SNSの「誹謗中傷」に総務省が口を出すべきではない
女子プロレスラー、木村花さんがSNSでの誹謗中傷から自殺(推定)に至った事案について、総務省が対策を取るという話。
こういう中途半端なことはやるべきではありません。
そもそも「誹謗中傷」「人格否定」「批判」これらをどう線引きしようというのでしょうか。できないんですよ、そんなこと。
何か「対策」とやらを取ったとしても、それは「やったつもり」に過ぎないか、「過剰な言論封殺」になってしまうかのどちらかです。
こういう対策は以下の2点でやるべきです。
(2)刑法が速やかに機能できるよう準備しておく。
テレビそのものがゲスいじゃん
(1)については先日NOTEにも書きましたが、そもそもゲスい内容の放送をしているのはテレビであり、放送局、演者、事務所、いずれも決して清廉潔白な存在ではないのです。このようなコンテンツに対し視聴者からどんな反応が来るかなんぞ分かり切っているのですから、その準備も容易なものです。「SNSはするな」「“死ね”と言われても死ぬな」と言っておけば良いだけのこと。
それでも不安なら、最初から大事なタレントを出演させないことでしょう。テレビに出るということ自体、特別なことなんです。いろんなものを犠牲にしなければいけないという覚悟はどうやったって必要でしょう。
刑法があるじゃん
(2)当たり前のことですが、「やってはいけないこと」は刑法に記述されています。SNSについて言えば、「プライバシーの侵害」や「名誉棄損」などは刑法に基づいて罰せられることになります。民事で損害賠償請求することもできます。
「プライバシーの侵害」についての要件は割と明確ですが、名誉棄損については、当事者にとっては不満が残るケースも多々あるでしょうが、それはSNSに限ったことではありません。
だとすれば、この2点については警察がスムーズに動けるような準備さえしておけば、総務省が口をはさむ必要はないということになります。
「誹謗中傷」は定義できるか?
問題は「誹謗中傷」です。例えばSNSで「死ね」と発言してどのような法に触れるでしょうか。可能性があるのは「傷害罪」です。意外と知られていないと思いますが、「傷害罪」の要件には「言葉の暴力」も含まれます。その言葉によって心身に異常をきたしたりすれば、「傷害罪」が成立する可能性があります。
が、実際の運用として、おそらくSNSでは判例がないでしょうし、オフラインでも言葉の暴力による傷害罪が成立する可能性があるのかは分かりません。
何より、それが「批判」なのか「誹謗中傷」なのかを客観的に線引きすることなど不可能です。この辺は、かなり主観的な部分があって、「批判」のつもりで悪口を言うヤツもいれば、客観的に「批判」に見えるものであっても言われた方にとっては「誹謗中傷」であるかもしれません。
「人格否定」という言葉がよく使われますが、ある意見に対して「なぜこんな見解が出てくるのか」を考察すると、人格に触れざるをえないケースと言うのは多々あります。その際に、人格に触れること自体が「人格否定」と思う人もいるかもしれません。
タレントは「作品」であり、批評対象になる
(1)の補足にもなりますが、そもそもタレントがテレビに出るというこは、自分自身を作品として、自分には観られる価値があると思っている人が出るわけですよ。朝ドラの主役で「自分はブス」と思ってる女優などいないのです。見た目の美醜で篩にかけられ、最後まで残った美人女優だけが朝ドラの主役を張ることができるのです。
しかし、見た目の美醜は多分に普遍的ではあるにしても、ある程度は主観的であって、視聴者によっては気に食わないということもあるでしょう。その際に「ブスのくせに」と評価するのは、道理としては間違っていないのです。概ね、ドラマや映画の主役を張れるのは美人・イケメンであるというのは常識ですから。
ところが不思議なことに「ブス」の方だけは差別的なニュアンスを帯びてしまうのですよね。「美人」「イケメン」だって差別用語なのに。
細かい話は一旦置いておきまして、タレントは「批評対象」であるということ。絵や音楽と同じなんです。公開してしまった以上、どのような「批判」も受け入れなくてはいけないのです。
当ブログだって、(実際に見ている人は1日に数人ですが)世界に公開されていますから、読者にとって内容が気に食わないものであれば、その批判をする権利があるのです。もちろん、それが的外れであれば、私も反論します。
もし私がラーメン屋を開業したら?そりゃ食べログで3点台後半付いたら嬉しいですよ。「美味い」と言われたいです。しかし、良い評価だけを選別することはできないのです。飲食店をやる限り「不味い」と言われる覚悟は要るんですよ。
まとめ
「誰が悪いか」って話をすれば、そりゃ誹謗中傷するような連中が悪いんでしょう。しかし、「あいつらが悪い!」と糾弾したところで、それは根本解決にはなりません。「断罪」と「解決法を講じる」ことは別なのです。
断罪し、糾弾することは、その時だけ溜飲を下げる効果はあっても、次の木村花さんを生み出さないための材料になるかどうかなんです。私からすれば、「その効果は少しはあるけどかなり小さい」となるのですよ。
だったら、自分の身は自分で守りましょう。それが確実な「解決法」ではないですか?というお話でした。
コメント