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足立康史論・補遺

政治・経済
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投稿を控えておりましたが……

このブログは、今書いているこの小見出し部分を除いて、8月の日本維新の会代表選直後に書いたものの、投稿はせずに塩漬けにしておいた原稿です。

というのも、維新界隈においては「足立康史」という名前を出しただけでヤイヤイ騒ぐ現象がありまして、影響力を気にする必要のないうちのような零細ブログであっても、その一端を担うのはどうだろうと思ったからです。私から見れば、シンパもアンチもとにかくアドレナリンが過剰分泌されており冷静さや客観性が喪失してしまっている。そこにほんの少量であっても燃料を注ぐようなことはしたくなかったんですよ。せっかく代表選という党の大イベントが終わって、良くも悪くも安定期に入ろうとしているこのタイミング、もう余計なことは書くまいと。

とは言え。

足立さんとは直接お話させて頂き、代表選直後のあだスペでも「今後も批判してほしい」と言われております。それを無視するのは心苦しいということもありました。結局のところ、投稿するのですが、最初と最後だけ今追加して、あとは2ヶ月以上前に書いたものです。

 

厳然たる数値として表れた足立康史評

日本維新代表選について。開票結果を今一度コピペしておきます。

馬場伸幸   8,527
足立康史   1,158
梅村みずほ  1,140

有権者数   19,879
投票数      11,054
有効投票数  10,825
投票率   55.6%

この記事で書いた通り、足立議員のこの得票数は、「足立康史はいなかったものとされた」ことを意味する思っております。足立議員のこれまでの経歴と主張は、全くの無駄に終わった訳です。なんせぽっと出の梅村さんとほぼ同数だったわけですから。ついこの間議員になったばかりでこれといった実績もない梅村さんが足立さんとほぼ同数の得票ができたのは、メディアに出て、その爽やかな弁舌を存分にアピール出来たからに他ならないでしょう。開票前に当ブログで書いた通り、この代表選においては、主要登場人物の中で唯一明確に得をしたのが梅村さんと言って良いと思います。

そして、あくまで私の目線ですが、この代表選を有意義なものにするかどうかは足立議員の得票率にかかっていました。その及第点は馬場新代表の3分の1、できれば半分欲しかったところです。が、それが到底無理なことも簡単に予想できました。私の予想は、「馬場さん圧勝、足立さんと梅村さんは競り、ひょっとしたら足立さんが最下位になるかもしれない」というものでした。にしても、もう少し得票数はあると思っていましたが。

何にせよ、「足立さん、今のままではダメだ」と言う、私を含めて割と冷静に観察していたシンパでもアンチでもない足立ウォッチャーの見方は、厳然たる数字として表れたことになります。足立議員のことを応援するのかアンチに回るのか、なんて低レベルな話はどうでも良くて、まずはこの客観的な数字を受け入れなくてはならないわけですよ。

 

代表選で大敗するのは分かっていたって?

足立議員はこの得票数について、「途中で選挙制度を変えられた。その時点でこうなることは分かっていた」と仰いました。しかし、私には負け惜しみにしか思えません。もしこれが本当なら、選挙制度が変えられた時点で、

立候補を取り下げた上で騒ぐ

立候補状態のまま、代表選の趣旨を無視して、騒ぐ

という2つの選択肢しかなかったと思います。しかし、足立議員はなんだかんだで結局この選挙制度を受け入れた訳ですから、選挙のこのグダグダ具合もさほど注目されることはありませんでした。

 

さらにその後、足立議員はこのようなツイートをしています。

足立議員は以前に、「橋下さんが辞めてくれてよかったと多くの人が言っている」というとんでもない暴言ツイートを投稿して、その後削除しています。たとえツイートを削除しても、それを読んだ者の記憶を削除することはできません。私からしても、足立議員の人間的評価を最も大きく下げたのが件のツイートでした。

ハッキリ言います。

自分を褒めるにしろ誰かを貶すにしろ、名前を出せない誰かをイタコにするな

なぜ足立議員に対して「言ってることは筋が通っているが人間的に器が小さい」と言う不名誉な評価の声が上がってしまうのか、まだ理解できないようです。足立議員には足立議員にしか言えない主張があります。それは論理的でスジの通った理論であり、大いに評価されるべき内容を持ちます。しかし、それが100の価値を持っていたとしても、違うところで150の評価を失い、結果、収支でマイナス50になってしまう。足立議員はずっとこれを繰り返しているのです。

