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維新代表選、俺ならこうする!

政治・経済

悪い予感というのは当たるもので、今回の日本維新の会初の代表選は、外に恥をさらすだけのイイトコなしイベントになりそうです。

 

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一般党員も1人1票という制度の是非

現行の維新代表選の「一般党員も1票の重みは同じ」という制度の発案者は元代表である橋下徹氏の発案だったと言います。で、首相公選制が念頭にあったと。

私はこの制度に大賛成です。一般党員に選挙権の比重が大きいと言うことは、特別党員(平たく言えばプロの議員や首長およびその見習い)は常に一般党員の目を気にしなくてはいけません。ベンチャー政党で勢いがあるというイメージを持たれる一方で、SNS発信が決して活発ではない特別党員も代表選を機に態度を改めるかもしれません。一般党員側も政治参加の意識が高まります。結果、プロの政治家と政治に関心の高い一般人が相互研鑽する形でレベルが高まっていくことになるだろう、と私は思うのです。

そしてこの仕組みの弱点は、結構簡単に乗っ取ることができてしまうというところです。維新が議席を増やし、政界でのプレゼンスを高めていくにつれ、それが都合の悪いという人達にとっては邪魔になってきます。そういう時は実に簡単。年間たった2000円のお金を払って党員になってしまえば良いわけです。ネットフリックス・スタンダードプラン2ヶ月分にも満たない料金で選挙権を得られるのですから、結構お得ですね。

対策は?「衆参どちらかで野党第一党になれば、自民党型の代表選制度に切り替える」とでもしておけば良いでしょう。今のこの制度は、【成長期の維新】にこそ必要です。

 

名前の連呼なんてやめろ

さて、そのような前提で行われた代表選ですが、実際どうなったかというと……。

私は音喜多さんファンですが、代表選においてはいろいろクレームをつけることになります。ご容赦を。

投票方法の説明は結構。大いにやってください。支持候補者の表明、これも良いでしょう。

「投票用紙には“ばばのぶゆき”、”ばばのぶゆき”と書いてご返送を……」

いやいやいやいや、何この一般選挙のノリ

維新支持者が求めてるのは、議員がウグイス嬢になることか?

特別党員は一般党員をアホだと思ってる?

いや、まあ支持してる特別党員が言うんだから……という一般党員だっているにはいるでしょうが、だとしても支持表明するだけで良い訳で、名前の連呼なんかする必要ないでしょ。2000円とは言え、わざわざ自分から金出して党員になってるんだから、それなりに政治意識は持っているでしょう。

ま、出しやすい名前として音喜多さんを例に挙げたけど、他の特別党員さんもやってますね。私は天邪鬼なので名前の連呼なんかされたら「誰が入れてやるものか!」って思いますが。(その前に党員じゃないけど)

【維新の特別党員】がやるべきは、一般党員や支持者に議論を促すことではないですか?支持候補者の名前の連呼なんていう下品で旧態依然としたやり方を見て「維新らしい」なんて思われるでしょうか?

 

空本事件

そういうやり方の極まったのがこちら。大問題になった空本氏のツイートです。

めでたくマスコミにも取り上げてもらいました。

封筒ならともかく、なぜ投票用紙をわざわざポスト前で見せる?問題を指摘されてもなお空本氏は「何が問題なのか分からない」とのことで、さらにその後、脳のMRI写真を投稿するあたり、この人はド天然なのでしょう。

さらに党員名簿を特定陣営に提供するという不祥事まで発覚。ここで分からないのは、「代表選に名簿を活用すること」そのものはどうなのかということ。これがNGであれば「不公平だから名簿を公表しろ」という足立議員もNGということになります。この辺、なぜ選挙前に明確にできなかったのでしょうか。

 

吉村さんの馬場氏支持表明

空本事件で維新支持者界隈が騒いでる中、吉村副代表が馬場氏支持を表明。

このタイミングがミョーだという指摘が相次ぐ一方で、吉村さんの心中を察して(?)なぜか謝意を表明する支持者もいました。

私からすれば、吉村さんへの共感や謝意などとんでもない話です。

この代表選において界隈の言論空間がゴチャゴチャするのは、その場、その時において、その人を主役にした物語を個々が好き勝手に語るからです。

よーく考えてごらんなさい。今回の代表選のゴタゴタは、十分な時間があったのにその準備や覚悟を疎かにした幹部に大きな責任があるのです。吉村さんはその一人なんですよ。

「だって吉村さんは大阪のことで手一杯なんだもん!」

知るか!!

