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大阪関西万博を総括~「黒字」がバカバカしい理由~

政治・経済

今の自維連立政権のことを語ろうとすると、維新という政党について語ることになり、維新と言う政党について語ろうとするとどうしても大阪関西万博の総括が必要になる。書くのすごい面倒くさいけど、先送りにすると書くタイミングを失うし、決して「書かなくてもいいこと」でもないので、観念して書く。

 

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「万博開催の意義」知ってる?

10月13日、半年間にわたって開催された大阪関西万博は閉幕を迎えた。私も、ちゃんと数えてはいないが、なんだかんだで20回近くは行ったと思う。おそらく一生に一度になるであろう素晴らしい体験だったと言える。特に良かったのは……などという「いち利用者目線の思い出話」は別の機会にしたい。ここでは、政治・社会文脈で万博を総括する。

万博が閉幕し、吉村知事も(特に維新支持者である)大阪民も「大成功」を連呼している。その根拠となるのが「黒字」だ。しかしながら、かねてから言っているように、「黒字」などほとんど意味がない、単に万博にまつわるお金の一事象でしかない。吉村さんは病的なほどに「黒字」に拘ってきたが、さすがにこのことについては吉村さんを目に入れても痛くないほど可愛いがっている橋下徹氏ですら、

と、一刀両断だ。

ではなぜ「黒字」がしょうもないのか、改めて説明する。

そもそも万博開催の意義とは以下のとおりだ。

  • 人類の進歩と国際協力の促進
  • 教育と知識の普及
  • 持続可能な発展とイノベーションの推進
  • 文化交流と多様性の尊重

BIEにおいて「地域の経済振興」といった文言は含まれない。ただ、副次的に期待される効果であると同時に、ある程度金額的な実績が見込まれないと開催はできないという側面はある。にしても、「黒字」と言うのは、「成功」という基準に使われるかなり末端にある指標のひとつでしかない。

 

見るべきは「どれほどの若者が知に触れたか」

維新の政治家が大好きな「愚直」という言葉を使うのであれば、この万博によってどれほどの人が「知」に触れ、どれほどの人が地球規模の課題を共有でき、どれほどの若者・子供がインスパイアを受けたか、という点こそが「成功」の基準である。もちろんそういった基準は定性的なものであって、なかなか定量化はできない。

しかし、【運営費ベースの】黒字みたいなものを基準に成功というくらいなら、「期間中に来場した未成年者のユニーク数」などの方がはるかに役に立つ。2900万人という総来場者数も、相当割合が大阪及びその近辺の通期パス利用者が何度も通った「延べ人数」だと思われ、「どれほど多くの人が体験できたか」は分からない。大阪関西万博は、近隣住民、特に中高年にとっての「コスパの良いレジャー」だったのだ。

……と書いている私は、イタリア館に3度行った通期パスホルダーの中高年なのだが。

 

「黒字で成功」論に即座に飛んでくるカウンター

この「黒字」と言うのは、今さら説明する必要もないが、「運営費」をベースにしてそれを上回る売り上げがあったかという数字でしかない。そもそも営利事業ではない万博で黒字だの赤字だのと言う方がおかしいのだが、仮に黒字を計算するとするなら、主にアンチが騒ぐ「建設費も含む総費用」をベースにしないとおかしくなる。

これは喩えるなら、学園祭での出店で「黒字が出ました」と喜んでいるようなものだ。学園祭の出店は、学校がただでスペースを貸してくれ、来る客が学校が持ってるネットワークをベースにした友人や保護者が主となる。運営するテニスサークル部員の給料なんて出ず、コストがほとんど「材料費」しかかかってないごっこ遊びだ。だからフランクフルトを150円で売っても「黒字が出た」ことにでき、「これで新しいラケットを買おう」などと無邪気にはしゃげる。

だがプロとなるとそうはいかない。家賃も人件費もかかる上に、ゼロから顧客開拓しなければいけない。フランクフルトを400円で売ったとしても黒字が出るかどうかは分からないのだ。

万博の「黒字」は、このテニスサークルの出店で出たそれと同質のものであり、これをもって「成功だ」というのは、どうしようもない〇〇(好きな言葉を入れて下さい)である。

