ツイッターで書けば十分…と思ってたんですが、いまだに話題に上がり、国民はマスコミに前へ倣え状態で、何だかなーと。
ということで、今回は国葬とカルト宗教について少しだけ。
国葬については、安倍さんが襲撃によって死去したその日のスペースで語りました。
そもそも葬儀は、宗教的理念を一旦端に置いておくなら、残された人の感情を整理するためにするものです。国葬も同様、安倍さんのためにするのではなく、弔問したいという人のために行い、それが海を越えて「弔問需要」があるから、国家レベルの葬儀をしなければならないわけです。
「主要国の要人は参加を決めかねている」とのことですが、もしそれが本当だとしたら、それは暗殺にカルト宗教を絡めた報道を連日朝から晩までやっているからではないですか?ま、結果それで主要国の多くが不参加となったらなったでしょうがありませんね。
安倍さん個人の評価が問題?
安倍さんを国葬にするとなると当然出てくるのが、安倍さんという政治家の評価です。言うまでもなく、安倍さんを心から憎む人も一定割合でいまして、そりゃ感情としては国葬反対となりますわな。
しかしです。そういう個人の評価をどう客観的に定量化し、国葬開催可否の基準とできるかって言うと、できないわけです。そもそも批判の一切ない政治家なんていないわけでしてね。だとするなら別の基準を持ってこないといけない。
先述の通り、「国葬とは海外弔問需要に応じるためのイベント」と捉えるなら、その弔問需要がどれほどあるか調査しておけば良いのではないですか?国葬は、一般人の葬式みたいに亡くなった2日後とかにするわけではないので、調査する時間は十分にあります。「うちのエラい人が死んじゃったんですけど、もし国葬やったら来て頂けます?」と主要国大使館に問い合わせして、例えばG20のうち15か国以上が出席意思表明ならGOサインとか。
閣議決定による国葬はダメなの?
安倍氏国葬において問題とされていることの一つに、「内閣で勝手に決めるのはいかがなものか」という点があります。
こういう時は過去を振り返ってみましょう。戦後、天皇以外ではただ一人の例となった吉田茂元首相の国葬に際しては、やはり当時の佐藤内閣による閣議決定でした。ただし、当時の野党第一党だった社会党に根回しした上で。
岸田内閣を擁護するなら、「直近の前例が閣議決定だったし、安倍さんと言えば憲政史上最長任期の記録を持つ元首相。むしろ国葬にしないという意見の方がおかしい」と言えます。
逆に批判するなら、「たとえ前例があるとは言え、法的根拠の薄弱なイベント開催にあたって国会承認を経ないのはおかしい。行政権の乱用だ」とも言えます。
橋下徹氏は、「安倍さんは国葬に値する人だが、法的根拠がよく分からないので反対」と言っています。
辛坊治郎氏は、「国葬なんか大っ嫌いだ!」と。意訳すると、国家権力が特定人物のカリスマ性だけを強調してイベントにするようなことをまともな国がやるべきではない、ということのようです。
私の考え方はどれかと言うと……「いずれも言いたいことは分かる」です。もし自分が時の首相であればと想像した場合、「戦後、天皇以外の国葬の前例がある」ことと「海外からの弔問需要がそれなりにある」ことを考慮して、とりあえず国葬は開催するでしょう。
閣議決定か国会承認かはその時の空気次第ですが、閣議決定でもちゃんと説明はできるようにします。「前例に倣い、閣議で決定しましたが、この後は国葬について一定のルールを定めるべく議論したいと思います」と断った上で、とりあえず憲政史上最長任期総理を国葬にしないわけにはいかないんだからというニュアンスを伝えます。
しかし、ルールと言ってもこれがやはり難しくて、「首相経験者」ということであれば、鳩山由紀夫も森喜朗もその対象になってしまいます。それこそ誰が納得するねん、と。となるとやはり、先述した通り、弔問要望の調査を何らかの形で定型化するというのが精一杯かと思います。
カルト宗教を「情治」で取り締まる愚かさ
これも今、非常に乱暴な形でマスコミに取り上げられています。旧統一教会と何らかの付き合いのあった議員を俎上に上げては、党や本人が対応する、と。自民党では、統一教会浄化キャンペーンを発動。
第2に、所属国会議員は、過去を真摯に反省し、しがらみを捨て、当該団体との関係を断つこと。これを党の基本方針として関係を断つよう、所属国会議員に徹底すること。
第3に、今後、社会的に問題が指摘される団体と関係を持つことがないよう、党におけるコンプライアンスチェック体制を強化すること。
いやいや、これ、「総理大臣ではなく自民党総裁の立場として」とは言え、特定宗教に対する弾圧じゃないですか。こういうのをやりたいならまず「指定暴力団」みたいに、法的根拠に基づいた宗教団体の区別が必要なはず。法律がなければすぐ作るべきでしょう。
政治家とは「法律を作る者」であり、行政は「その法律に基づいて行政サービスや民間活動の監視を行う者」のはずです。ところが、マスコミが「あいつがあの宗教のパーティーに参加していた」「教団幹部に挨拶に行っていた」と煽れば国民はそれに乗っかって「けしからん!」となってしまう。これがいかに恐ろしいことか分からない人が多すぎるのです。「社会的に問題が指摘される団体」って、一体どこで線を引くのですか?恣意的にいくらでも「悪の組織」を作れてしまうではありませんか。
当初賛成派が多数だった安倍さんの国葬も、このマスコミ報道の量と比例して賛成比率は低下し、今は完全に反対派が優勢になっています。岸田内閣の支持率も絶賛低下中。いや、逆にアンタら何をもって岸田内閣を支持してたんだ?と。マスコミ次第でどうとでもなってしまう国民の分別のなさ、リテラシーの低さには呆れかえるばかりです。
そもそも「カルト」とは何か
「カルト宗教」と呼ばれる宗教はたくさんあると思いますが、では「カルト」って何なのでしょうか。霊感商法?バカ高い判子や壺?全財産投げうっての寄付?
