伊是名夏子氏JR乗車拒否問題(1)障害者はどうなることが本当の幸福なのか

差別

JR、車椅子“乗車拒否”事件

生まれつきの障害を持つ車椅子ユーザーであり、コラムニストの伊是名夏子さんという方が、家族でおでかけしようと思ったら、無人駅で車椅子対応してもらえず、交渉によって駅員動員してもらい、何とかなりました。……という話が猛反発を食らってる案件です。

えーっと……、この手の「何とも言い難い話題」については、想像力をフル回転させてあっちの立場からもこっちの立場からも「こういうことが言いたいのではないか」と「ひとりディベート」モードで考えるようにしています。

要するに、どちらの立場も分かりますよ、と。

今回の記事は重要なことを最後の方に回しておりますので、その心づもりでご覧頂ければ。

 

この件についてのツイッターの反応は概ね批判的です。一言で言えば「何様のつもりだ」というご意見。

正直、私も彼女に良い印象は持てないところではあります。

●車椅子を運ぶ駅員さん達をスマホで撮影

●職業・コラムニスト

●「ヘトヘトになった」要因のうちの一つが「メディアに連絡」

●社民党員

●夫がNHKアナウンサー

●沖縄県出身

●パンダが好き

●子供に「アイヌ踊り」を躍らせる

ん~む、差別だと言われても仕方ないと思うけど、嫌な予感しかしない……。

けど、大事なことなので大きな声で言っておきますが、これはあくまで私の第一印象であり、彼女が実際どんな人なのかは知りません。

 

今回の言動からもう少し具体的に突っ込んでいくと、彼女がエレベーターの設置についてクレームを入れると駅員さんに「それは3000人以上の規模の駅の話」と一言で論破されてしまったその後、「それでも代替の手段を用意しなければいけないということは法律で決まっている」と改めて主張したところに引っかかるんですよ。

その法律が具体的にどういうものかは不勉強で存じ上げないのですが、まあ所謂「努力義務」でしょう。

 

その障害者サポートは合理的か?

一旦違う話に。

例えばね、1人の酔っ払いが暴れてるつって警察に通報したとしますわな。じゃあ何人も警官が駆けつけるって言うと1人ってことはないんです。暴れる酔っ払いの場合だと3~4人は来るんです。そういうガイドラインがあるのでしょう。

そして思うんですよ。

この警官の給料から計算すると、この酔っ払いの処置のために1時間費やしたとして、後処理までの時間を含めると人件費だけでざっと1万円の税金が使われることになるのか、と。

さて、件の乗車拒否の話に戻ります。

彼女の車椅子は100kgあると言いますから、今回のように成人男性4人は必要になるでしょうね。言い換えれば、無人駅だろうがなんだろうが「車椅子ユーザーが健常者と同じように駅を利用するためには大人4人を用意しなければならない」ということです。

鉄道会社からすると、ぶっちゃけ、「3000円上げるから介護タクシーに乗ってくれ」って言う方がコスト面で助かるはずなんですよ。これだけの大人を動かすのって企業としては物凄い損失が出ますからね。もちろん、道理としてそんなルールは作れるわけがないのですが。

そもそも、障害者を健常者と全く同じように扱う必要があるのか

彼女の言い分は、

「どうしてもこの電車で行きたい」

「もうレストランもホテルも予約を取っている」

「法律ではこうなっている」

というものですが、現実問題、無人駅に人を呼んでまでやることかって言うと、私ならしません。

もちろん、障害者がなるべく健常者と同じように生活をできるのは理想だと思いますし、強者が弱者をサポートするのも当然だと思っております。格好つけてるのではなく、これはマジで思ってるんです。

が、物事には度合いというものがあって、今回の話はギリギリその限度を超えているのではないかと思うのですよ。

JRも今は一民間企業であって、利益を追求しなければいけません。無人駅はそもそも人を置いておくコストがかかりすぎるから無人駅にしているのであって、車椅子ユーザーが乗るとなれば大人たちが数人駆けつけなければならないとなると、大損こいちゃうわけですよ。

「だったら我々障害者には普通の生活を諦めろと言うのか」と言いたくなるのかもしれませんが、何もその「普通の生活」を「健常者と全く同じ」と定義する必要はなくて、だからこそ障害者年金や公共交通機関の割引、タクシーチケットの給付、そのた施設の割引なんかがあるわけで、【形は違うけど】障害者でも働けたりお出かけを楽しんだりできるよう、一応行政も民間企業もそれなりに努力はしてるわけですよ。

