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若者が結婚しない理由は〇〇〇〇〇〇!

結婚 社会

少子化が止まらないのは結婚するカップルが減ったから、というのは一つの理屈として考えられます。もちろん結婚なんぞしなくても子供は作れますが、フランスと違ってこういうやり方は日本ではなかなか馴染みません。

ほんじゃ、なんで最近の若い人は結婚したがらないのか、を考察する必要があるわけですよ。

 

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「若者が結婚しないのは金がないからだ!」

という不平はよく聞かれます。

しかしながら、結婚というのは金がかかるどころか大きく金が節約できる行為でしょう。

例えば賃貸住宅なんてワンルームと言うのが最もコスパが悪い。これを2DKにして2人で住めば、一人当たりの負担はざっと3割減くらいにはなります。6万円のワンルームから8万円の広いマンションに住むと、家が広くなる上に負担は2万円も減ることになるわけです。

もちろん冷蔵庫、エアコン、電子レンジなどの家電製品や家具も共有できるし、食費も2人分作ればかなり節約できることになります。

結婚に金がかかるというのは結納やら指輪やら結婚式やら披露宴やら新婚旅行などがあるからであって、うちみたいに式・披露宴はもちろん指輪すら買わず、さらに言えば親に挨拶も行かないうちから妻が勝手に婚姻届け書いて既成事実を作るみたいなことをやってしまえば、なんとタダですから。その後妻はうちに押しかけてきたので、妻が住んでいたアパートの家賃分の金銭負担はそのままなくなります。

 

ということで「金がないから結婚できない」は大ウソ。金がないのならむしろ結婚のインセンティブが強く働くはずなのです。

金がなくてできないのは「子作り」なのですよ。これはこれで大きな問題なので、だからこそここはきっちり区別すべきでしょう。

 

「若者が結婚しないのは金があるからだ!」

今度はさっきと全く逆の理由。

今は女性が社会に出て働くのも当たり前の世の中になりました。男性との収入格差はあるものの、それでも男性に頼らず生きていけるようになりました。

昔の女性は本当に可哀想で、「結婚する」ということは即ち「嫁として貰われる」ということであり、生涯独身でいる女性と言うのはかなり奇異な目で見られ、「いかず後家」などという差別的な言葉までありました。まあ、独身でいる女性がいればその分独身でいる男性だって同数いたわけで、男性は男性で差別的な目で見られたのですが、女性ほどではありません。男は一人で生きていける社会的な環境があったからです。

それが女性が働くのが当たり前になった今、男性に「貰われ」なくても生きていけるのですから、当然その分結婚のインセンティブは薄くなります。男性からしても結婚したからと言って必ずしも自分が家事をやらなくても良いとはなりませんから、同様にインセンティブは薄くなります。

ああ、今酷いことを書いていますね。結婚とは異性に機能補完してもらうためのものか、と。しかし残念ながらそういう側面は間違いなくあるんです。今なんとなく「残念ながら」という副詞を添えましたが、個人的にはそれが美しいとか汚らわしいとかいう価値観は持ち合わせていません。私は客観的に「結婚にそういう側面はある」と分析するだけです。

ちなみに、私は家事はバリバリやる派ですが。

 

結婚しないのは「自分を可愛がる」という価値観のせい

さて、私が言いたいのはここからです。先述の理由は巷間で議論される上っ面の話。

現代という時代は、「多様な価値観」の時代。「〇〇たるもの、△△でなければいけない」という圧力から解放され、個人個人が好きなことを好きなだけやれる時代です。

例えば、昔ならアニメオタクと言えば「人目を憚る趣味」のひとつでしたが、今はジャニーズのアイドルが憚ることなく自分のアニオタ趣味を自慢します。

ここだけを見ると何だか良いことのように思えるんですが、今の若者ってあらゆる社会的圧力による苦痛から解放されすぎているのではないかとも思うんですよ。「〇〇歳なんだからそろそろ結婚しなければいけない」というのも圧力のひとつで、こういう圧力が薄くなってきたことも、まあ良いことなんだろうとは思うんですが、一方で「自分は自分で良い」「嫌なことは嫌と言えば良い」という魔法の呪文は、単に近視眼的で自分勝手な人間を作り出しているのではないかとも思うのです。

