【大西恒樹氏除籍騒動】れいわ新選組はカルト教団なのか?

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れいわ新選組の大西恒樹氏除籍騒動

この大西恒樹氏が自身が配信しているYouTube動画で、「命の選別」というフレーズを発したことで、党で「除籍」の決を採られ、結果、実質満場一致の「可決」で除籍が決まったらしいです。

問題の動画を確認したのですが、この大西氏の主張は実に真っ当なものでした。脈絡としてはコロナの対応についてですが、氏はもっと大きな話として「老人を生き永らえさせるために若者の時間を犠牲にしていいのか」と問題提起。

彼はあくまで「皆で考えなければいけない」「議論する必要がある」と【問題提起】をしただけなんですが、山本太郎(含む他の党員)は除籍と言う処分を下しました。

つまりこれ、どういうことかというと、れいわ新選組はカルト教団ってことなんですよ。

我々が自分たちの持つ知性に矜持を持っているなら、主張には必ず根拠を伴わせるはずで、常に「なぜ?」を考えなければなりません。逆に、「なぜ?」という理由を考察することなく結果だけ受け入れろというのは、宗教なんです

似たような事例としては、故・中川昭一氏が「日本は核の保有を議論する必要がある」と言ったところ、原口一博氏が「核の保有を議論するなんてとんでもない」と反応した、ということがあります。原口氏にとっては、核を保有することの否定について、その理由を考える必要がなかったということです。これはまさに宗教。日本が核を持つにしろ持たないにしろ、それは各々のケースを熟慮した上でのことでなくてはいけないのですよ。

ガリレオは地動説の理論化に成功しましたが、それを公表すると、当時のキリスト教会の逆鱗に触れ、牢屋にぶち込まれました。この時、教会はガリレオの地動説理論を検証したのか?「なぜ?」を問うたのか?してないんですよ、そんなこと。ただ、自分たちが信仰している教義と相反するから排除したのです。「それでも地球は回っている」(本当に言ったかどうかは知りませんが)という言葉は有名ですが、大西氏を排除したところで少子高齢化や人間の尊厳の問題がそれで解決できたわけではありません。

それでもれいわ新選組の連中は、「決を採り、民主的に決定した」とかなんとか言うでしょう。しかしこのエクスキューズは、ヒトラーの蛮行すら正当化できる暴力であり、多数決で決めさえすればすべて正しいという考え方は「数の暴力」でしかないのですよ。

 

政治とはそもそも命の選別をすることである

アカウントは晒しませんが、ツイッターではあるれいわ新選組支持者と思しき看護士さんが、
「命の選別に政治家が口を出すな。医者に任せておけ」
という旨の発言をされていました。いやいや、おいおい…と。

「経済」という単語の語源は「経世済民」であり、「世を治めて民を救う」という、今使っている「経済」とはかなり意味の違うものです。この「経世済民」は経済よりむしろ正しい政治の理念と言えるでしょう。

「世を治めて民を救う」とは一体どういうことかというと、権力者が民衆の生産力を一旦接収し一点に集めた後、社会的弱者でも生きていけるよう再分配することに他なりません。再分配するものは、原始的な社会であれば食料だったでしょう。現代では直接・間接の経済支援やその他の行政サービスということになります。

で、政治とは具体的に何をしているかというと、税率を決めて税金を集め、どういう行政サービスにどれだけの予算を付けるかを決めて配分するわけですよ。

当然ながら政治には「完全な公平」ということはありません。人間は生まれながらに不平等で、その不平等を後から完全に埋めることなどできないのです。それでも予算配分は決めなければいけません。その配分比率次第で、人間の寿命だって変わってくるわけですよ。

例えば、貧乏人は人間ドックには行けません。半分以上保険が負担してくれる医療費すら払い難いために病院にはなるべく行かないという人だっているでしょう。だからといってその人の医療費を100%国・自治体が負担するとなると他の人が黙ってませんから、収入の基準を設けることにします。年収100万円未満は医療費タダ!とかね。すると今度は収入はゼロだけど10億円の資産を持っている人までが医療費無料ってことになります。いやいや、これは不公平だからと、無差別に全国民医療費はタダ!ってことにします。すると、国民は遠慮なくタクシー代わりに救急車を呼ぶようになるし、微熱で病院に来るヤカラも出てきます。それでも実行したとすると、この医療サービスが国家の経済的負担を大きくし、他の行政サービスに予算が回らず、例えば公立学校の質が落ちたりします。しかるべき学力を獲得できなかった国民は貧しくなります。貧しいと寿命が短くなります。

……とこのように、政治とは命の選別をすることに他ならないのですよ。

だからこそ、政治家を選ぶ(投票する)というのは重大なイベントであるわけです。

 

医者は「技術者」であるべきでは?

