「女性は土俵から降りて」救命活動中のアナウンスに非難 大相撲舞鶴巡業で – ねとらぼ
今回の件で「女性差別だ」と言うのはお門違いな気が
土俵の女性救命士事件で、運営者側のアナウンスを「ある意味立派だ」と皮肉なしに思ってしまった自分は、やはり相当な変人なんだろうなと、皆さんをツイートを拝見して思っている最中。
自分が運営者側なら「女性は土俵から降りて」なんて、まずそんな発想がない。それは、私が文句つけたい時に文句つけるけど、実はさほど相撲に興味がないからだろう。
言っておくけど、女性救命士を批判する理由なんて全くない。彼女は彼女でプロの仕事をしようとしたまでだ。と同時に、運営側も「女人禁制」という鉄則を守ろうとしたプロである。…でも残念ながらこういう視点は誰も持ってないのな。
この事件を機に「女性差別だ」と言うのはお門違いで、差別だというなら大昔から大相撲は差別してきてるんであって、こんな事件が起きる前に糾弾しておくべきだろう。それを認めてきたんだから、こういうことが起きて当たり前だ。
むしろ差別されているのは男性では?
それに、むしろ差別されているのは男性側って見方もできるのでは?女人禁制を破るくらいなら死んでもしょうがない。男の命なんざその程度のものってことですよ。
そもそも相撲道とはすなわち武士道と言って良いと思うけど、さらにそもそも武士道というのは、命の軽視みたいなのがベースにあるのよな。「いかに死なないか」「いかに楽に死ぬか」ではなく、「いかに尊厳を持って死ぬか」が武士道。
普通に首切られた方が楽なのに、尊厳を認められた者にだけ「切腹」というわざわざ苦痛を味わう処刑法が認められていたことからもそれは分かる。
合理性と文化的慣習を共存させることの難しさ
そこに合理性求めるってのはナンセンスであって、だったら「塩をまく」なんて行為も合理性から言うと、「食べ物の無駄遣い」でしかなく、いわゆるコンプライアンス的にもNGの行為でしょう。
言い方換えると、お前が男だろうが老人だろうが持病があろうが「神聖な土俵に上がる」というのはそういうことなんだぞってことでもあるわけよね。少なくもとも名目上は、命より大事なものを扱う神聖な場なんだから、誰であろうとその覚悟で土俵に上がれよ、と。
過去に何度も書いたけど、相撲にさほどの興味はない。でもその存在意義を認めるのであれば、スポーツとしてではなく文化として、である。だとするなら、今回の運営側の対応は、仮に批判するにしても、一理は認めた上でやるべきだろうとは思う。
この問題と相撲協会の一連の不祥事をごっちゃにしてはいけない
「これだから相撲協会は」と一連の不祥事に絡めたがる人が多いけど、それとこれとは次元の違う問題ですよ。
それにそもそも、男しか上がっちゃいけないところに男が上がって倒れて、周りに男がいっぱいいて、どうしても女性の手を借りる必要があったかどうか。そこに女性しかいなかったら、「女性は降りて」なんてアナウンスもなかったかもしれないよな。
だったら他にも批判する先はあるはず
松田優作だって、治療をしてればもっと生きられたはずなのに、どうしても『ブラックレイン』に出演したいってことで、そこには「命軽視の武士道の美学」みたいなのがあってさ、それを多くの人は称賛しとったわけだよね。
岸和田のだんじり祭りだって男のイベントであって、命は軽んじられるわ女人禁制だわでもっと批判されるべきだわな。今回の女性救命士の件が炎上するなら、だ。
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