ジャーナリスト・安田純平氏が無事帰国したことで、ネット界隈では自己責任論をめぐって議論が紛糾しております。
安田氏の解放にあたっては、カタールが3億円超の身代金を肩代わりしたとか。
私のいつもの思考法ですが、ここで
「安田氏に罪はない!」VS「安田氏は世界に迷惑をかける害悪だ!」
という二元論に陥らないことが肝要だと思います。
個人的な結論を言ってしまうと、「わからない」です。
以下、その理由。
対立構造の整理
自己責任だ!という立場
危険だから行くなと政府に注意されているにも強行。
結果、テロリストに拘束され、3億円超という身代金をカタールが負担することになった。
カタールの身代金はいわば「債権」としてゆるーく利用されることになるだろうし、日本はカタールに対して「債務」を負ったことになる。言うまでもなくこの債務は安田氏が作ったもの。
しかもテロリストの手に渡った巨額の身代金は武器に代わり、また別の被害者を生み出すことになる。
これ、ごもっとも。次に、
安田氏に罪はない!という立場
(1)邦人であればどんな事情であれ、日本政府が救出に尽力するのが当たり前。
(2)ジャーナリストは危険を冒してでも取材し難いものを取材し、世界に発信するのが使命。
さて、私の解説。
(1)についてですが、少なくとも道理として私はこれを認めるべきではないと思います。
例えば、台風が来ている時に「海に近づくな」と警告を出しているにも関わらず海に繰り出して遭難した釣り人を、海上警察なり自衛隊なりが貴重なリソースを使って救い出す必要はないと思うんですね。これが「自己責任論」です。
ただし、(2)については全くもってその通りだと思ってまして、誰かが現場に行かなければ世界の一般人は知ることができない情報ってたくさんあるわけですよ。北朝鮮にしろ新疆ウイグル自治区にしろです。
問題はこの2点
そして問題は2点に集約されます。
1.安田純平は純粋な意思と高いスキルを持つジャーナリストなのか
2.我々は「知ること」に対してどれほどのリスクを負うべきなのか
です。
これ、1.は客観評価が難しいし、2.はラインの引き難い問題です。
だから、私は「わからない」なのです。
安田氏においては、かねてより安倍政権を批判する発言が右側の神経を逆撫でし、どちらかというと保守派から敵対視されているようなところがあるみたいです。しかし、私も安倍支持者の一人ですが、安倍批判をしたことと今回のような行動に直接的な関係があるという確信が持てない上に、ジャーナリストが「俺たちに規制をかけるな!このチキン国家め!」と言うのは全くもって健全ではないかとすら思っています。
自分の気に入らないことを言ったから「アイツは敵だ」という短絡思考にだけは陥りたくありません。それとこれとは別です。
もちろん、だからといって安田氏を擁護するつもりもありません。
少なくとも一般論として言えるのは、
「ジャーナリストがいなくなったら世界全体の人たちが困ることになる」
ということです。
そしてもう一つの一般論。
「そのジャーナリストがアホであったり、ジャーナリストのふりをしているだけで別の意志を持っていたりした場合、ものすごく迷惑である」
ということ。
これを一般論と理解できずにツイッターで私に反発してきた安田シンパもいましたが…。
個別論は置いといて、あくまで一般論として、ジャーナリストを装うテロリストシンパがいたとしたら?身代金取り放題になっちゃうんですよ。ジャーナリストのふりして現地に出向き、はいはいイラッシャーイで捕まったことにすれば良いんですから。
この辺は、その人の普段の言動から判断するしかなくて、ルールとしてどこで線を引くかがまた問題になってくるわけですよね。
でもやっぱり身代金は支払うべきではない
今私が考え得る最も良い案は、政府公式で「ジャーナリスト」の登録をし、その登録をしたものについては取引の材料にしない=身代金は絶対に支払わないという宣言をしておくことと、そのジャーナリストにも念書にサインをさせておくことじゃないかと思います。
これは「助けない宣言」であると同時に、「誘拐されない対策」にもなります。なんせ身代金が手に入らないんですから。
殺されるかもしれない?
もちろんその可能性はあるでしょう。そもそも恐怖によって世界をコントロールしようというのが「テロ」の定義ですから。
が、しかし、あなたがテロリストの立場であるなら、ジャーナリストを積極的に殺そうとしますか?
「盗人にも三分の理」で、テロリストだって世界に発信したい理念があるだろうし、ジャーナリストという客観的立場の人間をただ恐怖を与えるためだけに殺すとなったら理解者なんて生まれるはずもなく、損するばかりだと思うんですがいかがでしょう。
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