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【札幌2歳児虐待死事件】子供虐待の解決法を考えてみる

育児・教育

 

この事件、当ブログのいつも通りのフォーマットだと、「DQN女が作った子供がクソみたいな内縁夫に虐待される黄金パターン」で済むんですが、+αでちょこっと書きます。

まず、この母親とその彼氏については、思いつく限りえげつない刑罰を与えてしかるべきでしょう。2人を公の場に素っ裸で磔にして、「何やってもいいですよ。でも殺すのはナシ」と立札を置いておく。女児と同じように、生かさず殺さず2週間、たばこの火を押し付けられて衰弱死するのを待つ、みたいな感じですね。法律がそうなってないので、死刑にすらならないのが現実ですが。

特に男の方は筋金入りのクズのようで、「自分はやってない。虐待してたのは女」と供述しているとか。どうしようもないヤツです。

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児童相談所は機能しているのか?

児童相談所の強制立ち入り検査権「臨検」

お恥ずかしながら、私はこの事件まで児童相談所の強制立ち入り検査権についてよく知らなかったんですよ。何となくそういうものがあるのは知ってたんですが、どうもこれまでの同様の事件を見る限りまともに運用されてなかったようで。

で、今般の事件では警察が児相に強制立ち入り検査である「臨検」を提案していたけど、児相はそれを断っていたんだとか。その言い訳が、
「夜間だったので厳しいと答えただけで、断ってはいない」
とのことで、「なんじゃそりゃ!」ですね。子供の命が掛かってるのに、昼間も夜中もなかろうがよ。

児相は悪い意味でのお役所仕事?

テレビのコメンテーターの中には、「児相の人も大変」と擁護する向きもありますが、私はそれではダメじゃないかと思うんですよ。民間企業じゃないから、「とりあえず仕事やってます」アピールで済まされるケースが結構あるんじゃないの?って疑ってしまうんですよね。結局は職員の「良心」や「信念」に委ねるしかないわけですが、もし給料が安いなら上げてやれば良いじゃないですか。その分、ちゃんと仕事はしてもらいましょう。

公共機関の「その一手」が子供の生死を分ける

栗原心愛ちゃん虐待死事件の時の学校もそうでしたが、「その一手で子供が死ぬ」ってことがあるわけで、児童や学校の対応の仕方次第では刑事罰を問うても(適用できないなら法律を作ってでも)良いのではないかと思うんですよ。なんせ子供にとっては、警察を除くと学校と児相しか拠り所はないわけですからね。

解決法はやはり教育

さて、「親にも同じことをして殺してしまえ!」と言うのは、気持ちは分かりますが、現実的ではありません。何より、我々大人の日本人がやるべきことは感情をぶつけることではなく、どうやったら同じ事件を減らすことができるかを考えることです。


となると現実的な方法としては、やはり教育という手段になるかと思います。この母親だって20歳やそこらで母親になろうと思ってなかったでしょう、多分。でも、人間はオスメスともに中学生にもなれば、頭は弱いままなのに子供を作る能力だけは勝手に身についてしまいます。そして負担がかかるのは一方的にメスの方です。こればっかりは神の作りたもうた“ことわり”であって、目下のところどうすることもできません。

上っ面の性教育ではなく、ドロドロとした社会も見せよう

単に生物学としてだけの性教育、あるいは社会学としての性教育を教えるにしても上っ面のお行儀の良いやり方ではなく、無計画に作られた子供の末路や、子育て・虐待の実態を中高生のうちから教えるんですよ。もちろんネガティブなことだけではなく、ポジティブな側面からも子を設けるとはどういうことかを教えます。

「人を頼るのが苦手」なんてただの言い訳、ではあるが…

この母親は「人を頼るのが苦手だった」らしいですが、反吐が出ますね。人を頼れないから子を虐待したのか、と。しかしながら、実際問題、人に上手く頼れる人は、育児ノイローゼに陥ったり、虐待を犯したりする可能性が低いのも事実だとも思います。「このクズをどうして裁いてくれようか」の前に「人間がクズにならないようにするにはどうするか」を考えた場合、何かしらの形で(例えば顔の見えないネットでもいいから、公営の)育児のためのコミュニティーみたいなのがあっても良いのかもしれないなどと思うわけですよ。元々、たまごクラブだひよこクラブだと、情報に頼り、横のつながりを希求するのが女性の特性でもありますからね。いじめ対策同様、「育児で困ったら頼る先がある」と言うことを若いうちから教えとけば良いんですよ。


無責任な父親をどうするか

それと、これは少し過激な発想だと自覚した上で書きますが、シングルマザーが出産する際、子のDNAを採取しておいていざとなったら父親をすぐさま特定できるようにしておくのも手だと思うんですよね。種付けの済んだオスがその後一切関知しないなんて、よく考えたらあまりに原始的過ぎるし、その負担を女性側だけが追うなんてことはあまりに差別的だと私は思うんですよ。もちろん、その男性と交際していた、あるいは性交したという事実を客観的に認定しないと人権侵害になりますから、実際の運用には結構大きな壁は出てくるでしょうが。

母親だってその時は「この子は私が育てる。父親なんて要らない」などと言うかもしれませんが、それはその時のテンション。マタニティーハイが解除され、育児そのものや経済的問題に晒された時にどう考えるかはその時は分からないものです。

「子は親の“所有物”ではない」という考えに基づくなら、こういう発想があっても良さそうなんですがね。

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