私を含めて、墓参りを習慣にする人は多いと思いますが、これはカルト的な行為ではないのでしょうか?わざわざガソリン代使って、仏花を買って、線香をあげにいく。これをやらないとどうなると言うのでしょうか。そう、「ご先祖様が悲しむ」からやっているわけですよね。
つまり、根本的な理屈のレベルにおいては、我々のやっていることとカルト宗教のやっていることに差はないのですよ。「霊感商法など科学的根拠がない」って言っても、我々がやる葬式や墓参りだって何の科学的根拠もないのです。
旧統一教会で問題が指摘される部分は、その思想が極度の反日思想であるという点と、信者が費やすお金が著しく高額であるという点です。
まず後者から言うと、私は別に放っておいても良いとも思うんですが、何かやるとするなら、宗教団体への寄付額に上限を設ける、または寄付に税金をかけるとかでしょうかね。
そして前者については思想の話なので、どうやったって取り締まることなどできません。どんな思想であれ、それを是と思ってる人に「思うな」と言うのは無理な話で、教育や教養の問題になってきます。
「無宗教」の人などこの世にはいない
日本人は「宗教」という言葉にちょっと偏った認識を持っているように言われます。宗教とは科学で説明できないものであり、「信仰」するものです。日本人にとっては、「宗教」全般に度合いの差はあれカルトの匂いを感じ取ってしまうのでしょう。
しかし、そういう人でさえ、誰かのお葬式には出るし、自分が死ねば自分の葬式を誰かが催してお墓に入る訳ですよ。それはもはや生活様式に入っているというだけのことで、宗教儀式に他ならないのです。
いや、俺はそういう儀式すら要らない!
という人であっても、では家族の誰かが死んだとして、法律的に許されるなら、その遺体をゴミ袋に入れてゴミ収集車に持って行ってもらうことはできるでしょうか。これ、以前にどこかの文化人が討論していた話なのですが、無宗教と言ってもこの問いにはすんなり答えられないと思います。
さらに、死生観といういかにも宗教らしい着眼点を排して考えてみても、我々は所謂宗教と認識されていない別のものを【信仰】しています。それが、「常識」であったり「マスメディア」であったりするわけですよ。
私はこの2年半、コロナ禍における大衆の振る舞いについて、ブログやツイッターで「カルト信仰そのものだ」と警鐘を鳴らし続けました。コロナが怖い/怖くない、ワクチンは安全だ/危険だ、という論争において、科学と言うものを無視する人がどれほど多いか。中学・高校までに学んだはずの教養はどこへ行ってしまったのかと、唖然としました。
「なぜコロナが怖いのですか?」
「だってテレビで言ってたから」
「インフルエンザと比べるとカクカクシカジカとなってますが、インフルをそれだけ怖がりましたか?」
「う、う~ん……」
「騙されてますね」
「でも、怖い!」
こんなやり取りをどれほどしたか分かりません。もちろんこれは、コロナ怖くない派にも言えることです。
「カルト」という言葉の定義を仮に「非科学的なものを信用する行為」だとするなら、特定宗教団体に帰依するかどうかなど関係なく、相当な割合でカルト信者は存在するのですよ。そうと気づかないのは、共感できる人間が周りに多いだけのことであり、多くの人は「常識教」や「マスメディア教」の敬虔な信徒なのですよ。
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