場面緘黙症ってなに?

医療・健康

場面緘黙症とは

私がブログで何かしらを書く時というのは、社会を見渡した時に発見される問題点を抽出して、その解決法か解決までのアプローチになるような、多少なりとも読み手が何かしらを還元できるようなものが頭にある時なんですよ。難しく書いてますが、「発信する以上、何かしら役に立つ思考の材料を提供する」という意識を持っているわけです。

しかしながら、関心が強いにも関わらずなかなか手を出せないのが、発達障害関連でして。これは私や息子も(推定で)当事者なのですが、例えばよく言われる「“バカ”や“怠惰”と発達障害は区別できるのか」なんて問題に、私は明確な答えを持ち合わせていないのです。

で、これから書く「場面緘黙症」はその最たるもの。
(場面緘黙症が発達障害のひとつであるのかどうかはひとまず置いといて)

「場面緘黙症」とは何かと言うと、特定の場面において言葉を発せなくなる症状のこと。
自己紹介ができない

私が目撃した非常に分かりやすいケースでは、子供の小学校入学の日、クラスで1人ずつ順番に自己紹介していくという場面で、先生にいくら促されても、「うん」とも「いや」とも言わず、何一つ言葉を発することができなかったなんて子供がいました。場面緘黙症の典型例ですね。

さて、これは「極度のあがり症」なのでしょうか。あるいは「極度の恥ずかしがり屋」?…と言われると、ちょっと次元の違うもののように思えます。次元が違うと言っても、ベクトルの向いてる先は同じという気もします。

私なりに解釈すれば、ユーザーの過度な要求に耐えられなくなったパソコンがフリーズしてしまうのと同じということなのかなと。つまり、ファミコンにポリゴンを動かすプログラムを実行させようとしても、フリーズするか、ほぼフリーズしているような状態にまで速度が遅くなるみたいなものかと思います。

私だってかなり自意識過剰な恥ずかしがり屋で、先生に作文を褒められて「立って読んでみて」と要求された際は頑なに拒否しました。ただ、大きく違うのは、私は「嫌だ」とハッキリ言い、机の下に隠れてしまった、つまり意思表示はできたという点です。少なくともフリーズはせずに「エラーメッセージ」を返すことはできたわけですよ。そのエラーメッセージすら返せないのが、場面緘黙症ということなのでしょう。

挨拶ができない大人

問題はここから。

子供の保育所で、どれだけ挨拶をしても絶対に挨拶を返さないママさんがいらっしゃいました。いつもこの世の終わりのような顔をして、こちらが大きな声で挨拶しようとも完全に無視。パパの方は快く挨拶してくれるんですが。そのママさんも、保育士さんなんかとは普通におしゃべりができるんです。

さて、こういう人はどう認識すれば良いのでしょうか。

親戚宅が所在するあるド田舎に遊びに行った時のこと、空気な綺麗な外で犬を散歩させていたら、ヘルメットをかぶって自転車を漕ぐ男子中学生とすれ違いました。その際、なんとその中学生がハッキリ大きな声で「こんにちは」と挨拶してくるではありませんか。都会に住む私にそんな経験はなく、「あうあう…」となりましたが、ギリギリのところで「こんにちは」を返せました。が、相手は自転車で声が届いたかどうか。

……というようなことは私にもあります。

しかし件のママさんは…?

……と思って検索してみると、場面緘黙症で挨拶ができずに悩んでいる人はかなりいるようで、驚きます。そういう人の典型は、自分が話すことのできる人はかっちりと決まっており、それ以外の人には挨拶も返せないんだとか。

私の周りを見渡してみると、まだ若いながらも武道の指導者である女性がいて、まさにそんな感じでした。なんか嫌われることをしたのかとアレコレ考えましたが、場面緘黙症だったとすれば納得です。

現実問題、場面緘黙はものすごく損をする

が、しかし。

これが病気だとしても、それを病気として認識してもらうべき相手は、挨拶を返されなかった人達であり、挨拶すら返されない人達がその人のことをそこまで知るきっかけなどあろうはずがありません。

病気と知らないままでいると、正直な感覚として極めて強い不快感を覚えてしまうのが人間の感情というものでしょう。その人に良い印象を持たないのは当然のこと、本来あるべき人間同士の繋がりがそこで絶たれる可能性も十分あります。

つまり、場面緘黙症の患者さんというのは、その後の人生で、とてつもない損をする可能性があるわけですよ。

場面緘黙症は逆転の発想で治るかも…?

で、冒頭の断り書きに戻るのですが、だからと言って私が提示できる解決法なんてないのです。

解決法ではないのですが、もし場面緘黙症の人が今これを読んでいるのだとすれば、こんな人もいる程度に読んで頂きたく思います。

本来人見知りで恥ずかしがり屋である私は、誰か知り合いと会ったり、あるいは子供の学校・保育所などで挨拶すべき場面がある時は、必ず【自分から】挨拶するようにしています。人見知りの反面、支配したがるSな性格なので、自分から挨拶するのが快感だったりするのですよ。

特に子供や犬を連れている時は強く意識します。それは言うまでもなく、子供に挨拶を教えるためで、おかげでうちの子供たちはナチュラルに大きな声で自分から挨拶できるようになっています。

犬については、これを言うトレーナーさんをまだ知らないし、ブログでもまだ書いたことがないのですが、飼い主が誰かに挨拶するというところを見せるのは、犬のしつけにおいて実は物凄く重要だったりします。この詳細を書き始めるとテーマが変わってくるので割愛しますが。

場面緘黙症は厄介な病気で、人間関係において物凄く損をするかもしれない。治せるなら治した方が良い。質問掲示板では「挨拶ができない」という相談に「病気なんだからと開き直ってしまえ」というアドバイスをする人もいます。本当に改善する方法がないなら、その結論に至ってもしょうがないでしょう。私だってその方法を知りませんし。

ただ、ひとつ試してもらいたいのは、【自分から】挨拶できるかどうか、です。

先に書いた私の体験から言うと、挨拶という行為においてアップアップしてしまうのは、それを「不慮の事態」と脳が勝手に認識してしまうからという可能性があると思うのです。

つまり、挨拶されたからにはその1秒か2秒以内という短い期限をつけられて、挨拶を返す義務が生じる。この状態こそが脳をフリーズさせてしまう原因だとしたら、自分から挨拶してしまえばその義務からは、完全にではないにしても、逃れられることになります。自分から挨拶するのですから、自分の呼吸で良い。挨拶する準備が整うまで歩調を調整しても良い。一度でも「自分から挨拶する」ということができてしまうと、ハードルはほとんどないくらいまでの高さに下がってしまうかもしれません。

 

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