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兵庫県知事選に行く前に読むブログ

政治・経済

渡瀬元西播磨県民局長による“告発”文書が出回りました。

……えーっと、例によって中略です。概要についてはChatGPTか何かに聞いてください。

 

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なぜ音声データが残ってないの?

斎藤知事の「おねだり」(←カギカッコですからね)については音声データが残っています。ところがその音声、ワインメーカーとのやり取りなんですが「私はまだ飲んでおりませんので」と斎藤さんが言ってるだけで、1万回聴いても「おねだり」にあたるところがありません。

「私はまだ飲んでおりません」⇒「さっさとよこせ」と、即座に脳内変換される人は相当特殊な人格か、特殊な立場にある人でしょう。もちろん、ひょっとしたらその可能性だってゼロではありませんが、「うちのワインいかがでしょうか」と聞かれて実際に飲んでいないのであれば「私まだ飲んでないので」と答えるしかありません。

そもそも、こういう音声データが残っているということは、誰かが意識的に斎藤さんの「不都合な裏側」の証拠を残したいと思っていたはずで、ずーーーっと録音していたはずなんですよ。少なくとも渡瀬元県民局長はあんな怪文書をばら撒くくらいの意欲があったのですから、そのお仲間に頼めば、(本当に斎藤さんがパワハラおねだり野郎だったとすると)いくらでも証拠は残せたはず。その上で残っていた「証拠」がこの程度のものということは、どう考えても斎藤さんは「パワハラ」も「おねだり」もしていないということでしょう。

 

1000億円新庁舎に反対した斎藤さん

兵庫県政においては、1000億円を費やして豪華絢爛な新庁舎建て替え計画が進んでいました。そこにストップをかけたのが当時の知事である斎藤さんでした。斎藤さんは、

働き方を抜本的に変えることによって、そもそも庁舎の規模をそんなに大きくしなくても済む。この予算を半分にしたら500億円浮く。その500億円は若者のために使うべきだ

と主張したのです。具体的には、その500億円で県立高校の校舎建て替えや設備拡充ができるだろう、ということです。

斎藤さんがそんな決断をしたら困るのは誰でしょうか?

1000億円規模の工事が500億円になってしまう。差額は500億円。そりゃ、直接的に工事に関連する、つまり1000億円の売り上げを見込んでいた業者は猛反対するでしょうね。とてつもない金額ですから。

でも、だからと言って、なんで県議や職員が斎藤さんに反発するのでしょうか。これは私の想像でしかありませんが、ここに政治・行政の闇が潜んでいるのでしょう。政治も行政も、国民(住民)から貰った税金の使い道を決める強大な権力を持っています。お饅頭の箱の下には……?

 

なぜ公用PCは公開できない?

騒動のさなか、あるブロガーが渡瀬元県民局長の職場内不倫疑惑を「報道」し、直後にその記事が削除されるという不穏な事象がありました。情報ソースが何で、なぜ削除したのかはいまだに分かりませんが、その遺志(?)を受け継いでいるのが、NHKから国民を守る党の党首である立花孝志氏です。

彼は斎藤知事騒動にまつわる真実を国民に伝えるべく兵庫県知事選に立候補し、「私には投票するな」という前代未聞の選挙活動をしています。

渡瀬氏の不倫疑惑についてはくだんのブロガーが暴く以前から噂だけはありましたが、立花氏によると、渡瀬氏は、「1人との不倫」ではなく「人事権をネタに複数の女性との不同意性交(正確に言えば「不本意な性交」でしょうが)」があったとのこと。

もちろん、真実は分かりません。これが嘘だとしたらとんでもない名誉棄損です。

しかしながら、嘘を言えば罪になる百条委員会において、渡瀬氏が使用していた公用PCの中身を知っている片山元副知事がその内容に触れようとすると、百条委員会委員長である自民党県議の奥谷氏が慌てて止めるのです。「プライベートに関することはやめて!」と。この奥谷委員長、自身は渡瀬氏の公用PCの中身については知らないと言っているのですが、なぜ中身も知らないのにそれがプライベートなものだと知っているのでしょうか。

