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安倍氏暗殺から何を学ぶか。

政治・経済

7月8日、投開票日を翌々日に控えた参院選のクライマックス、日本に衝撃が走りました。正午少し前、安倍晋三氏が銃撃される。この速報から約5時間後、国民の驚愕・困惑・不安は悲嘆に変わります。同日17時3分に死亡を確認。在任期間の最長記録を持つ元総理大臣は、どこの誰とも知れぬ男の“手作り銃”の銃弾で最期を迎えたわけです。

さて、その日、私はツイッタースペースで「これは事件と見るより事故と見た方が良い」と言いました。賛同を得られないのは承知の上で、実際この意見に共感する人はほとんどいませんでした。

なぜ「事故」なのか。それは犯人が「政治信条は関係ない」「安倍氏が宗教団体と繋がっていたから」と供述していたからです。後にこの男の母親が、統一教会(旧称)に多額の寄付をして破産していたことが明らかになりました。そのせいで家庭を壊された犯人は、復讐の相手に安倍氏を選んだ。そういう経緯です。

この安倍氏銃撃事件を「テロ」と言う人もいますが、犯人が「政治信条とは関係がない」と言っている以上、少なくとも「政治テロ」ではありません。では政治とは関係のないテロかと言うと、どうもこの犯人は逆恨みで、復讐の相手を探していただけのようなので、そもそもテロではなさそうです。

「テロ」とは、恐怖によって政治や社会をコントロールしようとする行為のこと。この犯人がやったことはどうも単なる復讐であり、もしそうであれば「テロ」ではないのです。

 

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人間は常に怒りを向ける先を探している

当然この銃撃は「事件」には違いないのですが、私が「事故相当の事件と見るべきだ」ということに拘るのは、皆に愛された安倍さんが死んだことで、その怒りを誰かにぶつけようとするエネルギーが凄いからです。私はこの犯人を擁護しようなどと言う訳ではありません。親が宗教にはまって家が破産したら、そりゃ誰かに怒りをぶつけたくなるのが人間というものです。その時、人間は判断力を失い、思想ではなく、単なる破壊衝動のみをふつふつと沸かせる危険なエネルギー分子となるのです。こういう存在がどこで具体的な行動に出るか、そこにいるのは誰か、これは極めて偶然性によるところが大きく、雷に打たれたり車に轢かれたりするのと似たようなものです。この犯行は計画的かつ明確に安倍さんを狙ってはいましたが、それはたまたま安倍さんが目立つ存在であり、たまたま宗教と(挨拶程度の)繋がりがあっただけのこと。この不規則で危険なエネルギー分子に過ぎない犯人に怒りを向けるのは、まさしくこの犯人が安倍さんを恨んだのと同じです。

例えば、定期的にニュースになる子供の虐待死において、「このク〇親も同じやり方で〇してやればいい」という感想に批判的な目を向けるのは、そういった感想が、その人の瞬間的な感情の発露に過ぎず、それが何ら解決法になっていないところにあります。大事なことは、事件の原因を考察し、次に同じ悲劇を繰り返さない努力をすることのはず。

 

さて、安倍さんが銃殺されるに至った本当の原因は何でしょうか。

まずは警備の問題。背後がガラガラのようでしたし、何より1発目から2発目まで4秒ほどあったにも関わらず、安倍さん本人もしゃがむことはせず、SPの指示もなかった様子。これはいけません。

ですが、それは私でなくとも多くの方が指摘していることで、ここでことさら取り上げようとは思いません。

 

本当の問題点は?

私の着眼点は、この山上容疑者とは違うところにあります。だったらこのブログで書く必要がなさそうにも見えますが、そうではありません。

私は常々、本当に面白くもなんともない常識的な説教になりますが、言論の重要性を訴えてきました。ツイッターでもブログでも、「論理性」や「議論をする態度」について説いてきました。それはおそらく、多くの人が「議論」とか「言論」とか呼んでいる行為に孕む暴力性に対し、私が相当敏感だからでしょう。そしてそれは、自分では過敏症だとは思っていないのです。

多くの人は、凶悪事件と自分を彼我に置いてやれ「アタ〇カ」だの、やれ「人間じゃない」だの、やれ「なんでこんなことするんだろう」だのと、他人事として語ります。しかし、私から見れば、私を含めて多くの人は凶悪犯罪の犯人と通底しているのですよ。

あなたの言動を増幅していくと「いじめ」になり、「暴力」になり、果ては「殺人」になりますよ。それって度合いの問題であって、ベクトルの向かってる方向は同じですよ。

と、こう言いたい訳です。

代表的な記事はこの辺です。

説明が必要かどうかは分かりませんが、念のために断っておくと、こういった記事は「私が腹が立ったから」書いたものではありません。私のようなインターネットじじいはこういうケースを嫌っちゅうほど見てきてまして、私にとっては観察対象であり、人間のサンプルでしかありません。

1つ目の記事は、特に日本人が強く持つムラ社会性=ヤンキー気質について書いています。何かトラブルがあると、相手を攻撃そして排除。共感できる仲間たちで集まって、さらに一斉砲撃。集まった仲間たちの中でまた軋轢が生じて分裂。多数派が一人、または少数派を攻撃。これを繰り返すケモノとしての人間を分析しています。

