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今こそブログを始めようではないか

言論 IT

前回は、いわゆるSNSの歴史をざざっと羅列する形でご紹介しました。

今回はそのSNSを「言論の手段」という観点から語ってみようと思います。

そして最終的には「お前らブログやれや」に繋がります。

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SNSって進歩してる?

一旦NIFTY-Serveの時代にまで遡りますと、回線速度が今の1000分の1以下だった当時……ま、早い話が電話回線で繋いでたんですが、光回線が当たり前の現在からするととんでもない鈍足回線だったわけです。でもユーザーである我々は遅いと感じることもありませんでした。それが当たり前だから?いえいえ、文字情報以外をやり取りすることがほとんどなかったからです。もちろん画像やプログラムファイルを送受信することもあったのですが、全体から言えば割りと例外的で、主たる活動はほとんどテキストのやり取りだったわけです。

いくら遅い回線と言ってもテキスト情報のみを扱う限りにおいてはかなり自由でしたし、不便を感じることもありませんでした。これには、同じ電話回線でもモデムが高速化していったという要素も絡んできます。

それでも視認性の問題を含めて、長文は推奨されませんでしたし、「署名は4行まで」なんて言う“ネチケット”もありましたけどね。

しかしですな。

このNIFTYなんてサービス、四半世紀以上前のものですよ。それが当時、文字数なんて気にすることなくテキストで議論を交わしていた訳です。今見てごらんなさいよ。皆140文字以内で文章書いてるでんしょ?

いや、ツイッターはツイッターで面白いんですよ。でも、これって四半世紀分の進歩でしょうか?「多様化」したでしょうか?

私はそうは思ってないんですよ。

ツイッターって賑やかで直感的で分かりやすいんですよ。人のツイート見たらつい反応したくなる。そういう点においてはよく出来ているんです。

でも140文字なんです。

 

「携帯メール」という名のチャット

ちょっとここで別の話。

我々が携帯電話でメールをするようになってから20年以上が経っています。これって実は大きな革新だったんですよ。いや、技術的なことではなく、ソフトウェア的な話として。

すなわち、我々IT老人にとっての「メール」はあくまでノンリアルタイムの通信手段だったのに、携帯電話でメールが出来るようになってしまったおかげで、メールはリアルタイムの通信手段になってしまったんですね。

本来のメールは、メールが着ているかどうか自分からメールサーバーを覗きに行かなくてはなりませんでした。その行為はあくまで能動的だったのです。一方、携帯電話のメールはメールが着信すると即座に通知されます。受動的なわけですね。で、通知が来るからメールを確認するし、読んだ上は即返信する。

いや、これチャットやないかい!

 

我々は短文しか読み書きできなくなった

Windows登場以降、パソコン用に『ICQ』というアプリが登場しました。これは、アプリを起動して友達登録をしている者同士だと、オンライン状態(パソコンを起動している)ことが相手に伝わり、チャットもできる代物です。そこからマイクロソフトやYahoo!などが同等の機能を持つメッセンジャーアプリを開発。それらのメッセンジャーアプリと携帯メールが合流するような形で、今日のLINEに至ります。ちなみに途中からSkypeやZOOMなどのテレビ電話アプリが支流として登場し、今も現役で活躍しています。

……という歴史を振り返ってみると、我々ネットを使う大衆は、文字のやり取りをする機会は増えてはいるけども、やり取りする単位はかなり小さくなっているということが分かります。

まだインターネットを電話回線で繋いでいた時代のメーリングリストは、ダイヤルアップで繋げてとりあえずば~っと受信だけ済ませて、オフライン後にじっくり読む。オフラインの状態でやはりじっくりと時間と文字数を費やして返信を書き、次にオンラインに繋げた時に送信する。

この基本的なルーティンはパソコン通信の時からしばらくは変わっていませんでした。Nifty-SERVEではこれを「巡回」と言い、アプリには巡回するコミュニティを決めておいて終わったら自動で切断するマクロ機能もありました。

 

とっ散らかるSNSに慣れてしまった現代人

このテキスト(文章)の扱い方の変化は、私にとっては「良い変化」とは思えないのです。それと同時に長文をやり取りする文化が並走していれば良いのですが、今時ML(メーリングリスト)なんて誰もやっていません。テキストベースの交流の場は、ツイッターという巨人が食い荒らしてしまった感があるのです。

ツイッターではフォローに加えて検索、トレンド、トピック等で膨大な情報が流れてきます。激論も交わされますが、引用RTでのやり取りなんかになると、辿っても辿ってもスタート地点に到達せず、頭がおかしくなりそうになることもあります。

これがMLであれば、とりあえずメールの同一タイトルで最も古い物が一目で分かりますから、そこからじっくり読めるし、一つのメールの中で無制限に引用も記述もできるので、ツイッターのようなとっ散らかり方もしません。

テレビでは礼儀正しい著名人がツイッターになると途端に言葉が荒くなるのも、ツイッターのこういう雑さに原因があるのではないかと思います。

 

ブログは古いメディアなのか?

