ついに始まった日本維新の会代表選。しかし松井代表の振る舞いが支持者のテンションを下げることに……というお話。
代表選に「政策論」は不要なのか?
代表選にあたって、松井代表は「政策論は関係ない」と言いました。これには代表選候補者を含めて多くの支持者からも「?」の声が上がりました。
しかし私は分かるんですよ。
これが自民党であれば話は別です。自民党の代表(総裁)になれば、それは即ち総理大臣になるということであり、組閣人事権を持つということになります。つまり、代表個人が持つ政策論がそのまま行政の方向性として反映されることになるわけですよ。
いや、本当ならこの話は一般化して「いい!」とか「ダメだ!」とかって断言したいところなんですが、やはり特殊事情を勘案しないといけないと思うんですね。そういう意味で、松井さんが「代表選は政策論を語る場ではない」とあたかも一般論みたいな感じで断言しているのもまた問題があるのかなと。
さて、目下のところ組閣を考える必要のない維新の事情を考えると、「政策論」ではなく「政策アピール論」と「ガバナンス論」こそが論じられるべきかと思います。松井代表の場合、それらすら必要なく、ただただ「組織を纏められる人間こそが新代表に」という理念をお持ちのようですが。
代表選において政策論を語ることの是非ですが、ある人は「先の参院選で維新は負けたのだから総括として政策論をすべき」と主張されていましたが、そもそも今回の代表選は松井代表の【引責辞任】ではなく、ずっと前から辞めると言っていた松井さんがこの任期を選んで辞めるだけのことです。選挙の総括は必要かもしれませんが、先の選挙が勝ちだったのか負けだったかもよく分からないのは、総括そのものをしていないからであって、それは代表選とは別の脈絡としてあるべきものでしょう。
選挙で負けたら「政策」を変えなくてはいけない?
ある政党が選挙で大敗するとその党首が引責辞任するというのは、ある程度の規模の政党になったら当たり前のように見られる慣習です。
が、党首交代は何のためにするのでしょうか。
その目的がもし「政策変更」なのであれば、それはそれでおかしな話で、選挙でウケが良いから/悪いからで政策は変えても良いものかと。例えば、「社会保障安定のため消費税率を上げます」と言って選挙に臨んで大敗したからと言って、次の日から「消費税撤廃します」と言い始めて、そこに説得力はありますか?という話です。
民主主義なのですから、有権者に理解してもらわなくてはいけない。でも「理解してもらう」は「阿る」とは違うはずで、阿って政治をやってきたのは自民党ですよね。少なくとも維新は、合理主義で進んでほしいので、政策論は政策論として党内で常に研鑽し、選挙に際して評価されるべきは「政策アピール術」であるべきではないかと私は思います。
松井代表の無礼
ある人いわく、代表選に際してのマスコミから質問で「足立議員はもっと仲間を大事にしろ」と答えた松井代表は足立議員の推薦人に対して失礼ではないかと主張されましたが、私は全くそうは思いません。失礼と言えば、足立議員は党内議員やその支持者に対してもきわめて失礼な言動があり、それこそ問題視されるべきでしょう。実際、足立議員には常にきな臭さがまとわりついており、それが一般選挙や代表選に一定のネガティブな効果を与えているのは間違いないと思います。松井代表は上司としてそれを改めて諭しただけでしょう。推薦人だって足立議員の過去のあれこれを知った上での推薦ですから、今更失礼もクソもないでしょう。
しかし、松井代表が足立議員や東議員に対し「なんで出馬するのか分からない」などと言うのは明らかに無礼です。少なくとも足立議員は独自のガバナンス論を唱えており、最低でもそれには目を通した上で「意図」は語られるべきです。東氏だってその後明確な出馬意図の表明があったかもしれません。
代表選の役割とは
この松井代表の無礼が割と重大なのは、維新のイメージを棄損しかねないからです。維新と言えば、若く合理主義的な、そして何事も公正でオープンな政党を目指しているはずで、国民からも一定割合でそういうイメージを持たれていると思います。
今回初めて行われる日本維新の会代表選に我々支持者の多くが期待したのは、こういったイメージの増強による維新のアピールでした。それが蓋を開けてみると……。
松井さんのお気持ち推察は後述するとして、少なくとも私のようなライトな支持者が望んでいたことは、とにかく代表選が盛り上がることでした。候補者の主張はもちろん、その他の特別党員、そして一般党員を含む支持者同士が自由闊達に議論を交わし、一般国民の政治参加意識を高め、維新と言う政党を宣伝できると機会という大事な役割をこの代表選は担っていたはずなのです。
松井代表の後継指名?