そしたら「【日本】維新の会・副代表」なんて肩書捨てて、大阪府知事の仕事に専念したらええだけのことやないか!!

 

プロの政治家とは

先日ツイキャスで「陰のエネルギー」てな話をしましたが、今まさに維新の代表選は陰のエネルギーに満たされています。(「陰のエネルギー」についてはまた後日ブログで書きます)

「維新の特別党員にさんざん悪口言ってるお前こそ陰のエネルギーに支配されているのではないか」

というご指摘もあろうかと思いますが、単に良いことだけを言うことが「陽のエネルギー」ではないのですよ。普段私が「陰に気を付けろ」という対象はあくまで一般人。一般人は基本的に情弱で想像力が低く他者依存気質で覚悟もない(と言う人が多い)。そういう人は空気次第でコロコロ態度や考え方を変えてしまうので、ひとたび暗鬱で物騒な空気が流れるとそれに共鳴し、無暗に中身のない悪口を放ってしまうことが多くなります。

しかし特別党員は(例外を除いて)基本的にプロです。私の言葉を選ばないツイートに一部の人は一時的に「陰のエネルギー」を感じるかもしれませんが、同時に私は「どうすれば良いか」という前向きな提案もツイートやブログでしています。何より、今指摘して総括し、反省しないと、今後の維新のあり方に大きな悪影響を及ぼす可能性が出てきます。

 

いろんな憶測を呼ぶ源泉こそが陰のエネルギー

今回の代表選では、あちこちでいろんな憶測が発生しています。その憶測は、斟酌もあればいたずらに人格攻撃に繋がる悪い想像だったりします。個々が勝手にその人を主人公にしてポエムを読んだり、悪者にしたりしているわけですよ。

でもね、多くの人は「このような憶測を生む原因は何だったのか」にまで考えが及ばないのです。

欠落した情報については人間はその頭脳を駆使して想像で埋めようとします。しかし、その想像って、悪い方に行きがちなんですよ。以前、姉妹ブログ『犬小屋』でも書きましたが、「考える」という行為は、基本的に悪い方を想像するためにあるんです。生存に有利になるための危機管理のために「考える」訳ですからね。

なので、想像は【憶測】になり、果ては【邪推】となりがちです。

「〇〇さんって前科ありそうな顔してるよね」

「〇〇さんって前科あるらしいわよ」

「〇〇さんは前科5犯だ」

噂話に邪推が加わっておかしな姿になっていくのはよくあること。そしてこれは情弱の大衆としてしょうがないことでもあります。でもリーダーは、そういった大衆の性質まで念頭に入れて、情報を欠落させないようにすべきなのです。余計なことを考えさせないよう振る舞うべきなのですよ。

余計なことを考えさせないためには……、そう、余計なことを言わないことです。

 

 

藤田あきら議員のチンプンカンプンなツイート

ある意味、私が空本事件より重大視しているのがこちら。

これは、選挙制度を再整備して、代表選挙をやり直すしかありませんという足立康史議員のツイートを引用してのリアクションなんですが、コイ……じゃなくて、彼は一体何を言っているのでしょうか?足立さんは不公平・不公正なルールを問題視しているのであって、「負けたら冷や飯」は主題ではありません。そんなことも分からずに……

一般支持者がどれほど代表選を盛り上げようとしても、プロの議員がチーマーの縄張り争いみたいなノリで、チンピラ絡みするんだからどうしようもない。東京リベなんとかみたいなの見過ぎなんじゃないか。

↑俺ツイートです。

こんなの質疑応答として成立してなくて、ヤンキーの見栄の切り合いとかラップバトルとかそういうレベルですよ。アンタ、税金もらって仕事してる公僕じゃないのか?ちょっとはプロの政治家として矜持を持ってくれんと維新支持者としては困るわけですよ。