いつもながらダラダラ書いてますが、結論に入りましょう。要するに、ブログをやれってことです。

ブログというと今では何だか古めかしい発信ツールのように言われがちですが、全くそんなことはありません。

ネットユーザーに占めるブログ発信者の割合は一時に比べれば遥かに減りはしたでしょう。しかしそれは、テレビが普及して人間の読書量が減りはしても本という媒体がなくならないのと同様です。テレビがたとえ豊かな表現力を持っていても本の完全上位互換機能を持っているわけではありません。同じように、ツイッター全盛のこの時代においてもツイッターがブログの代わりを担うのには限界があります。

橋下徹みたいに、他人との対話は限定的にして、基本的に言いたいことを連ツイするというようなやり方であれば、感覚としてはブログと似ているでしょう。橋下さんはメルマガもやっていて、長文による主張が得意なのでしょう。しかし多くのユーザーはこういう使い方をしていないのです。

何より重要なことは、我々の多くは、その時主流となっているツールをそのまま使っているということです。小規模BBSが流行っていれば小規模BBSを、mixiが流行ればmixiを、ツイッターが流行り出したらmixiのことは忘れて一斉にツイッターへと、潮流に乗ってその時の交流の場(SNS)を乗り換えてきたわけです。つまり、その手法が良いかどうかは関係なく、皆が使っているからと言う受動的な姿勢でメディアを選ばされているのです。しかし、ブログというのはそういう潮流の中にあってはいけないと私は思うのですよ。つまり、「テレビが面白いから本は読まない」では困るわけです。

 

ツイッターの欠点

ツイッターがスタンダードになってすでに10年以上が経過しています。ということは、今の20代くらいの若者になると、ネットでじっくり長文を書いたり読んだりする習慣などないということでしょう。これ、別に単なる懐古趣味で言っているのではありません。「これだから最近の若者は~」などと言う老害の自認もありません。むしろブログの必要性は年配者にこそ向けています。特に政治家や政治活動をする人たち、です。

私の知る例で実名を挙げるなら、維新の足立康史議員です。彼は官僚出身の博識な政治家ですが、ツイッター上でのコミュニケーションではいろいろとトラブルを起こしています。その彼のツイッターのやり方は、橋下徹の逆で「対話型」なんですよ。

この対話型ツイートの難点は、

●その人の主張が複数のスレッドに分散されていて分かりにくい

●感情面のトラブルを起こしやすい

という2点だと認識しています。

「あ~、そういやこのことについては足立さんが何か良いこと言ってたよなー」と思ってツイートを探す。アカウントとキーワードで検索……ふむふむ……ふむふむ……また橋下さんの悪口言ってるな……、いや、出てけえへん!!

これがブログであれば、基本的に言いっぱなしのひとり語りなので(少なくともその場では)喧嘩になりようがありません。時系列でキレイに並ぶ上に、記事ごとにタイトルが付けられるので、無駄な検索もほとんどなくなります。

 

ツイッターか動画か、というおかしな選択肢

最近は短い動画を直接ツイッター上で投稿する政治家さんも増えました。NHK党天・立花孝志代表が昔からやっていたようにYoutubeで動画配信する人も増えました。スペースでシモジモと交流する政治家も増えました。もちろん良いことです。

しかしですね、「詳しくはYouTubeで」みたいな使われ方をするとこちらとしては難儀なのですよ。YouTubeならまだマシな方ですが、スペースなんて2時間3時間とか当たり前にやってる人がいて、「昨夜のスペースで詳しく語ったので是非」と言われても、いやいや、知りたい情報は1分で済むんですよ、と。その1分の情報を得るために運が悪いと2時間以上無駄な話を聞かなきゃならんのですか、と。

2時間もの時間があるなら、それを音声交流メディアに全部注ぎ込むのではなく、1時間半に留めて残りの30分はテキストデータとしてまとめる作業に費やしてほしいわけです。

これ、実は相当“需給ギャップ”があると確信しています。「本を読む」というのはなかなか面倒くさいものですが、ネットで特定の調べものをしている時の作業効率が読書に比べて相当高いということは多くの方が同意できるところだと思います。なんだかんだ言ってもテキスト情報ってインプットが早いんですよ。「詳しいことはスペースで」っていろんな政治家や有識者がそれやり出したら、1日が50時間あっても足りませんよ。でもテキスト情報なら検索ですぐ見つかるし、必要に応じて前後を読めば良い。

となると、やっぱりブログなんです。

 

動のツイッター、静のブログ

ネット用語としての「アンカー」という言葉があります。簡単に言えばリンクのことです。

x.com

例えばツイッターでも、1つの投稿につき必ず固有のURLが生成されて、このようにアンカーを貼ることができます。

しかしそれでもツイッターは「動のメディア」であって、川のように常に流れていくもの。そしてアンカーを貼れたとしても、それは最大で140文字。そのツイートがスレッドの形の連ツイであればまだ良いんですが、同じテーマで形式上は完全に別投稿だと、それぞれのURLを貼る必要が出てきて、これだと非常に見にくい。

だとするなら、スレッドでも良いしスレッドにしていなくても良いので、関連するツイートをまとめてブログに転載しておけば良いのです。私も良くやりますが、これだけでもブログをやる価値はものすごく大きいのですよ。別にブログ用に文章を書く必要なんてなくて、ただコピペしてタイトル付けておくだけ。もちろん同一テーマによってまとめたブログはたった一つのURLに集約されるので、そのひとつのURLさえ貼れば、通してその人の主張・見解を見ることができるのです。

ま・じ・で、なんで政治家や政治活動家および有識者の皆さんはブログをやらないのか分かりません。ツイッターなんて100文字やそこらで1リンクだから、滅茶苦茶切り取られやすいでしょ?ブログだとかなり印象変わりますよ。

そして何より、タダなんですよ!?

 

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