参政党の台頭
目下の参院選、どうやら主役は参政党らしい。元々、そのやや過激な政策論と発言でいろいろと物議を醸す参政党だが、ここに来ていろいろと、良くも悪くも目立っている。ただ、悪い方に目立っても、支持率調査において「支持しない」という選択肢が用意されているのは普通政権与党だけであって野党は関係ないし、選挙となっても「マイナス1票」なんて投票はできないので、結果として「目立つ」とは(少なくとも数字の上では)良い方ばかりが目立つことになる。
他の正当支持者も舐めてかかっていたようで、ここ最近の参政党の支持率の伸びには相当な焦りが感じられる。Xを見れば、毎日複数の配信者が「参政党」というキーワードを含めてスペースを開いている。支持者なら党首・神谷宗幣氏を神のように崇め、アンチは「オカルト」「宗教」と呼んで批判する。ちょっとした祭りのようでなかなか興味深い。
参政党とは「暴走する理念」である
私の評価といえば、参政党とは一言で言って「暴走する理念」である。その基本理念は、「日本人ファースト」であり、流入する外国人を警戒し、食料自給率を高め、アメリカ依存度を低めるとするもので、十分納得できる。問題は、その理念から作られる政策の実現可能性がほとんどないことだ。
例えば、「食料自給率100%」などほぼ100%無理である。仮に見かけの食料自給率を上げることができたとしても、食料の生産や調達には【燃料】が必要だ。石油がなくては、いくら海産物が豊富にあっても船を出すこともできないし、いくら美味しいコメが作れても耕運機を動かすこともできない。
日本を石炭中心の産業に戻すか?
参政党は、まさか石炭の鉱山を再開山して石炭中心の工業に戻すつもりなのか?石炭がまだある程度取れたとしても、今の車や船は動かない。全ての乗り物を蒸気機関にでもするのか、あるいは全てを電動にして石炭は火力発電に回すとでも言うのだろうか。
ちなみに、一切の貿易がなくなってもとりあえず何とかできてしまうのは世界でもアメリカだけと聞いたことがあるが、日本は貿易がストップすればその文明は江戸時代にまで遡ることになる。機械が使えないため、国民の多くが1次産業に従事することになり、それでも食料を賄えれるのは3000万人が限度だ。つまり、貿易がストップした瞬間から日本人は人口が4分の1になるまで餓死することになる。
台湾有事は日本有事
台湾有事にしたって、経済評論家の上念司氏が「台湾有事はシーレーンを中国に奪われることになる。台湾有事は日本有事」と参政党に対し猛批判しているように、対岸の火事ではない。なるほど、貿易が要らないと考えるなら辻褄も合うと言えるが、それではやはり日本は江戸時代に戻ることになるということか。
現実目線に戻すと、アメリカですら経済・軍事において多少なりとも他国に依存しているのが現状だ。完全な独立がそんな簡単にできるのであれば、多くの国はやってそうなものだが、現実世界では各国がニューラルネットワークのように貿易のネットーワークを作り、西側であれば30か国がNATOという同盟組織を作っている。
参政党の役割とは
とは言え、である。「日本人ファースト」という理念そのものに共感できるのは私だけではないはずだ。その理念だけが先走って現実的な政策論に落とし込めないのが問題なだけで。
現状、参政党が何かの間違いで連立政権に入る可能性はゼロではない。しかし、参政党の政策が通るような状況にはない。目下、その勢いはかなりのものだが、ここらへんで一旦ピークを迎えることになるだろう。
当人たちはもちろんそんなことは思っていないだろうが、参政党の役割は国防や外国人問題について、日本人に考えるきっかけを与えたことだ。このような政党が政権を握ることもないだろうし、その政策が実現できる可能性もほぼゼロだ。だが、いろんなものが固着した自公政権と立憲民主党のプロレスがだらだら続く政界に流動性をもたらすきっかけにはなるし、それは大歓迎である。
参政党対党は社会不安の証
中国の後漢末期には王朝の腐敗から張角率いる太平道という新興宗教が生まれ、その信者(黄巾賊)達が各地で暴れ回った。三国時代に入るきっかけである。第一次世界大戦後には、戦後の賠償金支払いでにっちもさっちもいかなくなったドイツにナチスと言う民族主義を土台にした独裁政権が誕生したことは皆さんが良く知るところ。
要するに、民衆が大きな不安を持ち、社会が動乱状態になると、宗教や極端な思想を持つ政治集団が勃興するようになるのは、古代からの「世の常」である。そこに、常識とリアリズムに立脚した改革派の政治集団がいればこういう勢力も台頭しなくて済むのかもしれないが、今の日本の政界においては残念ながらそこを担える政党がない。強いて言えば国民民主党ということになるだろうが、この党には全く「大志」が感じられないので、一時的な調整役にしかならないだろう。
本来ならここに維新がいたはずだが、維新の現在の支持率はご存じの通り、下には社民党くらいしかいない見るも無残な状況だ。おとやなコンビ(音喜多・柳ケ瀬)の活発な発信や吉村さんのコント動画なんかで何かちょっと良い雰囲気は醸し出しているような気もするが、選挙の情勢を変えるほどかどうかは分からない。
現実的改革派政党が機能していない以上、「メロンパンを食ったら死ぬ」という政党に大衆が惹かれるのも致し方なし、である。
もう一度言う。参政党はトンデモ政党だが、その理念自体は間違っていないと思う。それに、この手の政党はもし議席を伸ばせば内紛が起こりやすい。エキセントリックな政党のままであればいつの間にか泡沫になるだろうし、”自己修正メカニズム”が作用するなら、現実的路線への方針転換だってあり得る。警戒は必要だが、さほど心配することもなかろう、というのが私の見解である。
政治家なら一般国民の目をこちらに向けさせろ
少し似た話をすると、今維新が主張している医療制度改革や社会保障改革は、国民民主党の玉木代表の「手取りを増やす」政策論が端緒を開いたものだ。かねてから言っているように、私は玉木氏の人間性など一切信用していないが、連日ワイドショーや報道番組で「103万の壁」について語られるようになったことのきっかけを作ったことについては称賛すべきだろう。
「同じことを維新も言っていた」と言うが、伝わっていないのなら言っていないのと同じである。かつて支持者だった私から見ても、維新の発信は必死に伝えようとするようなものではなかった。
「言う」と「伝える」は全く別だ。「言う」のは勝手にやれば良いが、誰にも聞こえないような声でボソッと口から出すのも「言う」になる。「伝える」ためには【嫌でも相手の耳に聴こえる声で】「言う」必要がある。これは政治家のみならず、人生においても非常に大事なコミュニケーション論の基本中の基本であり、私も子供たちにこれを教えている。
ましてや党勢拡大および改革の実現を図る政治家ともなれば、わざわざ自分の話を聞きに来てくれた目の前のお客さんではなく、その後ろを通り過ぎようとしている無関心な一般人を振り向かせなければいけない。ちょっと前の国民民主党にしろ参政党にしろ、あるいは日本保守党にしろ、一定レベルでそれを成功させている。
一方、維新と来たら……ってな話をまた書きます。



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