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コロナ禍で炙り出される情弱~ソーシャルディスタンスの意味~

ウィルス 医療・健康

【新コロ通信4/16号】

コロナコロナコロナコロナ。うんざりですね。このブログでもそろそろ違うことを書きたいのですが、物語はリアルタイムで進行していますので。

と言うことで、今回の新コロ通信は、このコロナ騒動で出てきた分かりやすい「情弱」の話です。

まずはニュースネタ。

夏にも新型コロナワクチンが…!?

吉村市長の大活躍でにわかに注目される大阪府と維新ですが、その大阪発信の情報で、「新型コロナワクチン、夏にも」というニュース。

これについて言わせて頂くと、若者に関して言えば、少なくとも直接的にはほとんど関係ないと思われます。なぜなら、どうやら因果関係はともかくとして、BCGが実質的にワクチンの役割を果たしているらしいから。

インフルエンザの10倍怖いとも言われる新型コロナですが、こと、特定株のBCG接種をしている国は、どーもインフル以下の威力しかなさそうです。インフルで毎年1万人近くの人が死んでいることを考えると、今の新型コロナの死者数はいかにも少ない。他所の国の死者数と比較したら、相当効くワクチンをすでに接種していると考える以外にない数字です。

しかし老人となると話が変わってきます。日本で亡くなっているのはほとんどが高齢者。高齢者はBCGを接種していてもその効力が薄くなってきているし、そもそもある年代以上はBCG接種そのものをしていない人がかなりいるのです。

新型コロナワクチンが開発されてどういう恩恵があるかと言うと、高齢者の死亡を減らすことができるのはもちろん、重症者の数が減ることで、医療リソースに余裕ができ、いざ若者の重症患者が発生してもゆとりを持ってケアできるという点。

それと何より、このワクチンにさほどの意味がないとしても(もちろんそんなことはないと思いますが)、「ワクチンが開発された」というニュースは国民を勇気づけ、大きな安心を与えます

当然投資が活発になり、株価も元に戻るでしょう。

 

そして、例えば最終的に国内で500人が亡くなったとすると、

 

《ワクチンがない時ぃ……》

やっぱり新型コロナは怖い病気だった。そして政府の対応の遅れで500人もの貴い命が失われた。

 

《ワクチンがある時~~ッ!》

アメリカでは何万人もの人が亡くなっているのに、日本ではワクチンが開発されたおかげでたった500人の犠牲で済んだ!

 

となるわけですよ。

人間の思考は言葉に支配されています。マスコミがどう扱うかによって、印象は180度変わってしまうのですよ。

それを踏まえて。

防護服を着るのは恐ろしいウィルスだから?

まだ国内での初めて死者が出たばかりくらいの頃だったでしょうか。ある知人男性がこう言ってました。

「ほら、やっぱり怖いウィルスだったんだ。でなければ、武漢であんな物々しい防護服着て作業などしないはず」

武漢で新型コロナが流行り始めた頃、中国政府は新型コロナの怖さを知っていたのかもしれません。が、怖いウィルスだと分からなくてもあんな装備はする必要があったのです。それは、新型コロナが怖いウィルス【かもしれない】から

最初はどのくらい怖いウィルスか分からないのです。その感染のしやすさや致死率などデータが全く採れていませんから、最大級の警戒をして当然なのです。

そしてその怖さの基準だってどこに取るかという話。皆がさほど怖いとも思ってないインフルエンザ級でも実は相当に怖いウィルスなのです。年間1万人死ぬ感染症ですからね、そして同程度の病気が現れると、単純に脅威が増えることになります今日本だと年間1万人のところが2万人死ぬようになるかもしれない。インフルエンザの半分の威力だとしても、死者は5000人増えるわけですから、十分に怖いのです。

返す返すも、なぜ皆さんインフルエンザは平気なんでしょうかね?

ソーシャルディスタンスの意味

そして先日「ソーシャルディスタンス」についてのお話してたましたら…。

「2m開けろなんて言うけど、今日スーパーに行ったら結局レジに並ぶ時は30cmも開けずに皆が並ぶことになる。それじゃ意味ないだろって」

なんてことを言ってました。

「でも前後の人はマスクしてたんでしょ?だったら安心じゃないですか」

と私が応えると、

「でも今皆が頑張ってソーシャルディスタンスを守ろうとしてるんですから…」

と。

 

この人多分、ソーシャルディスタンスを取る意味を分かってないのだと思います。

いや、私もあまりはっきりと聞いたことがないのですが、意味があるとしたら、「飛沫の届かない距離」でしょう。

2m(アメリカでは6フィート=1.8m)という距離は、咳で飛ぶ飛沫の最長距離程度です。このくらい離れていれば、咳をする人がいてもまあ大丈夫だろう、と。それでもくしゃみの場合は3mに到達するので意味がなくなります。

で、普通に会話する分にはかなりゆとりのある距離だと言えます。

じゃあマスクをしていれば?飛沫はマスクで堰き止められるので、相当な至近距離でも大丈夫なはずです。ただし、強めの咳が出ていて、かつサイズの合わないマスクをしている場合は、「横漏れ爆発」の可能性があるので、その限りではありませんが。

つまり、正しくマスクをしている分には、「接触しない程度の距離」さえ開けていれば良いのですよ。

これは私の信仰とかポリシーとかの問題ではなく、今知り得る情報を理屈で整理した論理的帰結です。対してこの男性は、会話するうちに社会的な価値観を持ち出しておかしなことになってしまったわけです。「だって常識だから」と。

 

言っておきますけど、「ソーシャルディスタンス」という手法に意味がないと言っているのではありませんよ。意味はあるんです。でも皆、その理屈は考えないのです。

例えば、「あなたはブリーフ派?それともトランクス派?」と聞いて「ブリーフの上からトランクス」って人はよほどの変人ですよね。同様に、「マスクを着用する」ことと「ソーシャルディスタンスを取る」ことは“OR”の関係であって“AND”ではないのです。

 

一方でですね、感染者と1kmの距離を取ったとしても、その感染者が30分前にベタベタ触った商品を今自分が触ってしまったら感染リスクは十分にあるのです。そこまで極端なバカはなかなかいないと思いますが、「3密さえ避ければ」「ソーシャルディスタンスさえ守れば」感染しないなどと、物事を単純化してしまうと、いとも簡単に感染してしまうことになるでしょう。

情報を整理して冷静に考えよう

もう一度言います。「ソーシャルディスタンス」に意味はあります。「マスクをした上でソーシャルディスタンスを取っ」たとしてもそれによって感染リスクが上がるわけではないので、悪いことではありません。大事なことはそれらを「クセづける」ことです。ただ、理屈を理解していない人に限って、無暗に怖がったり怒ったりするんですよ。保育所の子供を外で遊ばせてたら「マスクをさせろ!」と怒る人とか。子供が大人しくマスクなんかするかっつーの。

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