殺害した白人警官は法で裁かれる←だからなんだ?
黒人男性であるジョージ・フロイドさんが警官に窒息死させられたことがトリガーとなって巻き起こっているアメリカの暴動。
この暴動についてフィフィだったかが、
ジョージ・フロイドさんを殺害した警官も法によって裁かれるんだから暴動を起こす必要はない
とこんなことを言ってたんです。
が、私はそれは違うと思うんですよ。
こういう論理はかなり無理のある一般論化で、「人を殺した人がどう裁かれるか」という問題なら、一般白人男性が黒人警官に殺される事件が同じくらい(人口比調整して)起きている前提においてなら意義のあることなんですが、実際には逆のケースって多分ほとんどないんですよ。
つまり、「どう裁かれるか」の前に、「なぜ黒人はこれほど簡単に殺されるのか」という問題が飛んじゃってるわけです。
殺害した白人警官だって、殺してしまうと自分が罪に問われる可能性については承知していたはずなんですよね。
にも拘わらず、死に至らしめてしまった。
これは理性よりも「黒人を見るとアドレナリンが出る」というナチュラルな感覚があるのかもしれず、相当に怖いことですよ。
この暴動を利用して秩序の破壊を目論んでいるらしいANTIFAの連中は、私も悪だと思います。
が、それはあくまで二次的は話であって、暴動の根本原因とは切り離して考えられるべきものでしょう。
そもそも暴動は悪いことなのか
そもそも暴動って悪いことなのでしょうか。…と考えると、字面からしてあまり良いこととは思えません。では「デモ」はどうでしょうか。
デモであっても「選挙で民主的に決められていることに文句をつけるのは筋違い」と言う人がいます。私も場合によってはそう言います。
では全てのデモ・暴動は直ちに筋違いであり悪なのかというと、やはり違うと思います。
アメリカの人種差別問題で顕著ですが、アメリカにおいて全人口の中で白人が占める割合は6割以上。一方の黒人は1割ちょっと。
もし白人の多くが黒人(あるいは有色人種)嫌悪の感覚を持っており、その感覚を基に議会で法律を作ってしまったら、「民主的に黒人を差別する」ことが可能になります。
実際に同様のことをやったのがナチスだったわけですが、仮に「特定人種は特定の職業に就けない」とか「特定人種は白人とは居住空間を分ける」とか「特定人種は理由なく殺しても罪にならない」と言った法律ができたとしても、「民主的に決められたから」と言って従うべきかと聞かれて頷く人はいないでしょう。
つまり、民主主義であっても暴力性を排除するのは無理ということであり、その暴力性に対峙するための手法としては、やはりある程度暴力性を帯びたデモ・暴動になってしまうのでしょう。
この暴動は反差別主義者の「魂の叫び」
今日のアメリカにおいて、法律だけを見れば人種差別などないように見えます。が、実際の法律の運用(つまり裁判)においては、黒人に不利な判決が出されがちだという指摘はずっとあるわけですよ。
その他にも見えにくい差別はいくらでもあるでしょう。例えば、黒人だから就職できない。雇用主側が差別していたとしても、「厳正に能力を査定して」と言ってしまえば差別はないことになってしまいます。
子供のイジメなんてのも当たり前にあるでしょう。
こういう人種差別について我々日本人はなかなか共感しがたいものがあるでしょう。なんせ人種という概念そのものが極めて希薄ですから。
しかし当事者の立場になってみると、世代を超えて慢性的に鬱屈した社会への感情というのは持っていて当然でしょうし、ましてや今回のような殺人事件が起きてしまえば、リミッターが外れて暴動になってしまうのはしょうがないのではないかと私は思います。
だって他に主張しようがないでしょう?黒人を見たら殺したくなるという感覚に対する魂の叫びですよ、これ。
そこにはANTIFAみたいな混沌を愛するテロリストみたいなのがどさくさに混じってしまいますが、それはそれとして批判すべきであり、「だからこのデモに正当性はない」みたいな意見は非常に乱暴に思えるのですよ。
コメント