「志村けん【ですら】死ぬ」←なんだそれ?
私もツイッターで、
志村けん逝去の報で途端に中国に対する憎悪が湧き上がってきた。そんな自分はまだまだ小さい
なんてことを書いたんですが、これはもちろん自戒の念であり、かつバカへの皮肉でもあります。
こんなことがある前から中国(共産党)なんて好きな訳がありません。中国(共産党)は元々ろくでもない国であって、志村けんの死去でなおその嫌悪感が増すというのは、理性の足りない人なのですよ。
言うまでもないことですが、「中国(共産党)」とわざわざ書いているのは、私が嫌いなのは「中国政府および同調者、ついでにモラルがずれまくっている中国人」であって、「すべての中国人」ではありません。(私は賛同しませんでしたが)マスクを送ってくれた日本に心から感謝している中国人だっているんです。
「志村けんでも感染し、そして死ぬんだ」
ってなことを言う人がいるんですよ。
当たり前じゃないですか。志村けんは、「変なおじさん」ではあるけど、生物学的には「普通のおじいちゃん」であって、X-MENでも改造人間でも宇宙人でもありません。
当然ながら病気で死ぬんですよ。これが科学。
でも感覚と論理は別で、「志村けんがコロナで死んだ」ということが、なんだか物凄く大変なことのように映ってしまうんです。
「ここに注目しろ」と言われたことにしか注目できない。こういう人が一定割合いるということが人間の理性の限界であり、その人は情報弱者であるということに他なりません。
自然科学と文学の間にはきっちり線を引きましょう。
志村けんが亡くなったということは文化的に重大な事件であり、それについてポエムを書くのはもちろん良い。でもコロナ対策は科学的に考えなくてはいけない。
「志村けんほどの金持ちなら相当の措置がとられたはずだが…」
と最もらしいことを言う人も多いのですが、その措置って具体的に何なのでしょうか。
よその国なら、持ってる資産によって人工呼吸器が使われたり使われなかったりすることは十分に考えられます。
しかし、いまだ医療崩壊も起こさず、貧乏人でも遠慮なく病院に行ける日本において、ましてや指定感染症となっているコロナで、そんな差別があるとは思えませんし、保険適用外のコロナに有効な治療法があるなんて話も聞いたことがないのですよ。
今のコロナ蔓延対策は的外れ
では本題へ。
今報道番組を騒がせているのは、「何を自粛すべきで何ならやっていいのか」「緊急事態宣言は発動されるのか」「経済対策はどうするのか」ということですが、ここでは「自粛すべき行動」に注目します。
「あれやるなこれやるな」と言いながら、「でも日常の買い物は必要なんだからやっていいよ」と言うんです。
これについて「なんかおかしいぞ」と思いませんか?
この分け方って、それぞれの行為に「〇」か「×」を付けているだけなんですよ。つまり、
「やる(やっていい)」か「やらない(やってはいけない)」
かのどちらか。
ここからおさらいも含めて。
スーパーがおかしい!
スーパーにいつもの買い物行くとするでしょ?
今スーパーから出て行った人が使ってた買い物かごとカートを使うことになります。消毒もせず。
商品が並べられていますが、いろんな人がベタベタ触ってます。
そこから商品を選んでかごに放り込みレジに並ぶと、これまたいろんな商品をベタベタ触り続けている店員さんが、バーコードを通した商品をご丁寧にわざわざ違うかごに入れてくれて、現金で決済します。
1日当たり、スーパーマーケットに来る客の数ってどのくらいか知ってますか?
1000m²(ざっくり30m×30mくらい)規模の店舗だと7割のお店で平日でも1000人以上、25%のお店で3000人以上が利用するんです。
数百人しかいない小学校を長期閉鎖する一方で、1日1000人2000人という人、しかも不特定多数が出入りするスーパーは「今までのやり方のまま」利用して良いって、どう考えてもおかしくないですか?
回転寿司屋と牛丼屋がおかしい!
あるいは牛丼屋とか回転寿司屋に行くでしょ?
すると手洗い用の蛇口があってついでに消毒液なんかも置いてある。うむ、感心感心……ではないんです。
牛丼屋や回転寿司屋ってたいてい二重扉になっていて、手洗い蛇口はどういう訳かその間に設置されているんですよ。
自動ドアなら良いですよ。でも牛丼屋なんて思いっきり手動ドアです。
中間できれいに手を洗ったとしても、ツルツルの金属でできた持ち手のついた2つ目のドアを自分で開けないと席には着けないのです。
いや、おかしいがな!
