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客のプライバシーを暴露する居酒屋店主の話

心理学

最近ほとんどブログを投稿していないのですが、今頭の中にあるものが一見全く関係のない話題なのにそれぞれ関連し合っており、どこから何を書こうか逡巡しておるわけです。

で、まずは直近で起きたことがとっかかりとしてちょうど良さそうなので、ここから手をつけましょう。まず、この話の読み方としては、「腹が立ったからここで書いてやる」のではなく、この話の中に、私がかつて語ってきた重要なポイントが複数含まれており、「実践問題としてはこういうことです」というサンプルになっているので、そういう心構えでお願いします。

 

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客のプライバシーを暴露する居酒屋店主の話

過日……と言っても相当前ですが、ツイッターの相互フォロワーさんが独立して居酒屋を始めることになったので、応援の意味を兼ねて飲みに行くことになりました。私ひとりではなく、複数人です。その会合の席は和やかなものでした。

問題は、後日。あろうことか店主がツイッタースペース(現在は『ライブ』と呼ぶらしいですが)で客の個人名を含めて来店した事実を無断で話してしまったことです。

「相互フォロワーさんならそのくらい当たり前では?」

などと思った貴方は客商売に向いていません。ツイッター上で「お友達」であっても、来店すれば「店主と客」であり、店主にはプライバシーを守る義務があります。そしてこの義務は相当厳格なものです。

ただでさえデリケートに扱われるべきプライバシーですが、さらに驚くべきは、メンバーのうち一人は、来店前に「自分が来たことはよそで言わないでくれ」とわざわざ釘を刺していたのです。しかし、店主にとっちゃそんなことどうでもよかったのでしょう。スペースで酒を飲んで調子よくベラベラ喋ってしまったのです。

私・小ライスについてはご自由にどうぞ。どうせ応援のつもりで行ってるんだから写真くらい上げてやろうとツイートしているのですから、いくらでも名前を出して頂いてかまいません。が、そのツイートにも私以外の連れのことは一言も触れていません。客側からすれば恩を仇で返されたようなものですね。

私はそのことについて店主に厳重注意したものの無視されていました。

それでも私(達)が怒りもしなかったのは、元々「彼はそういう人」という共通認識があったからです。

客のプライバシーを平気で晒せる店主なんて言語道断なので、当然誰かに宣伝するということはしませんでしたが、とりあえず遠慮なく行ける店という点ではほんの少しでも利用価値があったのです。公共の場でそういうことができる店主は、直接来店した他の客にどれほど自分の話をされているかも分かりませんが、最初からそのつもりでさえいれば何てことはありません。

当然ながら、大事な人を連れていく場合にそんな店を利用することは絶対にありませんけどね。

 

さて、少し月日は過ぎて、店主は店の困窮状態を訴え始め、たまたま入ったスペースでそれを話題にしてました。すでに私にとってはどうでもよかったことなのですが、その話題になっているならと、アドバイスのつもりで改めて話をしました。

「客のプライバシーを守るのは基本の基本の基本。その全く逆のことを君はした。ああいうことがあって反省もないのなら、人に紹介しないのはもちろん、自分もすすんでは行かない。最後の来店もメンバーに促されたから行ったのであって本意ではなかった。そもそも来店の後にお礼ではなく『今日撮った写真使いたいのでくれ』などというDMを送ってくるのも非常識」

さらにしばらく経ってから、彼の開いているスペースで性犯罪についての議論になっており、その話がどうにも論点が発散していたのでスピーカーに上がろうと思ったら、

「うちの店に行きたくなかったなんて言う小ライスさんはスピーカーに上げません」

とのこと。

 

と、ここまでが事実の羅列で、ここからが私がかつて語ってきた理論と実践の照合です。

 

自営業の大変さ

が、その前に。雑談として商売の何たるかってことをお話します。

自分で商売を始めようと思ったら、そりゃもう大変です。サラリーマンであれば、とりあえず決まった時間に会社に行ってりゃ20万なり30万なりのお給料が貰えるわけですが、自営業者はお給料を払う立場になります。事業の売上など関係なしに、人を雇えば給料を払わなければならず、給料だけではなくその分の不動産スペース、デスクやパソコン等の備品、文房具等の消耗品、冷暖房、交通費、社会保障、仕入れ、税金。売上からそれらを全部引いて残ったものが自分の食い扶持になります。それで黒字が出ていたら企業としては大成功です。

新規で事業を始めるとなれば何よりもまず顧客を創らなければなりません。そうなると、一番最初は知人・友人のツテを可能な限り利用することになるでしょう。人脈こそ力、です。商売を始める初動がこれであり、初期状態でどれほどの人脈があってそれをどう増やせるかが商売成功の大きなカギとなります。これさえうまく行けば、宣伝・営業活動などしなくても良いくらいで、いわゆる「一見さんお断りの店」なんてのはまさにこれですね。初動で知人の顧客を掴んでしまえば、あとはどんどん紹介で増えていく。

それができない場合、顧客を開拓していくしかありません。ネットで宣伝し、チラシを配り、電話で営業をかける。今ではなくなりましたが、かつて学校では名簿というものがあり、企業はそういう名簿や電話帳などからデータベースを作って、手当たり次第に電話をかけまくります。「使ってない貴金属ありませんか?」「そろそろお家の塗装やり直す時期ではありませんか?」ってのがそれですね。