当然ながらこのような詭弁には、先述のようなアンチが喜んで飛びついてくるし、関係のない人が「万博」で検索した時に一緒に目に入る。結果、かえって万博の「成功」が虚構であるような印象を与えてしまう。

残念ながら、吉村さんは万博の意義も、「黒字」が何かも、こんな主張をしたらどうなるかという想像力も足りていない。その証左と言えるかどうかは知らないが、あれほど身内でバカ騒ぎした「万博大成功」の直後のNHK政党支持率調査で、なんと維新は1%台にまで落ち込んでいる。

ある支持者は「なんでやろ」と首をかしげていたが、私からすれば「そらそやろ」でしかない。

 

小さな政治闘争に明け暮れて、大きな政治利用に使われなかった万博

運営責任者に加えて、今宗教化しつつある維新の支持者は、この「万博の成功」を「勝利」という物騒な言葉を使って悦に入った。彼らにとって、「世界で課題を共有する」とか「公衆教育」とかいった本来の万博の意義などどうでもいいことなのだ。

私は早いうちから万博を【大きな視野で】政治利用すべきだと訴えてきた。すなわち、万博は開催が決まった時点で大阪の政治的奇跡であり、あとは丁寧な運営によってそれを全国に知らしめることが肝要だった。万博運営者はこどもや遠方客が来やすいような仕組みづくりを、大阪民は徹底的にホスピタリティーを発揮して、大阪以外の利用者を迎え入れるべきだった。そうやって大阪や維新のイメージをアップデートした先に「政治実績の評価」と「信頼」が生まれ、次の改革(例えば副首都構想)などの土台ができる。

ところが吉村知事と土着維新支持者がやったことは「徹底的な排外」(ここでは詳細は説明しない。過去ログ参照されたし)であり、終始、低レベルな政治闘争にしてしまった。維新に関わりの深い某インフルエンサーまでが「マスメディアは謝罪せよ!」などと瞳孔おっぴろげで叫んでいたのだからどうしようもない。

 

通期パス勢が担った役割

吉村知事は「できるだけ多くの人に」とカッコつけたものの、初期の客足の悪さにビビって、通期パスの入場時間規制をなんと閉幕まで解除した。辛坊治郎氏は「通期パスなんてやめてしまえ」と主張したが、「通期パス制度への批判」と「通期パス利用者への批判」が区別できないアホが、「通期パス勢が宣伝して、何回も言ってお金落としてやってるのに」などという頭の悪い反論をして万博に下品なオーラを漂わせた。

通期パスが20回行くのと、1day勢が20人行くのとで、消費金額が同じだとでも思っているのだろうか。それは「この半年間、財布のひもがゆるんだ」という”自分”の話でしかない。このような〇〇(好きな言(ry)にどれほど知的刺激を与えても何の意味もないだろう。

もちろん通期パス勢がPRの役割を担ったのは間違いない。が、先述の通り、システムがそもそも地元優遇に特化し、ガンギマリ勢が常に目を三角にしてアンチやメディアと喧嘩し、遠方客を遠ざけた副作用はあまりにも大きい。

通期パスを優遇したおかげで、大阪近隣利用者は何度も万博に訪れ、お金も落としてくれた。これは、「赤字回避」の守りの姿勢としては正しかったかもしれない。しかし、通期パスに適切な規制を設けていれば、特に後半、遠方客が行きやすくなり、売上はさらに増えた可能性が高い。

 

小事に拘り、大志を忘れる維新

売上は少ないより多い方が良い。虚構であっても赤字より黒字の方が良い。だが、それはどこまでいっても幕の内の話であって、国民には関係がないのだ。黒字をもって「成功」と言うのは、道理を理解していないガキンチョと言うことになる。

最近の維新、特に吉村政権以降の維新が、「小事に拘り、大志を忘れている」「物事の根本道理の無理解」というのが私の印象だ。万博は悪い意味で、今の維新を象徴することになりそうだという私の予感は確信に変わった。

万博の総括としてはまだ半分くらいだが、とりあえずこの部分が目下の自維連立にも関わってくるため、取り急ぎこの記事を書いている。残りの半分はまたいずれ書く。

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