幼稚園・保育所がおかしい!
コロナ以前から、幼稚園・保育所は何かというと手を洗わせます。もちろんそれ自体は良いことです。
ではどうやって手を洗ってますか?
まず蛇口を捻りますわな。
水を出して手を濡らして石鹸付けてゴシゴシしますわな。
きれいにゆすいだら、蛇口をギュッと締めて終わり。
うぉいっ!!
蛇口ギュッと持ったら意味ないどころか、かえって病原体拡散するだけやないの!?
ってなわけで、ここで言いたいことは、「やる」か「やらない」か、ではなく、「どのようにやるか」という話をなぜマスコミはしないんだ?ってことです。
今までの生活を全て「コロナ仕様」にする
じゃあスーパーも閉めろというのか!食料品はどこで調達すれば良いんだコノヤロー!
なぜ「今まで通りに営業する」か「営業一時停止にする」の2択しかないのでしょうか。
生活しなきゃならないんだから、食料品小売店は必要に決まってるんです。でも、やり方は改めなければいけない。
食料小売店は宅配サービスを
例えば、今自粛によって仕事のない人はいっぱいいます。つまり、一時的にではあるけど人材が余ってるんですよ。その人達に検査を受けさせて、陰性であれば、配達員になってもらうんです。注文はメールでもLINEでも良い。受注した食材を軽トラでどんどん運んでもらいましょうよ。決済はなるべく電子で。現金しか知らない年寄りのために、つり銭だけはたっぷり用意して、「もらったお金」と「つり銭」を別の財布に入れるんです。一件配送する度に配達員は手を消毒。
それでも店舗を利用したい人はいるでしょうから、店舗は店舗で営業する。ただし、入り口に監視員を常駐させて、マスクの着用と手の消毒を目の前でしてもらう。そして「店を出るまで顔には触らないように」と厳重に注意しておく。
牛丼屋の二重扉は1枚撤去
牛丼屋、回転寿司屋の二重扉は、今だけ内側を撤去して、手を洗った後に触らなくても良いようにしておく。せめて、持ち手の部分は金属丸出しではなく、フェルトやウレタンみたいなウィルスが移りにくい素材のものを巻き付ける。
保育所・幼稚園、小中学校はセンサー式蛇口を
保育所・幼稚園はもちろん、小中学校もセンサー式蛇口を急いで設置する。これは公共事業です。税金で付ければ良いんです。和牛券だのおさかな券だのそんな予算があるならまずはこっち。
娯楽イベントだってできるぞ
各種のイベントだってね、例えば映画や観劇なんかは客がジタバタ動くわけではないんだから、マスク・手袋着用を義務づけて席を1つ置きにするなど工夫すれば、十分感染予防効果は得られるはず。売り上げは満席時の半分になるけど、ゼロよりはずっとマシです。シルク・ドゥ・ソレイユだって倒産しなくて済むでしょう。
経済を止めたら若い人まで死んでしまうぞ
とにもかくにも、今考えないといけないのは「経済を止めないこと」です。
経済のためなら人の命はどうだっていいのか!?
繰り返しますが、人命の保護は経済の上にこそ成り立ちます。
我々日本人が庶民でも高度な医療サービスを格安で享受できるのは、その基盤にやはり高度な経済があるからです。
もし目下のコロナショックが一時的なものではなく、長期大恐慌の引き金になったとしら、この後の日本人はどうなるでしょうか。教育への補助金も国民の所得も減ると、大学進学率は下がります。医師のなり手が少なくなります。健康保険の負担率がぐんと上がって、金持ちしか病院に行けなくなるかもしれません。
武田邦彦先生が「65歳以上だけを自宅待機させ、そうじゃない人は今まで通りの生活をすればいい」と主張されたそうですが、「今まで通り」とまではいかずとも、基本的には私もずっとそう思ってます。
今の経済的な犠牲ってあまりにも大きすぎるんですよ。年寄りを守るためにしてはコストが全く合わないんです。
ということで、今立てるべき対策は、あらゆることについて「やるかやらないか」という評価を下していくことではなく、「今までやってきたことをコロナ仕様でやる」ということを考えなければならない段階だと思います。
「政府が1世帯にマスク2枚ずつ」というビックリ仰天のニュースを聞いたのは、これを書き始めてからでした。コロナネタばかりで恐縮ですが、次は「で、結局、マスクってどうなの?」と「日本人はなぜ死者が少ないのか」って話をしたいと思っております。
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