。こういった不規則走行する車両がある場合、自律式自動運転にはかなり低いところで限界がきます。青信号で渡ろうとしたら、赤信号を無視する暴走車に側面がぶつけられるという事故は、完全自律式自動運転でもあり得るわけです。
一方、道路にとりつけられたセンサーが情報を教えてくれるなら、これを回避することができちゃうんですよ。
あるいは、道が狭い箇所、山道など、対面通行なのに車1台分しか通れない幅の道路が全国あちこちにありますが、完全自律式で対応するのは非常に難しいと思われます。通信機能を備えた自動運転車の場合、どちらが道を譲る方が効率的かを瞬時に判断して、場合によってはシンクロ運転で数台が一斉にバック、速やかに走行できるなんてことが可能になります。
あるいはまた、機械による通信が可能な場合、信号を設置するにしても人間向けに大掛かりな視覚依存型信号は必要ありません。おそらくポケットWi-Fiくらいの通信機器をソーラー充電で作動するようにしておけば、よりスムーズに(つまり、バックすることなく)道を譲り合うことだって可能になるはずです。
自動運転用信号はめちゃくちゃ安くつく
現在の信号機は1交差点あたり470万円かかるんだとか。今LEDの低コスト機に切り替わりつつあるので、もっと安いんでしょうけど、それでも数百万円レベルでしょう。
もし自動車が100%自動運転に切り替わったら、少なくとも自動車向けには視覚型信号機は必要なくなります。その代わりにセンサーと通信機を置いたとしてもせいぜい数万円。
物凄いコスト削減になる上に、交通の安全性も格段に増すことになるわけですよ。
本当にそんな安くつくのかと疑問に思いますか?
考えてみてください。今市販されているドラレコ、1万円前後で必要十分な性能を持っているんですよ。国産無線ルーター、300Mbpsの性能を持ちながらで5千円を切るんですよ。
家庭用と一緒にするなって?いやいや、家庭での使い方の方がはるかに性能が問われるんです。今皆さん普通にWi-Fiでデータ飛ばしてYoutubeやらhuluやらの動画観てると思いますが、あれってとんでもないデータ量を扱ってるんですよ。
交差点にカメラなどのセンサーを置いたところで、その画像データを転送する必要なんてありません。そこに車や歩行者がいるかどうかだけを判断できれば良く、交差点に近づく車に対しては「許可」「禁止」のどちらか、コンピュータ的に表現すれば、たったの1ビットのデータが送れればそれで良い訳です。もっと複雑な情報を送るにしても1バイト(=8ビット=文字1個分)あればお釣りがくるでしょう。それを100台の車に同時送信したところで、ツイッターの1投稿分に満たない程度のデータ量なんです。
もっとも、これはあくまで極限のシンプルなモデルであって、実際にはそこまで小さな情報量とはいかないでしょう。が、今我々が日常的に使ってる情報量に比べると、屁みたいなものには違いないでしょう。
これ、使わない手はないでしょう。
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