自分がいつどうやって死ぬか自分で決める時代が来る

社会

「2つのフロー問題」の2つ目、「不老問題」です。

自分が死ぬタイミングと方法を自分が決める時代

有史以来、我々人類が作り上げた人生哲学には「人生は有限であり、人には等しく死が訪れる」という大前提がありました。しかしその大前提も間もなく崩れ去るでしょう。私の見立てでは30年もあれば十分です。

「人間は必ず死ぬ」と言うのは「ロボットが人間を超えることなどない」と同様、経験則でしかありません。

クローン技術という神の領域に手を出したのももう何十年もの大昔。今は遺伝子を直接操作でき、iPS細胞によって部位別再生なんてこともできます。あとは、産まれる前ではなく産まれた後の動物の遺伝子編集や、細胞分裂の回数券と言われる「テロメア」の修復技術なんてものが実現すれば、理論上「不老不死」はできてしまうことになるでしょう。

地球上には複数の独裁者が今でもいますが、彼らのような人種は何の躊躇いもなくこういった技術を受け入れるでしょうね。中国の過去の皇帝たちが不老不死の秘薬を求めたように。

しかし、そうではない普通のメンタリティーと平凡な環境にいる我々庶民は一体どうすべきでしょうか。概ね我々が死ぬ時と言うのは脳も肉体もそれなりに劣化していて、少しずつ死を受け入れる態勢を作っていくものです(と言ってるけど私はまだそういう年齢でもないのでかなり無責任に言ってます)。しかし、医療技術の進歩で健康がずっと維持でき、肉体は元気はつらつ、頭も20歳の時の明晰さを持っている状態で、「そろそろ死にますか?」と言われて「はい」と答えられるでしょうか。

これは究極の問いかけです。

自分が齢を取らないのに子供を作ろうとするでしょうか。作ったとしたらその子も20歳のまま、さらにその子供も20歳のまま、全員死なずに人類が無限増殖?それはマズいからと子供を作らずにいたら、同じメンバーの人間が未来永劫「人類」をやっていくわけですか?

本当に難しいですよ。そんな世界を想像もしたくないけど、今の我々は老化に抗おうとして、サプリを飲んだり、健康に良い食事と運動を心掛け、美容整形をし、増毛剤を頭に塗りたくっているのです。その方向のずっと向こうには「不老不死」があるわけで、それが実現した途端「いや、加齢には抗いたいが、齢を取りたくない訳でもない」「長生きはしたいが永遠の命がほしい訳でもない」と訳の分からないことを言いだすことになります。

「不労」ならまだ遊びを探すことで解決できるかもしれませんが、「不老」の方は実に厄介です。「不死」の技術が目の前にあるのに使わないのですか?使わないとして、では「不老」の方はどうでしょう。「不老」は良いけど「不死」は嫌?そんな都合の良い選択ができるでしょうか。

当然ながらこの「不老」問題はSFの物語が現実になるような大きな問題であり、「不労」とは異質です。しかし、もし私の予想通り30年以内に技術が確立されれば、今の30~40代以下は直面を避けられない問題であり、その時人間はどう振る舞うべきかを考えなくてはなりません。

あるいは法律で限界寿命を決めてしまいますか。「150歳で有無を言わさず死ななければならない」とかって。そうでもしないと、それこそ世界の独裁者はこの技術で永遠の命を手に入れてしまうことになります。イーロン・マスクだって何十兆円もの資産を相続もせず、国家に召し上げられることもなく、永久にこの世の春を謳歌することになります。

まあ、単なる金持ちならまだ良いんですが、政治権力を持つ悪人が永遠の命なんて手に入れたら、その人はこれまで以上に暗殺に怯えるし、敵対勢力は戦争のインセンティブを持ってしまうことになるでしょうね。

 

さて、この2つのフロー問題、「不労」と「不老」は、我々に哲学のゼロから書き直させることを要求してきます。我々、あるいは我々の子孫はその哲学を作り出せるでしょうか。

これからの人類に立ちはだかる「2つのフロー問題」
ハラリ『サピエンス全史』、岡田斗司夫『ぼくたちの洗脳社会』、トフラー『第三の波』の紹介。そしてこれからの人類の大問題、「不労」と「不老」という2つのフロー問題を提起します。

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