もうひとつ、先述の看護師さんいわく、「政治家が命の選別に口を出したら殺人に繋がる」とのことだったのですが、仮にそうなるとして、では医者に100%任せたら「殺人」は起こらないとでも言うのでしょうか?

あ、もちろん1分1秒を争う状況においては専門知識と技術を持つ医師でなければその判断はできないというのは大前提で、ここで問題にするのはその準備段階です。

例えば、80歳のおじいちゃんと20歳の青年が【全く同じ症状で】救急搬送されてきたとしましょう。その時、診ることができる医師は1人。その1人の医師が80歳のおじいちゃんを助けることを選択したとしましょう。おじいちゃんは大金持ちでした。その時、医師が「あなた方素人には同じように見えても、助かる見込みが高いのはおじいちゃんの方だった」と言って、納得してもらえるかという話です。

やっぱりここには法律やガイドラインが必要で、そういうルールは当然政治家が作るものです。

そして本当に客観的に見ても助かる見込みが全く同じだった場合、どちらを選ぶかなんて、言わずもがなで、「助かる見込み」を考えることが正当であるなら、「助かった後何年生きられるか」を考えることもまた正当なのです。つまり、20歳の青年の方を助けるのが正しい選択でしょう。

このアカウントさんのような勘違いは、「医師は聖職」という暗黙の前提が頭にあるからでしょう。私は倫理観のない医者を複数知っていますし、そもそも医師免許の取得に倫理観は必要ありません。「医師には高尚な倫理観を持っていてほしい」という願望はあっても、そうであるとは限らないのです。

むしろ、そんな重大な判断を押し付けられる医師は気の毒というものでしょう。

医師は、怪我や病気を治すプロの技術者であり、「しかるべきプロ意識を持つ」という点においてのみ倫理観を持つべきであり、それ以上の余計な判断はできるだけ排除すべきでしょう。

 

これは死生観にまつわる哲学的な問題

そう言ったのは大西氏です。

我々ができること(生産)には常に限度があり、人口ピラミッドが吉川晃司ばりの逆三角形を描く現代、老人を生かすためのリソースは若者に思い思い足枷となっています。それは介護職という労働力提供だけではなく、税金や介護保険と言う形で全国民に強制される負担です。

ここには老人vs若者という対立構造があるわけですが、それだけではありません。「ボケきってなお長生きしたい、ベッドの上で管だらけになっても終末を先送りしたい、とは思っていない」老人だってたくさんいるのです。つまり、「選別する側とされる側」という構図ではなく、「自ら選別(排除)されることを選択する」ことも念頭に入れなくてはいけないのです。

本人が意思表示できないことを良いことに、年金目当てで子供が医師に呼吸器や胃ろうを依頼するという地獄のような光景があちこちにあるわけですよ。

基準を設けて、一定以上の認知症や、脳の損傷が認められた場合、そっと安楽死させてほしいと思うのは私だけではないはずで、1日でも早くこの辺の法律を整備してほしいものです。

 

まとめ:れいわ新選組とはそういう政党

しかし、れいわ新選組はその議論すら拒否するわけですよ。

「命は等しく価値がある!どんな命も全力で守る!」というお花畑的な分かりやすい「善」を標榜するために、考えようとする人を排除するのがこの政党ということが分かったのです。

これはれい新に限ったことではなく、ヒダリ方向にハンドルを切る連中のあるあるで、「ダイバーシティー」(多様性)という言葉が大好きなくせに、異論を認めないという習性があるのです。

「我らこそ善であり、異論は認めない」というわけですね。

はいはい、タヨーセータヨーセー。

 

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