そのくらい「無関係の一般人」を「客」に換える作業というのは大変なのです。

そして一度利用してもらった客にはリピーターになってもらわないといけません。キャバクラに行けば名刺を渡され、パン屋に行けばスタンプカードを作らされ、カーディーラーで試乗すれば住所と名前を書かされ……と言った具合です。

一度顧客になった後の「ケア」の大事です。

私事ですが、うちの親も商売をしておりました。そこそこうまく行きました。ところが、家には金をかけるのに、乗ってる車はずーっと大衆車のまま。私は別に不満があったわけではありませんが、ふと聞いてみたことがあります。もっといい車に乗りたいと思わないのか?と。すると親から返ってきた言葉はこうでした。

「実務はトラックを使うが、集金のみになると乗用車でお客さんのところまで出向くことになる。その時、客の立場からすれば、クラウンで乗り付けるか、軽自動車で来るか、どちらの方が印象が良い?金をもらう立場のこちらが客より良い車に乗っていれば客はどういう心情になる?」

これを聞いた時は子供の時でしたが、齢を追うにつれなるほど感の増す話です。

特に妬み嫉みの感情の強い歪んだ私なんかは、いつも行ってる造り酒屋にフェアレディZが停めてあったり、かかりつけの開業医の駐車場にベンツが停めてあるのを見ただけで「ぬぬ……」とか思っちゃうんですよ。もちろん悪いことでもなんでもありませんし、その手の商売は乗ってる車で客が変わるなんてこともないでしょう。しかし、たしかに集金に来た車がレクサスかタントかでは、客側が抱く業者の「可愛げ」には関わってくる話で、同じ仕事を同じコストでやってくれるならタントの方を選ぶかもしれません。

そのくらい、自分で商売をするということは、プライドを捨て、理不尽な理由で頭を下げまくったり、場合によっては趣味の一部を諦めたりしなきゃいけないくらい大変だと。

 

この話から還元される3つの教訓

まず参考文献として、当ブログのこの記事を紹介しておきます。

プライバシーの重要性

ツイッター(X)などのSNSをやっていて本当に困るのは、「プライバシーの侵害」くらいのもので、あとは無視できるものだと、私はかねてから主張しております。誰がどれだけ自分の悪口を言おうが、それを言うのは貴方の主観であり勝手であり自由。どうぞどうぞ。

一方プライバシーというのは【個人にまつわる事実】であって、誰が何を言おうと自由、とはいきません。ほんのちょっとした情報であろうとも、ネットの特定班にかかればそこから二次的、三次的なプライバシーが判明するか分からないのです。自分自身のことは良くても家族のことだけは言わないという人もいますよね。

情報のケア

「小ライスさんは連れの女性にずっとセクハラを……」

なんてことを不特定多数のリスナーがいる場所で言ったら、聞いた方の頭には、「小ライスが女性と2人きりで来店し、セクハラをしていた」という画が浮かんでいると思います。

いや、いいんですよ。私はこういうキャラだし、回りまわってうちのワイフに知れたとしてもどうってこたないんですが、それは【私だから】であって、一般論としては完全なNGです。

そもそも出向いたのは複数人であって2人きりではありません。しかし情報のケアができないこの店主は、無意識のうちの切り取りをするので誤解を与えてしまうことになります。

来店時の話をするのであれば、それは私の口からするものであって店主が言ってはいけないのです。

こういう、何を言って良くて何を言ってはいけないかという情報のケアができずに大失敗する人を数多く見てきています。

ちなみにスピーカー拒否された際は、店主が先述したようなことしか言っていないため、他のリスナーの多くはこの経緯を知らずにただ「小ライスが何かの拍子に感情的になって店主の店をディスった」と受け取っている可能性が結構あります。

この場合だって、スピーカーに上げないにしてもその理由はDMで伝えるべきであって、中途半端な切り取りは印象操作になります。

自分の評価を誰から聞くか

リンクを貼った「ツイッターヤンキー論」では、「自分の悪口を言う1人や2人を気にして、何百人もいる好意的フォロワーが見えなくなるのはバカらしい」と書いています。

SNSの場合、フォロワーは概ね好意的なはずだから少なくともその分だけの存在意義はありますよ、と。

ただし、これを別の角度から語ってみると、

自分の評価を直接聞くなんてことはあまりない。誰か1人に嫌われていても、別の100人からは好かれているかもしれないし、その逆に誰か1人に好かれていても別の100人からは嫌わているかもしれない。

ということでもあります。

褒めるにしろ貶すにしろ、当人に直接聞こえるのは氷山の一画であり、皆心に思ってることがあっても言わないだけか、当人のいないところで言っているのですよ。

それを想像し始めたらノイローゼになっちゃうので、自分は自分の正しいと思うやり方を貫くしかないのです。ただし、その際にしかるべき常識、判断力、想像力がなければそもそも自己客観視することができないため、「何をやろうと俺の自由だーーっ!」になっちゃう危険性が高くなります。

物事の線引き

「好きか嫌いか」と「正しいか間違っているか」は別。

こう思っているけど、ここでは言ってはいけない。

この人にはここまでは言えるけど、この先は言ってはいけない。

こちらは趣味の話だが、あちらはビジネスの話。

こちらはプライベートだが、あちらはパブリック。

ま、簡単に言えば、「店をディスられた」という時点で大いなる認知の歪みなのですが、仮にそうだったとしても、言論空間とは何の関係もありません。そういった線引きができない人間を「こども」と言います。

 

ということで、大人になったら分別を持ちましょうね、というお話でした。

 

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