武田砂鉄『紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす』
先日投稿した、保護犬譲渡の話から派生する話なんですが。
この投稿で引用しているわんちゃんホンポのこの部分ね。
私は人に気持ちよく接する事のできないような人に、動物はまず救えないと考えます
しつこいようですが、こういう書き方がとにかく大嫌いで、こういうことをしれーっと書いてしまう人間を心から軽蔑してしまうんですよ。
ちょっと思い出したんですが、武田砂鉄氏の『紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす』という著書がありまして、これを武田鉄矢氏(ややこしい)が自身のラジオで紹介してたんです。
ここで紹介するのは自分で読んでからにしようと思ったんですが、ちょうど触れるべき話題について書いてしまったんで、読まないうちに紹介します。
武田鉄矢氏その他の人達の感想を見聞きするに、この本は、「安易に共有される紋切り型フレーズによって思考停止してしまっている日本人への警鐘」ってな主旨のようです。
ここで取り上げたからと言って、これが良い本であるとも悪い本でもあるとも言えません。その主旨そのものには共感できそうだということであり、なんせまだ読んでないので評価もくそもありません。
で、多分内容としては私がかねてから主張していることと概ね同じであろうと。
言葉はその都度考えて発するものではなく、真似るもの?
すなわち、何となく耳にすっと入ってくる単語やフレーズを頭の弱い人達は真似したがり、その言葉には中身がない、ということです。
ミクロ的には当ブログでも幾度となく指摘している、
「見させて頂く」
「1000円からお預かりします」
「よろしかったでしょうか」
「なにげに」
「さりげに」
「一応」
「基本的に」
「逆に」
「侍ジャパン」
「なでしこジャパン」
なんかの言葉もそうで、これらを使う人達は自分の脳から言葉を発していないんです。耳から入った言葉が脳を経由せずに口から出てしまう。だからデタラメな日本語も平気で使えるわけです。
「だって仲間だろうが!」←だから何?
この本の指摘はいわばそのマクロ版で、
例えば、ワンピースで出てきそうな「だって仲間だろうが!」とか。
例えば、「子供のことを可愛いと思わない親なんていない」とか。
例えば、「逆に勇気をもらいました」とか。
何となくす~っと耳に入って、何となく「心に刺さった」気がして、何となくす~っと口から出してしまうフレーズ。
こういったフレーズって、スナック菓子みたいなもので「咀嚼せず飲み込んでも消化できてしまう食い物」に似ていて、あんまり体(頭)に良くありません。
「仲間」という言葉は無条件にポジティブな印象を与えます。しかし、「仲間だから」味方するのであれば、そこに善悪の判断なんてないことになります。仲間だって間違えることはある、仲間だって悪いことをするかもしれない。
同様に、「親が子を可愛がる」のはポジティブな姿で、かつ、それが普遍の法則であるかのようにも思えます。しかし、冷静に世の中を観察してみると、ニュースでも散々見るように、我が子を可愛がらない親もたくさんいます。
「言葉は思考を司る」
「言葉は思考を司る」のであれば、こういったフレーズを使う人達はどのような思考をしたのでしょうか。いや、思考していないからこういうフレーズが出てくるんです。ちょっといいなと思ったものをコピペしただけで、「自分で考えた」と勘違いしているだけです。
さてさて、せっかくこのページにご来訪頂いたあなたには、以上を踏まえた上で、いま一度熟読して頂きたいものです。
私は人に気持ちよく接する事のできないような人に、動物はまず救えないと考えます
『アルプスの少女ハイジ』観たことある?
人間嫌いの動物好きなんていくらでもおるやろうが。
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