例えば、昔は会社の飲み会や社員旅行なんて実質強制参加で、私も決して好きではなかったのですが、参加したらしたで発見があるんですよ。苦痛だけどその苦痛は「経験値」になったのです。釣りやゴルフというおっさんの趣味は先輩社員から教わったなんて人も多いでしょうが、上下の付き合いが希薄になった現代ではそういう機会そのものが少なくなっているでしょう。機会が減れば、それまで興味のなかった世界に新しい発見をするというチャンスも減ってしまうわけです。

今の若者はそんなことより目先の興味を満たしてくれるサービス・商品がいくらでもあるし、ひとたびネットを繋げれば上下関係といったうざったい人間関係から隔絶された同じ趣味を持つ仲間たちがたくさんいるわけです。スマホを見ると、自分の趣味に合った商品のCMがズラーっと並び、自分が興味を持ちそうなニュースが並びます。

これじゃあなかなか世界は広がりませんよ。極限まで苦痛を避けるようになった人間の考え方はどんどん近視眼的に、自分本位になっていくような気がします。

 

ベビーカー論争

子連れママやベビーカーがやり玉に挙げられるのは言わばSNSの文化です。

2019年の暮れ、ちょうど中国で「新型肺炎」つまり今の「新型コロナ」が発覚して間もない頃でしたが、ツイッターで小さなベビーカー論争がありました。

まあ、いつものパターンですよ。

朝の満員電車にベビーカーで乗り込んでくる母親は非常識だ!

というもの。

このような意見はいつものことなのですが、その論理展開はあまりに幼稚なもので、毎度驚かされます。

母親だって好き好んで子供を満員電車に乗せているわけでもないだろう。何かしらの用事でどうしてもその時間に電車に乗る必要があったのかもしれないし、子供を預けられないなら連れて回るしかない。職場の託児所に預けるのかもしれない。

と私が書くと、

「だったらタクシーで行けよ」

「人に迷惑かける仕事って何だよwww」

用事がある度タクシーに乗れる人って、それこそ「貧乏人は子供を産むな」って話になりますね。

さらに「人に迷惑かける仕事」というのは、「仕事のために満員電車で人に迷惑をかける」ということを言いたいようですが、この人は自分1人が働くことによって誰にも迷惑をかけていないと思い込んでいるのです。

パパ育児ベビーカー

言うまでもありませんが、この人が1人電車に乗るということは、人間1人分の圧迫を作り出し、さらに電車が消費する膨大な電気エネルギーが地球環境に負担をかけることになります。

どのような仕事でもそうで、例えば産業に車は欠かせませんが、そのためにはアスファルトを敷く必要があります。これは自然を愛する人にとっては極めて迷惑な話です。しかも税金を使って。タクシーや配送業者は、時に明らかな道交法違反を伴って迷惑な駐停車をすることがありますが、それに目くじらを立てる人は愚かでしょう。それを言い出すと社会が回らず、あまりに厳密に取り締まれば、タクシー料金やAmazonの配送料の値上げという形でカウンターを食らうことになります。

ベビーカーの満員電車の乗車というのは、確かにそこだけを切り取れば画的にものすごく迷惑のように思えます。しかしだからと言って、「子連れは満員電車に乗るな」というのが解決策だと思っている連中はアホとしか言いようがありません。

子供が危険だと思うなら、出勤時間の分散を呼び掛けたり、女性+子連れ専用車両を多めに用意するよう電鉄会社に訴えるべきでしょう。奇しくも、その直後にコロナによってリモート出社という文化ができて、電車はガラガラになりました。

子供のためになぜそこまでコストをかけたり、他の者が我慢しなくてはならないのか!という人はその子供がこの先どれほど自分に貢献してくれるかを分かっていない愚か者です。