「なぜ余計なことを言うのか」

足立議員に興味を持つ人はこのフレーズを辞書登録しているのかと思えるほど、皆声を揃えています。

小さいところで言えば、例えば足立シンパが暴れているところを足立さん自身が諫めるのですが、そこに「気持ちは分かっている」とか「代表選が終わるまでは我慢して」だのと、ほんとーーーに、全く必要のない余計なフレーズを入れてしまうのです。

「応援して頂くのは有難いが、議論は冷静かつ論理的に。人格攻撃になってしまっては説得力がありません」

とだけ言えば良いではありませんか。

代表選における足立議員の使命

まず、先の投稿で指摘した通り、この代表選は、党員による選挙だったにも関わらず、かつ、一般党員と特別党員の格差なく行われた選挙としては異常な低投票率だったと言えます。“お付き合い党員”もそれなりにいたでしょうが、にしても低すぎます。ということは、維新のふわっと支持者が、今回の代表選に意味を見出さなかったというのが何より大きな要素だったと思います。

足立さんはこの意識低い系のふわっと層に語りかけなければいけなかったはずです。しかし、それが大失敗。どれほど理に適った主張をしようが、それが有権者に伝わらなければ何の意味もないのです。これはあだスペでご本人に直接申し上げたこと。すなわち、不人気な賢者より無知でも愛嬌のあるローラの方が価値がある、それが民主主義の残酷さだ、と。

改めて言いますと、本当に良いことをしようとしてもそれが有権者に伝わらなければ票を入れてもらえないので、民主主義において本当に良い仕事をしたければとにかく人気を得なければいけません。時には「善意の嘘」で大衆を騙す必要だってあるでしょう。そうやって得たその人気の度合いこそが実質的な発言権になるわけで、主張がどれほど正しかろうと、発言権を得ていない者の発言はこだまが返ることもなく虚しく消えていくのみです。「党員民主主義」や「3共同代表制」といった言葉は、恐らくこれから耳にする機会もなくなるでしょう。

代表選における足立さんの役割は、争点設定だったと言って良いでしょう。でもそれが不発に終わり、これと言った争点もないまま、馬場さんの圧勝。低投票率と、足立さんの得票数はそれを象徴しているのです。

 

あの『あだスペ』に意味はあったのか

足立議員を批判する者だけを集めたあの『あだスペ』(お題は「足立康史はリーダーになれないのか」でしたっけ?)ですが、招待してもらった者として率直に言わせて頂くと、面白かったですよ。良い意味での足立さんの人間性もよく表れていたと思いますし。

ただ、その翌日に代表選立候補表明となると、そこに特別な脈絡が生まれるのです。あのあだスペは選挙活動の一環であったことは明白なんですが、直前にやったって何の意味もないのですよ。「明日から私は変わる」と言うのは、いまや信用してはいけないという意味での諺になっていますが、足立さんはそれをナチュラルにやってしまうほど言動が軽いのです。人のイメージや信頼と言うのは一朝一夕に成り立つものではありません。当たり前ですが。ああいうイメージ戦略は1年前から計画的にやっておくべきだったのです。

感情論について私がお話させて頂いた時のリアクションも非常に重要で、私が「感情は元栓を閉じてしまえば良い」という持論を披露すると、足立さんは「でも家族が攻撃されたら怒りの感情は沸くでしょう」と結局怒りの感情を否定し切らなかったわけです。氏は、繰り返し「政党の代表になるということは総理大臣の候補になる可能性があるということ」と仰ってましたが、皮肉にもそんなことでは国家の首脳なんぞ務まらんだろというようなことを言ってしまうわけです。戦争勃発の危機、あるいは戦争が始まってしまってからの対応というのは、絶対に感情に任せてはいけません。「ムカついたからやる」とか「やられたらやり返す」のではなく、国益は最大に、国家の損害は最小にするための【方法論】を講じるのが政治家の仕事であって、アドレナリンを分泌させて戦争をしてはいけないのですよ。

 

ほんと、この人は、言うことやることが全部裏目に出るような選択肢を選んでしまってるんですよね。

 

