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『表現の不自由展』津田大介の目的は何だったのか?

慰安婦像 政治・経済

主に韓国にいるであろう、「強制連行された慰安婦」の存在を信じている人々はただの情弱だからまだ良いとしても、吉田証言のデタラメが露見した後にそれを承知の上で「性処理をさせていたのは違いない」と論点を換えてなお立場を崩さないヤツは明確に「反日」だと思うよ。

「女性に性処理をさせている」が悪いことなら、大昔のことじゃなくて、今日でもソープランドの前でデモをやるべきではないか?さらにはどこのご家庭でもあり得ることなんだから、町を練り歩けば良い。

津田大介が持つべき覚悟というのは、「批判や妨害を受け止める覚悟」ではなくて、「対局の立場が全く同じことをやっても受け止める覚悟」ではないのかな。これ怖いよ。「在日コリアンの黒歴史展」とかを、【デタラメを混ぜて】やっても文句言えないってことですよ。

以上、私のツイートまとめでした。


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韓国についてあまり語りたくない

韓国の振る舞いについて私は、少なくとも津田大介とは反対側にいるんですが、ブログでもあまり取り上げないのは、別段オリジナルで書くことがあまりないからなんですよね。報道されていること以上の情報を持っておらず、そしてこれといってユニークな見解を持ち合わせているわけでもありません。

たとえありふれた見解であっても、ブログで書けば、その情報は厚みを増すので、一応多勢にするための協力も(あ、1日1桁アクセスですけどね)多少はできるんでしょうが、余計なイメージをつけられるのもなーなんて思うんです。このネトウヨめ!ってね。あ、もうそういうイメージ持たれてるのかな?

『表現の不自由展』

『あいちトリエンナーレ2019』のイベントのひとつ『表現の不自由展』内の展示作品「慰安婦少女像」は、元々「日本軍によって強制的に連行された女性たち」という悲劇が元になっている訳ですが、これについては「慰安婦」についてどれほど基礎知識が備わっているかによって見方が違ってくるわけですよ。

「日本軍に強制連行された」論の中核的根拠だった、いわゆる「吉田証言」は、それがデタラメであったということを本人が告白しています。吉田証言を基に慰安婦報道を続けてきた朝日新聞もそれを認めたわけですが、じゃあ中国や韓国でそれがどう報道されたか、は私もよく知りません。

そして、大前提が崩れた後でもこのように難癖をつけ続けるレフティーはたくさんいるわけです。冒頭の私のツイートはその批判です。

そこまで重大な問題であれば、私がツイートしたように、別の形で女性の権利を守る運動をやれば良いはずなんですが、戦時中の慰安婦問題に固執するのは、その目的が「反日」だからでしょう。

目的が反日であれば、少女像を展示してそれが問題にされて果ては脅迫までされて展示中止に追い込まれた、というシナリオは世界へのメッセージに使えます。世界世論は人権、特に女性の権利については物凄くリベラル寄りになっており、こういうメッセージは中身を精査されずに受け入れられがちです。そこまで考えているとすると見事な戦略ですね。

芸術とはなにか

今回の事案で論点のひとつになっている「政治とアート」の問題。そもそもアート=芸術とは何でしょうか。スッキリした定義を知りたいなら辞書を参照して頂くとして…、要するに「表現者から見た世界を表現者以外の人間も楽しむ行為」「現実世界の事物を別のものを使って再現すること」みたいな定義ができるのかなと。

写実的な作品は単純にその技術や構図・ポーズの取り方に感嘆し、抽象的な作品には「表現者にはなぜこう映ったのか」という楽しみ方ができます。音楽だと、ただの音符の並べ替えにすぎないのに特別な感覚を生んでくれたりしますね。

芸術の皮を被った政治活動

で、今般の少女像は何かというと、ただの政治的メッセージでしかないのですよ。しかも、この「政治的」という言葉すらここで使われるのは綺麗すぎると思えるくらい、不潔な行為だと私は思います。だって、「日本人はこんなことをやりました」というメッセージ以外に何もないし、そのメッセージも嘘であるわけですから。

津田のやったことは「芸術」と「非芸術」に線が引けないことを良いことに、「芸術」という皮を被せてただのプロパガンダを披露したということです。芸術なんだから表現の自由だろ、と。その結果、どうなったか?誰が得したか?