片山元副知事によって、渡瀬氏の公用PCには「クーデター」という物騒なキーワードが使われていることも明らかになっており、さらには不同意性交疑惑。

1万歩譲って、公用PCにプライベートな情報を持ち込んでたのは「まあ、人間そんなことだってするだろう」と赦せるとしても、「クーデター」や「不同意性交」はプライベートな問題などではありません

「不倫」は民事レベルの話ですが、「クーデター」は内乱罪、(この場合の)」「不同意性交」は脅迫罪という刑事の話になります。

渡瀬氏の名誉を守るためにも、公用PCの中身は公開すべきだと思うのですが、何かよほど都合の悪いことがあるのでしょうか?

 

天下りに規制をかけようとした斎藤さん

また、斎藤さんは、県内の天下りに規制をかけようとしました。県の(一体何の役に立ってるのか分からない)外郭団体への県職員OBの天下りについて、慣例化している65歳以上の勤続者に「辞めてくれ」と迫ったのです。この天下り職員の中には、月に3日の勤務で30万円近くの報酬が支払われていたと言いますから驚きです。言うまでもなく、その源泉は汗水垂らして働いて収めた兵庫県民の税金です。

そりゃあ県OBだって怒るのは当然ですし、(そこそこの地位にいる)現役職員にとっても自分の未来がかかっている話なので、斎藤さんは邪魔でしょうがなかったでしょうね。

 

百条委員会は何のために設置された?

渡瀬氏による怪文書騒動を受けて、兵庫県では百条委員会が設置されました。百条委員会とは、その場での証言が虚偽であった際に刑事罰を問われる「真実を追求する言論の場」です。この百条委員会によって、斎藤元知事の「パワハラ」「おねだり」「キックバック」問題が俎上に載せられ、客観的に裁かれる……はずでした。

が、

しかし、

なぜか、

どういうわけか、

百条委員会の結論が出る前に、兵庫県議会は、全会一致で斎藤元知事に対する不信任案を提出・可決してしまったのです。

一体、何のための百条委員会だったのでしょうか?

真実を追求する場であるはずの百条委員会の結果を待たずに……真実が追求されると県議たちにはどんな不都合があったというのでしょうか?

あるとすれば、「斎藤知事には何も悪いところはなかったということが判明し、追及する口実が失われてしまう」くらいでしょう。

不信任案が可決されてしまった知事には、「県議会解散権の行使」か「失職」の2つの選択肢が残されるのですが、斎藤さんは後者を選びました。自動失職した上で、再度、兵庫県知事選に挑んでいるのは皆さんご存じかと思います。

つまり、斎藤さんは、「議会の構成員を選び直してくれ」ではなく、「知事としての私を選び直してくれ」という訴えに出たわけです。

これは斎藤さんの実直さを表していると同時に、賢い選択でもあったと思います。議会解散⇒兵庫県議会選挙という流れよりも県知事選の方が問題を明確にでき、県民への訴求力も強まりますからね。

 

「疑われたらその時点でそいつは悪」

以上の内容について、大手メディアの情報ソースとしては、

とか、

なんかを参照してください。

「斎藤は人を殺した」という趣旨の発言は、ジャーナリストの立岩陽一郎氏のように、地上波でも見られました。表現をもう少しマイルドにしたバージョンの「人が死んでるんですよ」は数え始めたらきりがないほど使われました。

ある意味での絶好のサンプルとしては、読売新聞特別編集委員である橋本五郎氏でしょう。おそらく彼は本当に人が好いのです。いわゆる「共感力の高い善人」です。しかし、場合によっては「思慮が浅くて共感力の高い善人」ほどタチの悪い存在もありません。コロナ禍の時だって、「コロナは怖がるほどの病原体ではない」と宮沢孝幸先生が言ったところ「そうは言いますが、人が死んでるんですよ!」と反発しておられました。

 

これは何を意味するかと言うと、マスメディアにおいても政治においても行政においても「疑われた者はその時点で裁いて良い」という狂った価値判断が形成されようとしたということです。

証拠があるわけではないが、皆お前が悪いと言っている。だからお前は悪だ。

法の論理に反するのはもちろん、こんなものは大人のいじめでしかありません。現についこの間まで、斎藤支持者は「斎藤さんが自〇してしまうかも!」と心配していましたよね。このような論理も正義もない価値観に日本が侵されそうになったのです。

幸い、目下、斎藤さんの名誉は急速に回復しつつあり、私の予想では2位の120%以上の得票数で当選するだろうと思っていますが。

 

「死んだら無条件で善人」なの?