馬場さんを推すのは事実上の後継指名ではないか?という疑問に、松井代表は「立候補前に名前を出したら後継指名だが、立候補後なので違う」という、分かったような分からないような返答をしました。まあ、たしかに立候補の前と後とではかなり違います。しかし実質上の後継指名ではあるでしょう。
これね、私ならしませんよ。支持者のテンションが下がるから。
「立場を考えて、私は一切口を出さない。それより皆どんどん議論して、党員と言わず、支持者と言わず、維新はこういう政党であるとアピールしてほしい。そういう経緯を経た結果であれば、誰が代表になろうと尊重されるべきだ」
とでも格好つけて言うでしょうね。
でも、「私であれば」以上の指摘ができないのは、この松井さんの態度が普遍的に悪いものとも言い切れないからです。なぜなら松井代表は代表である以前に一党員であり、かつ言論の自由を持っているからです。これを制限するはそれはそれでおかしな話ですから。
ただ、目的を「代表選を盛り上げること」に設定するなら、支持候補者の表明は避けるべきだったでしょう。
松井代表は組織の脆弱性を知っている?
ここで私のツイートを挟んでおきます。
橋下さん引退後の松井さんのご苦労は、我々外側にいるただの支持者や政治オタクでは知り得ないものがあったと思う。やたら党内融和を強調するのは、維新レベルの政党という組織の脆弱さを感覚として知っているからだろう。が、それにしたって、この代表選の見せ方は大いに間違っていると言える。
代表が馬場さんになるならそれで良いし、「後継指名」したって良い。しかし、代表選そのものを盛り上がりを減退させるような言動は慎むべきだ。個々の立候補者が何のために立候補したのかは、個々が説明すれば良いし、立候補した意義が分からないと思えば、有権者が票を入れなければ良いだけ。
以前の維新は、橋下&松井の実質ニコイチ代表だった。対外の橋下、対内の松井という役割分担ができていた。対外代表の橋下さんが引退した後、維新およびその支持者はその2つの役割を松井さんに押し付けた。しょうがないっちゃしょうがないんだけど。
結果、内側にばかり視線が行く松井代表は、外側から見た維新の代表選という視点を持てなくなったのだろう。代表選は維新という政党とその組織内に存在する“駒”をアピールする大チャンスのはずだが、そのチャンスを潰しているようにしか見えない。
東さんが立候補を表明しその翌日に撤回するなど、維新という若さと合理主義をアピールしなければならない政党が、実はいかに守旧的かという逆アピールになってしまっている。出来レースでも何でも良いから、とにかく「どう映るか」だけは意識しなくてはいけない。
注釈。松井さんは自分が維新の求心力になっていることをよく分かっており、その求心力たる自分がいなくなった後の維新を本気で心配しているのだと思います。今、どんなことより優先すべきは、維新と言う組織がバラバラにならないこと。そのためには馬場さん以外の代表なんぞあり得ないということなのでしょう。しかし集団を纏める力というのは言語化あるいは定量化するのが実に難しい特性で、議論をすると浅くなってしまう。討論会などを何度かやればひょっとして……という危惧が松井さんにはあるのかもしれません。
現在の支持者の空気
これが「避けるべきだった」のは、今の維新支持者界隈の雰囲気が殺伐としていることも傍証となります(主観だと言われたらそれまでですが)。松井さんの言動は維新支持者にとって悪い刺激となり、特にその前の発言も含めて足立議員支持者の逆鱗に触れました。
悪いのは松井代表だけではありません。足立議員は「どう良くなるか」のアイデアを持っているのですから、前向きな話を主体に主張すれば良いのですが、「誰があー言った」「今はこんなに酷い」という現状への不満をぶつける様だけが目立っています。それ自体が間違っているかどうかより、「器の大きさ」こそをアピールしないといけない代表選において、執行部との小競り合いを見せることは足立議員にとっても損になると私は思います。
自由闊達な議論はどこへやら。足立議員のガバナンス論を考察する人なんてもはやマニアで、残念ながら各々が各々の立場から敵対勢力への罵詈雑言ばかりが目立つおかしな空気に包まれています。足立さんの主張なんて「党員民主主義」と「党内地方分権」(こちらは私が勝手に名付けてます)の2つのテーマがあって、実に面白いんですが、足立支持者すらこの話をほとんど持ち出さないのはもったいないですね。
というわけであと10日ほどの猶予がある維新代表選。論点と言ったって足立議員のガバナンス論くらいしかありませんが、どなたか解説してくださいよ。私もよく分からないので。
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