ひょっとして津田大介って皆が思ってるよりヤバいヤツ…?

この手の活動で、「ああ、なるほど、過去の日本人は悪いことをしたんだな」と思える人がいたとしたら、もちろんそれは悪ではあるんだけど、少なくとも彼らにとっては意味があるとは言えるでしょう。

ところがこの期に及んでここまで雑なことをやってしまうとですね、さすがに若い世代の「新規の客」のゲットも難しい上に、いわゆるネトウヨを刺激することによって反韓感情が高まり、朝鮮学校の生徒が石を投げられたり、日本のことが大好きな韓国人までが「日本に来るな」と言われるようになり、韓国が大好きな日本人は「韓国に行くやつなんぞ非国民だ」なんてことまで言われるようになり、だーーれも得しないと思うんですよ。もはや津田のような人達って、親日とか反日とかの物差しで計れる人種ではなく、単に世の中をカオスに陥れることが目的になってるヤバい連中なのではないか?とすら思えてくるのです。


<追記>
誰が読んでるか知りませんが、この記事だけはずーっとアクセスされてるんですよね。その割に中身が薄すぎるので、元々触れていなかった天皇御真影バーナー焼き払い事件について少し。

天皇の写真を燃やしたっていいじゃない

昭和天皇の御真影をバーナーで燃やした上に、その灰を踏みつけるという例のアレ。最近になって、開催前の展示計画になかったということを知りました。津田一味の目的はやはりカオスをもたらすことだったようです。

これについてちょっと頭の弱い右側の人は、天皇のご真影を焼くという行為そのものについて憤慨。津田一味を非国民呼ばわりするわけですが、そこはどうでも良いんです。

真っ当な主張をしているのが上念司氏。
「それだって言論や表現として認めるべきだ。だが、公金は使うな。自分の金でやる分にはいくらでもやればいい」
これがまともな人の意見なんですよ。税金を投入されたイベントでこれは認められないだろうと思ったから、展示計画ではあえて隠したんですよね。すごいぞ、津田!

竹田恒泰が「傷ついた」?知らんがな

一方の竹田恒泰氏。
「自分の親戚があんなことをされて深く傷ついた」
なんてことを言ってますが、これは物凄くズルいですね。竹田氏らしいといえば実にらしい言い方です。

傷ついたからなんだ、と言うのでしょうか。自分の親戚である昭和天皇の写真がバーナーで焼かれるという屈辱的行為によって傷ついた、わけですよね。だったら脈絡として「だからあんなことはするべきでない」となります。私は上念氏に賛同。「税金使ってやるべきことではない。自分の金でやるなら公の場で展示したって良い」のです。似てるようでかなり違うんですよ。

天皇と言う究極の公的存在の親戚が、私的な立場から語るのは反則なんです。

こういう恣意的な論理は実にズルい。

そもそも天皇や皇族という存在は、生まれながらに特別な地位を与えられ、あるいは特別な地位にいることを強要されています。差別なんです。私を含めて国民はその差別を許容してきて現在に至るわけですよ。戦争で負けたら、実質的な責任などどれほどあるか分からない天皇が戦争責任を問われたりします。悲劇ですよ。それこそ「なぜこんな目に」でしょう。でもそういう悲劇も含めて請け負わせてしまっているのは国民であり、私もその一人です。

最も、上皇陛下以降の天皇は政治にノータッチの原則なので、昭和天皇のような目に合われることはまずありえませんけどね。

だったら天皇制廃止する?

で、それが嫌なら天皇制は廃止すれば良いのですよ。だって間違いなくこれからもこういうことはありますよ。生まれながらにして特別な立場が保証されている、あるいは強いられている存在って、強烈な差別ですから、津田のような異常な人間でなくとも、フツーに左側にいる人なら天皇制に反対するという考えは実に真っ当なんですよ。ここで「2000年の伝統ガー」「天皇はこんなに偉いガー」と言い出す人がいたら、それを「ネトウヨ」と呼ぶのです。

「天皇は現代的価値観に反する存在だが、それでもいてもらわなくては困る」

と堂々と言える人がいないんですよね。

おっと…話が随分逸れました。天皇制についてはまた別の機会に。

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