例のラブラドールレトリーバー虐待動画について。
語るのも馬鹿らしいし、思い出すのも気分が悪いし、別にこれといった視点で語ることもないのですが、犬のブログをやってる以上一応記録には残しておこうと。
犬を叱るのは現行犯で
これはどの教本やサイトでも多分共通して言ってることでしょう。犬を叱る際は、「その時」が基本であって、間を置いて叱っても犬は理解できません。ただし、例外もありまして、ゴミ漁りなどをした際は現行犯ではなくても、ゴミ箱を近づけて叱ると理解するようになります。
……なんて話はどうでもいいですね。
100歳の老犬にしつけなど意味がない
ラブラドールと言えば短命な犬種でして、16歳と言えば人間で言えば100歳超えてるくらいの長寿です。皮肉なことに、こんな飼い主の下で長生きしてしまうんですね。
言うまでもなく、100歳の年寄りに「しつけ」もクソもありません。どうやって穏やかに人生を終えてもらうかだけに注力して生活させてあげなければいけない存在です。
介護ノイローゼか?だとしてもだ
うちにはもうちょい年上の犬がいますが、毎日思い通りにならないことばかりです。イライラもします。子犬のおもらしは可愛いと思えても、老犬の失禁は情けないものですよ。この犯人の女は、ひょっとしたら老いによる様々な粗相にイライラして逆切れしていたのかもしれません。
5歳だったら「しつけ」になるの?
そんな訳がありません。先述の通り、犬のしつけは現行犯が原則を犯しているだけではなく、あんだけしっかりテイクバックを作っての蹴りをかますのは、若い犬でもケガでは済まないケースも考えられます。つまりは、ただの虐待です。
んで、ここまでは皆が言ってた話。
この飼い主は叩かれ過ぎ?
本題から少し外れて、『ワイドナショー』での松本が、「SNSで晒されてここまで皆が“正義”を振りかざして叩く必要があるものか」という趣旨の発言をしたことについて。
松ちゃんは同趣旨の発言を別の話題でもよくしていて、その際は概ね私も賛同できるんです。ところが今回は違います。この事件でバズっているのは、正義の振りかざしというより、もっと感覚的な叫びというべきでしょう。誰もあんな光景を見たくないんですよ。
ポイントは“情状酌量の余地”
松ちゃんの発言には、本人の意志がどうかは分かりませんが、2つの意図を見出せます。ひとつは今言った「加熱する感情的批判の冷却」、もう一つが「犯人に対する情状酌量」です。
私の認識では、一つ目についてはすでに書いた通り、もう一つの「情状酌量」についてもその余地はありません。「あれだけ思い切り蹴る理由もあるかもしれない」と言うことは全くないのです。「盗人にも三分の理」と言いますが、この盗人には一分も認めるべき理はありません。ついでに言うと「更生の余地」もありそうにないことは、インタビューの内容からも分かります。
早い話、この犯人は死刑にするか何らかの形で社会から隔離するのがベストなんですよ。もっとも、現行法でそこまではできませんが。
バカッターにはまだ余地がある
例えば、最近再燃しているバカッター(バイトテロ)ですが、個人的には更生の余地も情状酌量の余地も私は認めるんですよ。私だってあの年齢の時には、あそこまでではないにしろ、バカやってましたから。そして齢を追ってその人格や判断力が同じかと言うと、やはり違うんです。熱ーいお灸はすえないといけないけど、どこかで許すポイントは設定しておくべきなんです。
ところが、今般の老犬虐待事件をはじめ、人間の幼児や老人の虐待など、物言えぬ弱者に対する暴虐については一切赦免の余地を感じ得ないのですよ。あ、家族の介護でノイローゼに、みたいなのは除きますよ。
社会からいなくなるべき人間というのはいる
これ、逆方向から考えると、何の躊躇もなく叩きたい対象があった場合、「そいつが死んでほしいほど憎いか」と考えると、ちょうどいい冷却になるかもしれません。
少なくとも私にとって、心愛ちゃん虐待死事件同様、この事件のババアも死んだ方が社会のためではないかと思うのですよ。これ、別に感情的になってるんじゃなくて、冷静に方法論として、です。
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