個人批判は必要ない

足立議員は代表選後、マスコミのインタビューに対し、

「松井さんは今回、申し訳ないけど、晩節を汚したよ。既得権死守に邁進する姿を見てしまった、という点では人間的なシンパシーはもうなくなった」

と答えているのですが、いやいやいやいや、そんなことは一般の支持者がすでに言ってるんだから貴方は言わなくて良いんですって。

その前の、

「とにかく馬場陣営には徹底的に組織固めをされた。維新らしさが国民に広く伝わる選挙ではなかったよね、そういう点では今回の選挙は失敗だと思うよ。僕にも責任がある」

これすら要りません。

「僕にも責任がある」は「基本的に自分には責任はない」ということと同義。何のためにこれを言うのかって話です。この受け答えについて「これを言った方が得すると思った」のならしょうがありませんが、損得を考えずについポロっと出てしまったのなら大いに反省すべきでしょう。

「だって本当のことだもん」という反論は子供。大人ならその言葉にお化粧を施すべきです。

何かを批判する場合、その話を一般化できるならできるだけ一般化し、個人名を出すのは必要最低限にする。ましてや松井さんなど退場が確定している人で、わざわざ悪口を吐く必要などどこにもないのですよ。

 

例:

(代表選の総評として)
この代表選は、「法vs人」「質vs量」という戦いだったと思う。私は法の組織統治によって質的な改革を訴えたが、有権者は人による統治かつ組織の量的な部分を重視したということだと思う。
正直、馬場陣営のやり方には問題があると思い、それを指摘した。馬場さんが当選することそのものには異論はないが、そのやり方には「維新らしさ」という拘りを見せてほしかった。

(自身の反省点として)
とは言え、票の重みのほとんどが一般人であることに変わりはなく、弱者にも大いにチャンスのある選挙制度だった。さらに有権者のうち半分近くが投票を棄権したという事実も併せて省みれば、私の主張は全く伝わっていなかったということになる。せっかくの選挙制度を活かせなかったのは私自身の問題である。

 

「松井さんは晩節を汚した」「シンパシーはなくなった」なんて今後の足立さんには何の関係もないことで、居酒屋で友人に対してならともかく、公のメディアに向かって言ったところで「愚痴」としか受け止められないのです。「正直に言えば褒められる」のは子供の世界の話です。

 

「悲劇のヒーロー」アピールはやめるべき

以上のような、「ダレダレが悪い」フォーマットの主張は今すぐやめるべきです。たとえ本当に誰かに責任があるとしても、それを言ったところでその人は変わりません。しかし、自分自身は意識次第でその日に改革できます。

「ダレダレが悪い」は前提条件として受け入れるしかなく、その障害をどう乗り越えるかという方法論にこそ注力すべきでしょう。

例えば、スーパーマリオをやっていたら、邪魔なところにブロックが設置されているわけです。そのブロックの悪口を言ったところで、ブロックは消えてくれません。さらに足立議員が多くの維新支持者から指摘されている舌禍は、また別の場所にブロックを作ってしまう結果をもたらしてしまうのです。

 

動画配信について

それはそうと、代表選直後のあだスペで、足立議員に名前を読んで頂きスピーカー参加することになりました。

代表選までの自分はどうだったかと改めて評価を聞かれた……という感じだったと思います。で、たしか前回提案した「短時間動画」に私の方から触れたと思うのですが、足立さんいわく「小ライスさんに言われてちゃんとやっている」と。

それはごめんなさい。言われたことをきちんとやるなんて、なんと可愛らしいんでしょう。いや、これマジですよ。本当に足立さんの良いところだと思います。

で、少し拝見したのですが、たしかに「10分動画」にはなっています。

しかし、私がイメージしているものとはちょっと違うんですよ。以前のブログからセルフ引用します。

この短時間動画(10~15分)は、【一般的知識】から【独自の意見】をバランスよく織り交ぜます。

例えば3本セットにして、1本目は「国会って何?委員会って何?」みたいなことを中学生でも分かるように。

2本目は「国会議員の数は多い?少ない?」という一般論上の問題点を紹介。

3本目で「私が思う議員の適正人数は〇〇人!こうすれば国会運営は合理化できる!」みたいな主張にします。

10~15分だとさほど意識の高くない人でも集中力が持ちますし、40分前後であれば3本続けて観たいという人も結構いるでしょう。こういう恒常的に議論されている問題については時間のある時に「撮りだめ」しておけばよろしい。そしてそこに、ニュースや時事性の高いネタを挟んでいきます。時事ネタが豊富過ぎる場合は1日複数本配信したってかまいません。視聴者は観たい配信だけ観ればいいのですから。

短時間動画の主眼はあくまで「足立康史自身の広告」にあります。そのために私は引用部分のような提案をしているのです。

なぜか?