「人が死んでるんですよ」というフレーズが意味するものは何でしょうか。

人が死ぬというのは重大事象です。ところがくだんの斎藤知事騒動において頻発されたこのフレーズには特殊な意味が含まれます。ひとつは先述した橋本五郎氏のように、「人の死の原因を短絡的に断定してしまう」思考回路の持ち主がいるということ。そしてもうひとつは、そういう思考回路の持ち主が多いことを利用して、誰かを「殺人犯」に仕立て上げることができてしまうということです。

上に貼った現代ビジネスの記事から流れを要約すると、

渡瀬県民局長が斎藤知事にまつわる怪文書を発信

利権側にいる県議や職員OBがこれを利用

渡瀬氏はそこまで大ごとにしたくないので早めに終わらせたいと要望

県議・OBは「せっかく斎藤を追い落とすチャンスやのに何言うとんねん」とクーデターを本格化

百条委員会が設置されることなり、渡瀬氏も腹を括る

委員会出頭予定日の少し前にはやる気も見せていた

しかし、なぜか出頭直前に自殺

これをどう見たら、「斎藤さんが渡瀬氏を自殺に追いやった」なんてストーリーになってしまうのでしょうか。渡瀬氏は亡くなる前に「死をもって抗議する」という“メッセージ”を残したそうですが、そのメッセージは手書きではなくスマホに打たれていたと言います。なぜ手書きにしなかったのか。「抗議する」の相手は誰なのか。なぜやる気を見せていたのに直前に自殺なんてしてしまったのか。そもそも、本当に自殺なのか。

疑問は尽きません。

話を元に戻すと、日本人は死をやたら神聖視するという価値観を共有しているところがあります。比較的温厚な民族性を持つはずなのに、先進国の潮流が死刑廃止になっていても、我が国は頑なに死刑制度を存置しています。これは、「切腹」の時代から脈々と受け継いだ価値観なのでしょう。

「命をもって償う」
「死んでけじめをつける」
「ただし、死んだ者の名誉は守る」

こうやって問題を短絡化し、死に至ったプロセスの解明には頭を動かそうとしません。もちろんこれは、皆が皆ということではなく、日本人の頭に何となくある共有の価値観だということです。橋本五郎氏のような短絡的な脳みそだと、推理小説など読んでも何も面白くないでしょうね。

 

斎藤知事騒動における維新の態度

さて、ここからは少し余計なことかもしれませんが、維新支持者としては書いておかなければなりません。斎藤知事騒動において、当初「真実が究明されるまでは判断しない」という態度でいた維新幹部でしたが、橋下徹に叱られ続けたことによって態度は一転、「県政が停滞している」「本人の説明不足」などと言った理由で、斎藤叩きに回りました。吉村共同代表に至っては、百条委員会でも認められていないのに斎藤さんのパワハラを認めてしまいました。それどころか、「公益通報」の扱い方にも苦言を呈する始末。公益通報を問題にするなら、百条委員会のずっと前から分かっていたことで、なぜ今さらそれを言うのだ?って話です。

簡単な話、吉村さんは、正義を希求する県民・国民ではなく、橋下徹の方を向いているのですよ。

今回のことでやたら兵庫維新の腐敗が取り沙汰されますが、それは部分的に真であっても全体としては偽でしょう。維新は「日本維新」という根っこから腐っていっているのです。

このような、悪に加担するような政党の支持をしていたことを深く反省するとともに、もうしばらく支持者として見届けるつもりであることをご了承ください。

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