コストが掛けられないから無人駅にしてるのに、そこに1日数人の車椅子ユーザーが来ることでその都度人員を集めることを強要されてかえってコストが掛かってしまうようなことがあったら、いっそ廃駅にした方が合理的ではないかという案も出てきてしまうわけです。これ、誰が得するの?となる。

 

今回のことで彼女に失敗があるとすれば、JRの職員を悪者に(見えるように)書いてしまったことでしょう。

私ならこのことを書くとしたら、一つ上に一般論化し、問題の本質を語ります。

 

家族でお出かけしようと思って無人駅で降りようと思ったのですが、その駅では車椅子に対応してもらえないと断られました。他の駅では駅員さんに丁寧に対応して頂き感謝するばかりなのですが、さすがに無人駅によその駅から何人もの人員を集めてもらう訳にもいきません。これはやむを得ないこと。健常者の皆さんに理解して頂きたいことは、障害者に様々なサポートがあると言っても、健常者と同じような生活を送ることはできないということです。代替手段として私たちには介護タクシーというのもありますが、介護タクシーは存外に料金が高く、行政で支給されるチケットにも限りがあり、お出かけの際に気軽に使えるというものでもありません。こういった声が少しでも多くの人に届き、マイノリティーでも住みやすい社会になることを願ってやみません。

 

お手本としてはこんな感じでしょうか。

これだと多分誰も怒らないでしょう。

しかし、困ったことに、この文章だとバズらないんです。

これはフリップフロップで、行儀の良い正論は注目されないのですよ。

なので、戦略としてはAパートで社会や駅員をディスり、Bパートで「あなた方が言いたいことは分かってる。注目されたくてこういう表現をした」みたいな感じが理想ですかね。

障害者が不自由なく暮らすということは…

ま、戦略はどうでもいいんですが、このお手本の中に書いたポイントは「代替手段」です。

原始社会では弱い者はそうそうにこの世から退場する運命にありました。例えば犬なんかは産まれた子供に極度に弱い個体や障害児を発見したら噛み殺してしまいます。人間も同様で、障害者は生き続けることすら許されないのが当たり前だったのです。

確かどっかの国で発見されたミイラには、障害者をケアしていたらしい痕跡が発見されたそうです。健常者が障害者をサポートして生き永らえさせるという価値観は結構歴史があるようですが、まあ、ここではもうちょい大雑把に考えてください。

しかし日本を含む現代の先進国ではそういう価値観は否定されます。個人個人ではそういう古い価値化を持つ人だっているでしょうが、少なくとも公としては、どんな弱者にも文化的な生活と幸福を追求する権利が認められ、社会はそれをサポートする義務を負います。

しかしそれは、障害者が健常者と「全く同じように」生活できることを目指すのはおかしいでしょう。そこは社会というより医療技術の問題になります。例えば、「私には足がないが、足がある人と同じように階段を昇り降りしたいから誰か足になれ」と言っても、医療技術がそこまで進歩しない限りはできない話です。その時に「だったらせめて同じ目線になりたいから誰かおぶれ」と障害者が要望した場合にそれに応えるべきかどうかというのが社会の問題。たまにはそういう景色も味わいたいということであれば、家族やヘルパーに頼むのもアリでしょうが、あくまでイレギュラーとして認められるものであって、日常的には社会はそこまで応じることはかなり難しいでしょう。ということは、障害者と社会がするべきは、「目的」を明確にして、それを達成するために健常者本人は何ができるか、できないところを社会はどうサポートできるかという擦り合わせではないでしょうか。

で、この人の場合なんですが、「乗車拒否された」とやや刺激的な表現を使うあたり、JR駅員に標的を絞って一方的に難癖をつけているように見られても仕方ないと思えるのです。彼女の目的は「家族とお出かけ」することであって、必ずしも電車を利用しなければいけないわけではないはずなんですよね。ホテルの予約をしてたなら慌てもするでしょうが、事前の確認はできなかったのか?と。繰り返しますが、障害者が使うからと無人駅に何人もの職員を呼ぶことが果たして合理的な手段だろうか?と疑問に思わざるを得ません。

 

つづく。

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