因果関係を分析してみよう

物理学には「バタフライ効果」と言うのがありまして、「蝶々の1回の羽ばたきが気象に影響を与え、果てはよその恒星の寿命にまで影響するかもしれない」という、簡単に言えば「風が吹けば桶屋が儲かる」っちゅう因果関係を表しているんですが、長期的・広範囲に視野を持てない人は「風が吹く」ことと「桶屋が儲かる」ことの間に因果関係を繋げることができないのです。

例えば吉村さんのツイートは、その時・その場だけだと評価が真っ二つに分かれます。しかし、吉村さんがあんなタイミングでツイートしなければならなかったことや、「謝意」「反発」2つのリアクションが発生した原因は遠く以前に遡らなければなりません。この場合、【因】として分かりやすいのが松井さんの言動ということになるでしょう。松井さんの、まさしく組長バリのドスの効いた発言で東さんは委縮し、「後継は馬場さん」という空気になりました。そのことが行き過ぎた選挙活動や支持者間に漂う不穏な空気を生み、さらには吉村さんがあんなタイミングで支持表明しなければならなかったと。逆に、松井さんが振る舞い方を間違わなければ、吉村さんはあんなタイミングで支持表明する必要もなく、していたとしても反発はあまりなかったかもしれないわけです。

 

初めての代表選は「綺麗ごと」でなければいけない

私だってすでにジジイ。個々にいろんな事情、いろんなしがらみがあり、それが決して悪いこととも言い切れないこと等百も承知。松井さんには松井さんの想い、吉村さんには吉村さんの事情があるでしょう。

しかし。

敢えて言います。

この日本維新の会初めての代表選は、外形的合理性、つまり「綺麗ごと」こそ重視されるべきだった

と。

実質、馬場さんが当選することが決まってたとしても良いんです。(仕組み上あり得ませんが)

今回の代表選は、

●ルールに基づき

●活発に議論が交わされ

●公正な選挙が行われる

という【日本維新の会・代表選のフォーマットを作ること】が何より重要だったはずです。

内側でどれだけドロドロしてようが構いません。中身がゴミ屋敷でも良いから、玄関と庭だけはきれいにしておくべきだったのです。

いずれにせよ初の代表選によって選ばれた代表は、ある程度の「暫定感」は拭えないでしょう。どうせ暫定なら、「誰が選ばれたか」よりも「どうやって選ばれたか」を重視すべきです。たとえ結果が決まっていても、上っ面の幻想であっても、外形的には【ルールに基づいて、議論を交わし、公正な選挙の末】決まったという形が必要だったのです。

それを、松井代表はじめ、特定党員たちが片っ端から余計なことを言って、いらんことをする。一体どこを見たら賢い維新の議員がいるのだろうとさえ思いました。

「余計なことを言うな」はかねてより、私を含めて多くの人が足立康史議員に向けていたクレームですが、どうせ余計なことを言って組織の秩序を乱すなら、まだ唯一まともなガバナンス論を提案している足立さんの応援に回りたくなります。#しつこいようですが、私は党員ではありませんけど。

 

で、結果、誰が得した?

現行制度においては、代表選の投票権は全体の比重から言って特別党員にはほとんどありません。約2万票のうちのほとんどは一般党員なのです。

なので馬場陣営(松井代表)も焦りがあったのでしょう。

内情を知らない素人に判断させてなるものか。

それ、すごく分かるんですよ。どれほどの政治オタクであっても、実際に政治家になり、組織の内側に入ってみないと分からないことなんて山ほどあるはずでしてね。

でも。

しかし。

この制度を選んだのは特別党員なんですよ。発案者が橋下徹であっても、容認し続けたのは現役の維新政治家たちなのです。気に入らなければ制度変更すれば良いだけのことなんですが、結局この制度のまま代表選を遂行しようとしているんだから、それにフィットした形でやるしかないわけです。

しかしその理念はどうやら橋下徹しか持っていなかったようで、蓋を開けてみれば、松井代表は立候補締め切り前から水を差し、他の議員は支持候補者の名前の連呼、果てはバカ議員による愚行、それに伴って名簿の取り扱い問題まで派生。

