都立高校体罰事件、足りなかったのは双方の立場の認識

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ざざーっと書きます。

都立高校体罰事件

ピアスを巡っての生活指導から教師と生徒が口論し、その果てに教師が体罰に及んだ。その様子がスマホで動画撮影されており、世間が知ることになった。
しかし、教師が体罰に及ぶその前には、生徒が極めて侮蔑的な言葉で教師を挑発し、「ツイッターで拡散してやる」というストレートな表現も。

……という話。

私の意見としては、『ワイドナショー』で交わされた議論の中に概ね含まれているんですが、ポイントはこれが高校であるということです。

高校は任意で利用する教育機関である

「自分は抑圧されている」「大人に支配されている」という尾崎豊的被害者意識は、100歩譲っても許されるのは中学まででしょう。

なんとなく「尾崎豊的」と書きましたが、尾崎豊についてはそれほど知りません。若い頃はとりあえずアルバムごとカセットテープ(笑)にダビング(笑)して流し聴きしてた、という程度です。

中学校までは「義務教育」です。義務教育とは本来、「子供に教育を受けさせなければいけない」という大人側に課せられた義務ですが、それは実質的に子供側にも「教育を受ける義務がある」ということになります。「教育を受けない」という選択肢は「不登校」くらいしかありませんからね。

その社会の仕組みにおいて「俺たちは不自由だ」と言うのも、まあ分からんではありませんが、高校と言えば義務教育を終え、「働く(社会人になる)」または「学校に行く」という選択肢から、自分の自由意志によって教育を受けることを選んだ結果利用している教育機関です。少なくとも建前上はね。

高校と生徒を結ぶものは「契約」

だとするなら、教育サービスを施す「業者」である学校と、教育サービスを受ける側の「生徒」とは、入学時点で契約を交わしたのと同じ。生徒側は、支払った授業料分(補助金を含めて)の教育サービスを受ける権利を行使できます。

学校側も教育を施す義務が生じるのと同時に、教育消費者たる生徒に対する教育を、他の生徒が邪魔するようなことがあったら、その邪魔する生徒を何らかの形で罰したり排除したりする権利を有します。この場合の「罰する」は体罰を含みません。

中学までと違って、学力が一定基準に及ばない生徒は留年させられるし、著しく風紀を乱す生徒は停学や退学にすることもできるわけです。つまり、ルールと、そのルールを破った場合の罰則規定をちゃんと定めて、システマティックに運用すれば、そもそも体罰なんて必要ないってことなんですよね。

さて、この体罰を行った教師はどういう先生だったのでしょうか。それは普段の様子を知らないので何とも言えません。生徒のことを親身になって考えるあまりに、保身のことなど頭にもよぎらず体罰に及んだ可能性もあります。だとしたら、賢くはないにしても、「情熱溢れる良い先生」だった可能性もあるわけですね。一方で、ただのキレやすいおっさんだったのかもしれない。

どちらも可能性があるので、断罪はできません。

「拡散するぞ」=「拡散されるぞ」

生徒側については……ここまで大人を侮辱して、全国的な騒ぎにしてまで、ピアスって空けたいものなのかね…と。しかも「ツイッターで拡散してやる」って、そんなことしたら自分の個人情報まで全国に公開されることになるのは明らかだし、実際そうなっちゃってるし、賢くないよなーなどと思います。

「どんなことがあっても体罰否定」論

さて、タレントの武井壮はこの事件について以下のように言っています。

武井壮、教師体罰動画に改めて主張「生徒の言葉使いは何ひとつ擁護に値しない…でも駄目なんだよ」 : スポーツ報知

概ね賛成なのですが、あえて2つの相反する見解を並べてみます。

「体罰が思いもよらない事故を招くリスクがあるというのは極端な考え方だ。感受性の高い時期である高校生は、何気ない一言でも自殺に及ぶことだってある」

「体罰は核兵器と同様、“使ってはいけない最終兵器”であり、使った時点でおしまい。教師は既定の手続きに基づき、冷静に対応すべきだ」

皆さんも考えてみてください。

だったら中学までなら体罰はいいの?

これは完全に個人的な意見ですが、私は自分の子供を学校に入れる際、体罰OKと体罰NGの学校を選べるなら前者に入学させます。なぜなら、自分自身子供には体罰を使いますから。

特に交通ルールみたいな、子供の生命に直結する話においては、「言って聞かせれば分かる」ってな眠たいことは言ってられません。1度目は言い聞かせ、2度目は怒鳴り、「次同じことをやったら殴るぞ」と予告した上で、3度目があったら予告通り殴る。「車に轢かれたら痛みを感じる間もなく死んでしまうぞ!」と教える。

これは別に「悪いことをしたら即殴ってください」ということではありません。どういう教育方法が適正かは、子供の個性によっても変わってきます。大事なことは「体罰という選択肢がある」状態であって、小学校6年間で自分も体罰を受けたことがないし、体罰が行われる光景を見たこともない、で済んだらそれはそれで良いのです。

そしてうちの子の場合、たとえ体罰OKの学校に入れたとしても、まず体罰を受けるようなことはないと思います。

教師が子供の個性をちゃんと見極められるかどうかは分からないし、その体罰が公正なものであるという保証もない

そんなことは当たり前で、受け入れるべきリスクでしょう。そもそも先述した通り、子供に悪影響を残すのは体罰に限ったことではありません。

必要なのは「分際教育」

「分際教育」の「分際」とは、「のび太のくせに」的な軽蔑のニュアンスではなく、己の立場を認知するというだけの意味です。

義務教育を「中学卒業まで」と定めるのであれば、少なくとも中学卒業するまでに、もう少し具体的な社会の仕組みを教えるべきだと思うんですわ。世の中にはどんな産業や職業があるのかから始まり、高校入学を控えて、「何のために勉強するのか」「なぜ教育を受けることができるのか」を、たとえ上っ面の綺麗ごとであっても教えておけば、社会人になる選択肢もある中、高校生にもなって「ツッパリ」というアナーキズムに走ることや、校則に反してまでピアスを開けたがる心理がいかにダサいことであるかわかるんじゃないでしょうかね。

この体罰事件では、教師・生徒双方が「己の分際」を理解していなかった、あるいは分かってはいても分際を超える行為を行ったということだと思います。もっとも、それが必ずしも悪いとも言い切れないところもあるんですがね。

この事件を含め、己の分際をよく分かってないことに起因する問題って、世の中には物凄く多いと思いますよ。

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