芸術・お笑いと「ヘイト」は切り離せない。

慰安婦像 差別

本当にそれです。
私は昔から戦争やお葬式を茶化すようなコントや漫才などが苦手でした。
あの作品も私は大嫌いです。ですが作者の意図を知りヘイトではないと思いました。

ではヘイトとは?
あの作品を他人から見てヘイトと呼ぶのなら、私から見てドリフのコントもヘイトだと感じます。

お葬式も宗教関連ですのでヘイトですよね?

表現の自由の一部だと思い、不快でも見ないようにしていましたが、あれをヘイトと定義するなら全て不快な作品はヘイトです。全てやめてしまえと思ってしまう。

私は日本人ではないと言われました。
何を持って日本人か日本人でないかと言われなければいけないんでしょうか。

不自由展の話ではなくて表現の自由の話
あれは誰が関わっているとか私にはわからなくて
表現でいうところの話をしているのに
全てをごっちゃにしすぎだと感じました。

以上は、先日投稿した、

こちらの記事に寄せられた、相互フォロワーである月子さんのコメントです。

コメント欄は最下部で読まれづらいので、改めて全文引用させて頂きました。

ということで、今回は頂いたこのコメントに対するコメント+αという形で。

「ヘイト」はどこにでもある

「宗教を笑いにするとヘイト」とのことですが、これは宗教に限ったことではありません。宗教であろうが何であろうが、笑いはヘイトなんです。

我々世代の笑いのバイブルと言えばダウンタウンであり、その代表的な番組が『ごっつええ感じ』なのですが、『ごっつ』に出てくる私の大好きなコントに『しょうた!』というのがあります。

 

死因は不明ですが、若くして死んでしまった少年・しょうた君が、どういうわけか板尾演じる青年にだけには生きて見えてしまい、葬儀会場でイタズラをするというもの。

当時、私は本当に死ぬのではないかと思うくらい笑い転げたものでしたが、「少年の死」「宗教」という点でタブー性はそこそこ高いんですよね。

現実世界では本当に子供を亡くした親御さんもいらっしゃるわけで、そういう人達にとっては不謹慎でありヘイトでしょう。

しかし別にこれは、人の死や宗教を扱うからヘイトというわけではありません。

『ごっつ』のコントはどれもこれも超傑作なのですが、例えば『AHOAHOMAN』はザックリ言ってしまえば知的障害者を笑い者にしています。『キャシィ塚本』は統合失調症患者を笑い者にしてるし、『かっぱの親子』は人種差別のカリカチュアですね。『月光猿軍団』は暴力であり、『ゴレンジャイ』は酷いセクハラです。『Missエロティカ』はえげつない下ネタを使った白人差別。

もう、頭から尻尾まで、どこを取っても不謹慎でありヘイトなのです。

そもそも「ヘイト」って何だろう?

……と、ここで一旦落ち着いて考えてみましょう。

これらのコントは「不謹慎」ではあるかもしれないけど、「ヘイト」でしょうか?

そもそも「ヘイト」って何でしょう?「憎悪」?「嫌悪感」?

では松本はかつてのバイト先だった喫茶店の女性マスターが嫌いでキャシィ塚本を作り上げたのでしょうか?(※キャシィ塚本のモデルとなった実在女性。『松本家の休日』にも出演)いやいや、とんでもない。松ちゃんは彼女に感謝こそすれ憎しみの感情など持っていないはずですよ。

でも、それを見る第三者である視聴者当人やそのご家族が統合失調症だったりした場合、それは「ヘイト」になるかもしれません。

 

こんなことを考えていくと、どんな笑いも芸術作品も、「不謹慎」や「ヘイト」を完全に排除することなど不可能なのです。

「不謹慎」「ヘイト」は、「〇〇ハラスメント」と同じで、それを見る側、あるいはされる側が決めることなのです。その評価基準は常に相対的なのですよ。言い換えれば、「不謹慎」「ヘイト」「〇〇ハラスメント」は、誰かがその気にさえなればいつでもどこでも作り出せてしまうのです。

相対的価値観に絶対的な物差しを持ち込む愚

さて、今般の『表現の不自由展』については私のTL内で論争が巻き起こっていましたが、私や月子さんと概ね想いが重なるあるフォロワーさんには、わざわざDMで「普通に考えたらヘイトだ」と意見が届いたのだとか。

ここで何がおかしいか分かるでしょうか。

このフォロワーさんに意見をぶつけた人物にとって、天皇の御真影を焼いたり、特攻隊員の寄せ書きで墓を作ったりすることは、相対的にではなく、【絶対的に】悪なのです。

「絶対的な悪」とはつまり、そこは言論の自由や表現の自由が許されない【聖域】だということになります。

言論/表現の自由はどこまで認められるか

これって極めて危険な考え方なんですよ。

「言論の自由」「表現の自由」をどこまで認めるかということについて、我々は慎重に考える必要があります。

法律上、分かりやすい2つの基準が「名誉棄損」と「プライバシーの侵害」です。「名誉棄損」とは、例え本当のことでもそれによって対象者の社会的名誉が貶められるような言説を禁じる法律です。「プライバシーの侵害」には説明は不要でしょう。ちょっと分かりづらいものに言葉による「傷害罪」もあります。要するに酷い悪口を言われて心が傷ついたら傷害罪が成立するというもの。

これらには明確な被害者が存在します。

ヘイトスピーチになると、被害者が特定しづらいので既存の法律では取り締まるのが実質的に無理でした。その解決法として「ヘイトスピーチ解消法」というのができたのですが……。

私個人としては、可能な限りこの法律は適用されるべきではないと思うのですよ。

極端な話、「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も皆〇せ!」みたいなトンデモレイシストの活動が話題になりましたが、これすら、マスコミや個人の集団がこれに対抗すべきであって、法律に頼らなくても良いような気がするんです。だって、デモを規制したって、「皆〇せ!」って思ってるような連中がいるのは事実であって、どっちにしろ正しく啓蒙しないといけないわけですよね。それって根本的なところは法律ではなく、国民全体のモラルと教育こそが解決すべきだと思う訳ですよ。

絶対的物差しを持ち込むことの副作用

で、『表現の不自由展』に話を戻しますが、ハッキリ言って、この程度のことを「絶対的な悪」なんて規制してしまうと、あちこちに副作用が出るんじゃないかと思うんですよ。

芸術というパッケージに入れて極端な政治的主張をする津田大介一派はクソダサいし、気分も悪い。でもこれを【絶対的な】悪だとしてしまうと、今度はその善悪の基準がすごく面倒になってくるんです。

だって、一歩間違えたら「そもそも天皇の存在は善か悪か」なんて話にもなりかねませんよ?そしてそういう話になったら、親天皇側って不利なんですよ。「生まれながらに身分の決まってる人がいる」という事実は現代的な価値観には完全に反していますから。天皇や皇族の「人権」の問題に踏み込まれたらどうします?

 

というわけで、今日はこの辺で。

 

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