さて、誰が得したかというと、馬場さんは大いに損してますね。党全体としても不正選挙という乱して新聞に取り上げられ、その名誉を棄損されています。

明確に得したと思えるのは候補者の一人である梅村さんくらいで、残りの人は何もしていなくても維新のブランドが落ちた分だけは損していると言って良いでしょう。

 

パブリックな目線を持て

代表選のゴタゴタ(に限ったことでもありませんが)に際し、特別党員ではないけど党に近いコアな支持者ほど、「個人」に着目して良いだ悪いだの断罪に必死になっている様子です。そりゃ近いところにいるとその人に感情移入してしまうのが人の情けってもんですわな。

しかし、近くに行けば行くほどその対象の実態が分からなくなっていきます。1本の木ばかりに注目していると森全体の様相が見えづらくなっていくのです。

誰が正義で誰が悪か、なんて価値判断は常に相対的なものです。天下を治めた歴史上の超偉人である徳川家康は大河ドラマをはじめ無数の物語の主人公になっていますが、真田幸村を主人公にした『真田丸』では家康も悪役になります。誰か一人にだけ着目し、感情移入していては、「戦国時代とは何だったのか」という本質は見えてきません。

そして維新の代表選の主役は「維新の代表選」でなくてはならないのです。

「松井さんには組織を維持するという使命感が」
「吉村さんもいろんな思いがあってあのタイミングで表明を」

んなこた分かっとるんだって。でもク〇どうでもいいんですよ。皆それぞれに思いがあって、理念もある。今のとこ(バカはいたけど)悪人なんていませんでしたよ。でもそんなことは内側だけで喋ってくれれば良い。

常に俯瞰で観察し、「誰が」ではなく「維新は」という主語で考えれば本質が見えてきます。相対的ではなく、普遍的な正邪が浮き出てくるわけですよ。

「維新は」という主語にすると、「この代表選で維新は国民にどんなイメージを持たれるか、党勢拡大に繋がるか」を考えざるをえなくなります。その尺度において、どんな崇高な気持ちを持っていようが、どんな「ダメ」という評価を下さざるを得ないのです。お気持ちを察するなんてのは甘えでしかないのですよ。

そんな中、ある維新の若い市会議員とお話しする機会があって、胸がすく思いでした。彼はちゃんと空から維新全体を見渡しており、【維新が】得をするか損をするかという普遍的物差しで評価をされていました。

俺ならこうしてた

結局今回の維新代表選は、「制度変更する」か「代表が鶴の一声で良いイメージを作る」かしかなかったのですが、どちらもできませんでした。ずるずる今の制度のまま代表選に入り、本来オープンで爽やかで一般人に政治意識を高めてもらうはずの制度が、全く逆に作用し、規律がなく、ドロドロした選挙をアピールしてしまうことになったわけです。どんな制度も運用者次第。原付免許しか持ってない人が10トントラックを運転するようなものでしょう。

「代表の鶴の一声」とは何か。先日投稿したブログでは、「私が松井代表の立場なら支持候補者の表明はしない」という話をしました。今一度、今度は「支持候補者の表明をする」パターンで書き直してみます。

私はこの代表選においては馬場さんを支持します。それは実績と人格において私が保証できるからです。ただし、私が全てを知っているわけではなく、私の知らない他の人の能力や人格を誰かが知っているかもしれない。なので、私の支持表明に従う必要などありません。私はもうすぐ維新を去りますが、他の人はまだ現役の維新政治家でい続けるでしょう。主役は現役政治家と維新の支持者です。それぞれ情報を出し合って、大いに議論してください。一般選挙のように、候補者の名前の連呼などする必要はなく、有権者にお願いする必要もありません。しがらみがなく、オープンで、国民のことを本気で考えている維新をアピールしてください。この代表選は、「誰が代表になるか」ではなく「どうやって代表になるか」こそが肝要です。

 

ほら、なんて爽やかなんでしょう。

 

あー、しんど。7000字超え。もうやめ。

 

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