足立議員と言えば維新随一の頭脳派です。欠点は2つ。訳の分からない喧嘩をしてしまうことと、話が高度過ぎてなかなか一般人に伝わらないこと。前者は性格の問題で難治性です。ここは後述します。後者はまだアプローチの仕方が十分にあります。それが私の提案した動画配信方法です。

何度も申し上げているように、政治家にとって「偉くなる」と言うのは人気を得ることに他なりません。人気を得るためにはまず認知度を上げなくてはいけません。そのためには、動画コンテンツの重要性など二の次です。例えば維新の公約というのは非常に重要だけど、再生回数なんて回りませんよ。

しかし、YouTubeで「インボイスとは」で検索してみてください。超有名なあの人やこの人はもちろん、「お前誰やねん」って奴まで100万回再生を記録しています。足立議員なら解説できますよね?で、概論的な講義をした後に、「インボイス制度あるいは消費税にはどんな問題があるか」という問題提起、さらに足立康史ならではの解決法を提示する。この3段階をセットにすると、足立議員の顔と声を一般人の目と耳になじませ、その政治理念を紹介することができるでしょう、というものです。

なので、こういうのは馬鹿正直にではなく、めざとく、狡猾にやらないといけないのです。1回10分、週6回として、1週間に1時間取れれば収録できちゃいますからね。習慣にすれば実にリーズナブルに自身の宣伝活動ができますよ。

もうひとつ動画についてアドバイスするなら、配信する動画は「報告系」と「レクチャー系」に分けた方が良いかと。報告系の方は即時性(ライブ感)が大事なのでスマホ内臓マイクを使った方がライブ感があって良いのですが、レクチャー系は音質が大事でそのまま説得力に反映します。なので、安物でも良いから口元まで伸びるBluetoothヘッドセットを使った方が良いと思います。

 

 

はい、ここまでがずっと前に書いていた内容。「補遺」と言う割にこの時点で6000文字書いてるんですが……というわけで、ここから付け足し。

このツイートで誰が得した?

簡単な話をすると、このツイートで誰が得して誰が損したでしょうか。少なくとも維新という政党にとってマイナス評価に繋がったでしょう。いや、それでも構わないんです。維新に批判すべき点があって批判しているなら、ね。

では足立さんにとってこの自身のツイートは、得か損、どちらをもたらしたでしょうか。私の見るところ、この発言が足立さんに得をもたらすとすれば、それは足立さんが維新を離党した時だと思います。これに賛同しているコメントを見ても、元々維新の分裂を歓迎するような人たちのような気がします。

泣いても笑ってもあと半年で政界を引退する人を論うことにどんな意味があるのか、本気で分からないのです。言い換えれば、百歩譲って問題があったとしても、半年という時間が勝手に解決してくれる問題に注視する必要があるのか、と。政治には他に解決困難だけど挑んでいかなくてはならない問題があるはず。

そしてこのような足立さんの振る舞いが、一部の熱狂的ファンを高揚させ、私には「異常」とも映るような態度で他の維新支持者を挑発しています。

同じことはアンチにも言えます。「足立康史」という名前を聞いただけで目を三角にして悪口の口になってしまう人達がいます。

やれやれ、なんとバカらしいことでしょうか。

 

政治家・足立康史の輪郭とは

改めて申し上げますが、元々個別の政治家さんに注目することがない私がなぜ足立康史議員にだけは注目するのかと言えば、言うまでもなく彼が官僚出身の相当優秀な人物であろうということが見て取れるということがひとつ。今一つは、足立さんの名前が出るだけで界隈が物騒な空気に包まれるという強烈な負の作用を与える人だと言うこと。

足立ファンとアンチ足立の諍いは、結局のところ足立康史という政治家の輪郭をぼやかせることにしかなりません。それでも稀に、冷静に足立さんを評価して、上から太めのマジックで輪郭をなぞる作業をする人がいるのですが、右や左から水が飛んできてはせっかくなぞった輪郭が滲んでしまうのです。だったら油性のマジックで!と思ったら、今度は足立さん本人がベンジンをぶちまけるようなことをします。

先の松井市長への絡みなど、私には、広い道の端っこを歩いている松井市長にわざわざ走って行って肩をぶつけて「ワレ、どこ見て歩いとんのじゃコラ!」と因縁をつけているようにしか見えないのですよ。

目下の統一教会騒動について、維新の内外を問わず、足立さんは実にまともな主張をしている数少ない政治家です。こういう論理的正論こそが足立康史の強力な武器であり、愚直に正論を主張し続けることこそ(地道ではあるけど)発言力に繋がっていくのだと私は思います。

 

 

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