実はこれでも2千文字くらいカットしているんですが、話を進めましょう。ってことで維新の話に戻ります。
馬場代表辞任
まず何より、馬場さんには代表を辞任して頂くべきでしょう。
国政の党首討論で馬場さんに出てこられても全く安心できません。
しかしそうなると、辞めるなら辞めるで大義名分が必要になるわけですが、「そもそも維新と言う組織が混乱しそうな中の松井前代表の辞任という状況にあって、あくまでピンチヒッターとして引き受けた代表。私は政治家ではいたいが、リーダーというタイプではない。組織内側からの支援に徹したいので、党の顔はそれに相応しい人がなるべきである」とでも言えば良いかと思います。くどく言いますが、これは馬場さんに対する好き嫌いではなく、向き・不向きの話です。
そしてこの後が本当の趣旨なのですが、「馬場さんが辞めた後どうするのよ?」って話はここではしません。個人的な推しとしては圧倒的に柳ケ瀬さんですが、それも今の文脈ではどうでもいいことです。
大事なことは、維新が「駒不足である」ことを改めて認識することだと思っています。馬場さんが代表を辞任したからといって、維新が良くなる保証はありません。馬場さんの代わりって誰がいる?と言う話になると侃々諤々の議論になりますよね?つまり、「この人の他にいない!」って人がいないのですよ。
それは「駒不足」であると同時に、これまでの時間で【駒の育成】はしていたのか?あるいは、それぞれの駒が自らの成長のため努力していたのか?ということの問いかけなんです。
この維新の駒不足問題は、私が何年も前から主張してきたことで、その解決法としては、
「しかるべきリーダーがしっかり舵取りをして、個々の駒の自覚と成長を促す」
または、
「個々の駒が危機感と向上心を持って自ら成長する」
しかないと、現時点の私には見えております。
そして、残念ながら、今の国政維新にはそのどちらもができていないように見えております。
「日本維新の会」に統一
「日本維新の会」と「大阪維新の会」(をはじめとする地域維新)は今に至っては組織を分ける意味を感じないので統合すべきだと思います。(よく分からないまま心象論として言ってるので、どなたか意義を教えてくれるなら伺います)
そもそも国政政党・日本維新の会は、その誕生の経緯からしても「『大阪維新の会』の二次的な組織」というイメージを持たれがち……というか、実際国会議員も自分たちの存在意義について「?」な人が結構いるのではないかと思います。
大阪維新の会の政党が目指したのは、大阪と言う地方自治体の行政の無駄と利権を徹底的に排除し、経済的に自立した大都市・大阪を再興する、そしてその改革を恒久的なものにするべく、東京都以外で初となる特別区を設置することをゴールとする、というものだったはず。そして、大阪の行財政改革という点では大いに成功したものの、大阪市を廃止して特別区を設置するという統治機構改革においては二度の住民投票で否決され失敗に終わりました。後者については、二度否決されたのですから、もう答えは出たものとして扱うべきでしょう。
ということは、大阪維新は、「とりあえずのところ今の大阪を維持・向上させる」ために存在し続けなければいけない政党であり、その後、二次的な組織であったはずの日本維新の会の存在意義は薄れてしまったのです。
であるなら、今やるべきことはシンプルで、「大阪都構想」という結局切ることができなかったゴールテープを撤去してしまうことです。私の知る限りにおいて、二度目の住民投票否決で維新は大阪都構想をどう扱うかという総括をしていないはずです。このゴールテープがひらひらしている間は、国政維新の名目上の進出趣旨である「大阪都構想のための法整備」という大義名分の亡霊に取り憑かれたままになってしまいます。
本当であれば二度目の住民投票が否決となったその瞬間に、日本維新の会代表と大阪維新の会代表の共同声明として、政党を「日本維新の会」に統一することを宣言すべきだったのではないかと私は思うわけですよ。
これは政党の延命とか選挙戦略といった小さな問題以前に、繰り返しになりますが、維新が大阪で成し遂げた改革こそ、今の日本に必要だと思うからです。すなわち、官僚や利権組織が主導する政治の刷新、行政の無駄≒余計な金の出し入れの削減、カネのために議員をやっている政治屋の駆逐、そして本来やるべき政治をやる。国政維新が求められているものは、まさに大阪でやったことの国バージョンです。
「維新と言えば〇〇」←何がはいる?
「維新と言えば〇〇」これを関西以外の人に聞いて何を入れてくれるでしょうか。多分、ないんですよ。せいぜい「大阪」とか「橋下さん」とか「吉村さん」など人名や地名が入るだけで、政治的ポリシーを答えてくれる人はかなり少数でしょう。
この「〇〇」こそが大事で、維新の(まだプロにはなってない人も含めて)政治家や支持者はこれを追求すべきはずなのに、「ダレダレは頑張ってる」だの「ダレダレの活動量は足りない」だの、ドメスティックな議論に終始してはいませんか?
政治の話をする際に難儀なのは、政治活動にのめり込む人ほど【内側の目線】に侵されて俯瞰的な視野を失ってしまうことなのです。
原油はとりあえず火を点ければ燃えますが、原油のままで動く自動車を作ったところで熱ばかり発してまともに動かないでしょう。しかし原油を精製してガソリンにすると、高出力・低燃費の車を走らせることができます。国政維新の政治家およびその支持者に足りないのは、「情熱の精製」ではないかとここ数年ずっと指摘しております。どれだけたぎる情熱があっても「では何をすれば良いか」という精製の工程を経ない限り、ただいたずらに熱だけを発する感情でしかありません。
今その「情熱の精製」ができている人がどれほどいるでしょうか。
政治活動化が本来見るべきは、「政治に興味のない人」、あるいは「ある程度政治に興味を持っていても特定支持政党のない人」のはずです。すると、【党勢拡大】を目的とするなら、そういうふんわり勢の目をこちらに向かせることにこそ尽力すべきでしょう。この辺の話はかつて「政治ボランティア論」でも語ったので短縮しますが、要するに内側の人の情熱が燃え上がったところで大した意味がないどころか、逆にふんわり層を近寄りがたくしてしまうことになります。現行の民主主義制度において、「1票が濃くなる」なんてことはないわけで、目指すべきは「新規の1票」でしょう。
そのためには「分かりやすい政治ポリシー」が必要です。「私がんばってます!」ではなく、「維新という選択は〇〇という結果をもたらします」というアピールです。
一例を出せば、
「減税、多産化、経済成長」
とかですね。何をメインに置くかは特別党員さんが決めれば良い話ですが、何にせよ分かりやすいフレーズが必要です。↑これであれば3つが全て関連し合っている上に、維新の大阪での実績も活かせるのではないでしょうか。
…ということで、4部作も次回で完結へ……いや、今回終わるって言ってたように、本当はもう書いてるんですよ。ただ長かったから分けるだけです。本当です。投稿は明日以降にしますけど、本当です。
コメント