まず子供がいなくなれば産業も市場もクソもありません。ただ滅びゆくのを座して待つのみ。さらに自分が齢を取った時に世話にならないといけないのが、今の子供たちです。子供を毛嫌いする人は「年寄りになっても、介護も年金も生活保護も要らない!」と念書に書かせて将来見殺しにできれば良いんですけどね。あるいは無人島にでも引っ越してもらうか。

 

で、このような幼稚な人間が増えたのは、社会全体が歪んだ個人主義にふんわりと支配されるようになったからではないかと思うのですよ。本来の個人主義とは、「多様性を認め合う」ことですが、ここで言う「歪んだ個人主義」とは単に「自分が可愛い」という価値観のことです。「自分がやっていることは正しい、しかし同じことを他人がやるとそれは悪だ」というような思考回路だったり、目の前の苦痛に耐えられない精神構造の根っこになる考え方です。

 

 

家庭を持つことのコストは?

えーっと、例えばですね、「ゴルフを知らず、そして興味もない人が、先輩に無理やり誘われたところ、ハマってしまい、すっかりゴルフが趣味になってしまった」という場合に、そのコスト(お金ではなく、時間や精神的な負担のこと)と得たものを数値化してみましょう。テキトーにですが。

先輩に付き合う苦痛 10

得られたゴルフという趣味 50

50-10で差し引き40の得をしたことになります。

一方、先輩の誘いを拒絶して家で携帯ゲームをやってたら、

苦痛 ほぼ0

ゲームによる快感 3

3-0で差し引き3となります。

くどく言いますが、この数値は私の勝手なイメージです。が、もしこの数値が妥当なものだとするなら、この2人の幸福は、50-3で47もの差がついてしまうことになります。

で、現代っ子は後者になるわけで、目の前の苦痛を避けるという行動原理においては「何を得るか」よりも「どれほど目の前の苦痛を避けられるか」がポイントになるので、10と0を比較して0の方を取るわけですよ。結果、大損することになる、と。

赤ちゃんとママ

じゃあ結婚ってどんなものかって言うと、物凄い苦痛を伴いますよ。先輩との付き合いは年に数回といったレベルでしょうが、結婚は毎日ですから。プライバシーは侵害されるし、子供ができたとなるとそのストレスレベルは極限まで向上します。一方で、家庭の味は一度知ってしまうと離れられない幸福を与えてくれます。それぞれを数値化するとするなら、

苦痛 1万

幸福 10万

差し引き9万の幸福を得たことになるのですが、10万の「売上」のために1万のコストをかけたくないのが現代の若者なのだと私は見ているのです。

 

出生率を上げるのは簡単だが、「2」は無理な理由

私はかつてこのブログで、

今1.4の出生率を1.8にまで上げるのはかなり簡単だが、2.0以上にするのは至難の業だ

と主張したことがありますが、出生率を0.4ポイント引き上げられるだろうと思うのは、金銭的な事情で子作りに躊躇するカップルがそれだけいるだろうと予想するからです。一方で、それ以上の引き上げがかなり難しいと思うのは、結婚や子を設けるという行為が、基本的に「自分を殺して誰かのために生きる」ことに他ならず、現代の若者の一部はそもそもそういう価値観を持っていないと思うからです。こういった若者は価値観をシフトさせなくてはならず、その方法って簡単ではないのですよ。

と言っても別にこのことは上から目線で「最近の若者は~」というノリで言っているわけではありません。私こそ現代の若者的価値観の持ち主で、本来の自己愛は薄いのに自分を可愛がる意識だけは強い人間だったので、子作りはおろか、生涯結婚などするつもりはありませんでした。今妻子があるのはただの成り行きであり、ただの成り行きが幸運にも結果的に大きな幸福だったにすぎません。

だから気持ちはよく分かるのです。

分かるからこそ言うのです。

とりあえず同棲してみ?

嫌なら別れりゃいいんだから。

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