2つ目と3つ目は同じパターンで、自分の世界が小さすぎて、その世界の境界線より1歩でも外に出てしまうとバグってしまう人間の理性の弱さを書いています。その時、「私が知らないこと」と認識して知ろうとすることこそが本当の知性なのですが、理性の弱い人間は、「私が分からないことを言うコイツは悪者だ」となってしまい、そこら辺に散らばってる貼り付けやすいレッテルを拾い上げて「はい、セクハラ野郎!」「はい、女性差別!」とやってしまうわけです。

皆、自分が正しいと思い込んでいる

上記の記事に共通するポイントは、

●多くの人間は単純なパターンで感情が動き、理性を喪失する

●多くの人間は、被害に敏感で加害に鈍感である

という点です。

議論という行為は実に簡単で、質疑応答の応酬をすればいいだけ

普段から私はこう言っているのですが、相当割合の人はこの簡単な行為をできずにいるのです。相手が自分の思ったようなリアクションをしない、自分が回答に窮する、そもそも最初から攻撃の構えを取っている、プライドが邪魔して「分からない」「知らない」という返答ができない。そういう要因から、議論を破壊してしまうのです。私が、れいわ新選組の大石あきこ議員をよくやり玉に上げるのは、その典型例だからです。

事例を上げればきりがないので別の機会に譲るとしまして、ここで言いたいことは、凶悪犯罪の土壌は我々が作っているのではないか?という自己欺瞞の目を持ってほしいということです。

自分は差別をしない

自分は常に公正だ

自分は暴力を憎む

自分は冷静で論理的だ

自分は言葉を重んじている

いいえ、そんなことはありません。いや、ほんの一部にそんな人だっているかもしれませんが、ほとんどいないのです。

あなたは感情的で、言葉が軽く、人を差別し、暴力を振るっているのです。

「本当に罪のない者だけが彼女に石を投げなさい」
と言ったのは2000年前の救世主ですが、人間は彼の言葉を記録する手段を持ち、後世に伝えたにも関わらず、2000年もの間、哲学的にまったく怠惰であり、この言葉を理解する者は少数です。自分と他人との境界線をちゃんと引けないくせに、分かりやすい悪人を見つけたら「自分とは違う」と自分勝手なことを言ってしまうのです。

憎むべきは反理性

我らが安倍晋三を撃ち殺した山上容疑者、彼を憎む気持ちはよく分かりますよ。私みたいな人間だってさすがに共感します。

しかし、それは感情。感情は熱しやすく冷めやすい。

犯人に強い怒りを感じた人の中で、「ではこうしよう」と社会を少しでも良くするための行動に出た人はどのくらいいるでしょうか。

ここで言う行動とは、デモだとか、武器製造規制だとか、そういうことではありません。

 

安倍さん暗殺事件の後、かつて安倍さんの死を望むようなジョークを飛ばして大笑いしていたれいわ新選組の山本太郎代表や、悪質なジョークを放った張本人であるぜんじろうが、しらじらしくお悔やみだったり反暴力を訴えたりしています。悪質なのは彼らだけではなく、他の党にもたくさんいましたが、れいわは特に酷い。

あらゆる論争において、ひょっとしたら自分達が間違っているかもしれないという自己欺瞞を持つことがなく、逆に無謬性に陥り、さらにそれでも飽き足らず、自分と違う意見を持つ者に対しては何をしたって良い、何を言ったって良い、そういう幼稚な正義の暴走集団です。

「人は正義に立つとどんな残酷なことでもする」

司馬遼太郎の言葉ですが、理性を失い、絶対無謬という重病に侵された人から出る呪いに満ちた言葉は、別の誰かの暴力的感情を増幅させます。今回の安倍さん暗殺は、政治思想など全く関係ない逆恨みなのに「この人なら殺して良い」という暗示によって、まさに呪いのごとくもたらされた可能性も十分にあるのです。

そしてこの記事は、れいわや特定野党の人のみに向けて書いているのではありません。

「相手が侮辱してきたら無視すべきであり、あなたは怒るべきではない」

「自分の言動には自分なりのルールを作れ」

「使いやすいフレーズをコピペしてはいけない。常に自分の頭で言葉を使え」

「論理を重んじよ」

と、私は事あるごとに(えらそーに)書いてきました。これ自体は本当に説教臭いだけで、なかなか誰の心にも刺さらないのですよ。

在任最長記録を持つ元総理大臣の暗殺でもなければ、です。

いいですか。アタ〇カの凶行は、貴方が社会で取り交わされる言論のレベルを下げて、つまりアタ〇カのレベルを底上げして、上から漏れ出した事象かもしれないのですよ。逆に、一人ひとりが冷静に、礼儀と言葉を重んじて、どんな人に対しても最低限のリスペクトを持っていれば、アウトなヤツもギリギリセーフに留めておけるかもしれないのです。

なんか、孔子か誰かが言ってそうなことで、書いてて恥ずかしくなりますが、どこかで言っとかんとね。

 

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