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【コロナ】河野大臣の「ワクチンデマ潰し」と西村大臣騒動の象徴するもの。

医療・健康

久しぶりの(レギュラー)投稿ですが、その久しぶりの投稿もコロナです。

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河野大臣の「デマ指摘」は矛盾

コロナワクチンに関してはとにかくいろんな情報が錯綜していて何を信じていいやら分かりませんね。

すでに新鮮味のない話題で恐縮ですが……そういう情報の荒波の中、河野大臣は、ワクチンを怖がらせるような「デマ」に対して警鐘を鳴らしています。※ここで、私が「デマ」とカギカッコを付けている点に留意してください。

河野大臣は「ワクチンデマを流す目的」として以下の4つを挙げています。

1・ワクチンを批判することで得られる対価

2・科学よりも自分の信奉するイデオロギーに基づいた主張

3・過去に誤ったことを発言したために抜け出せなくなっている

4・自分に注目を集めたいということが大きい」

 

4.はここでは関係がありませんが、1.~3.を見てください。よ~く読んでください。

河野さん、なぜワクチンが開発される前のコロナの恐怖を煽る医師会やマスコミに同じことを言わなかったのですか?

1・ワクチンを批判することで得られる対価

ワクチンを推進することで、あるいはコロナの恐怖を煽ることで対価を得る組織がありますね?そこにはなぜ言及しないのですか?

2・科学よりも自分の信奉するイデオロギーに基づいた主張

政府・医師会・マスコミは、「科学に基づいて」いたのですか?

Q.『ワクチンを接種されたネズミが全て2年以内に死んでいる』

A.実験用のネズミの寿命がそもそも2年程度ですから、ワクチンを接種した人間が100年で全て死んだといっているのに等しいことになります。

それ、「コロナ死亡者」の統計について同じことを言わないのはなぜでしょうか?
 

3・過去に誤ったことを発言したために抜け出せなくなっている

過去の緊急事態宣言の総括すらしない政府の人間がそれ言いますか?
 
 
河野さんについては、その合理主義的な考え方と肝の据わり方を評価して、「次期総理候補」に名前が挙がるずっと前から「この人こそ総理大臣になるべき」と推しているだけに、このような言動は残念でなりません。

「コロナの怖さ」と「ワクチンの怖さ」を違う物差しで測るな

この河野大臣の態度の欺瞞は、「新型コロナ感染症」と「コロナワクチン」の怖さを、都合よく違う物差しで測っているところに問題があるわけです。

「コロナワクチン接種後の死亡」について「ワクチン接種と死亡の因果関係は認められない」という見解は聞きますが、じゃあ「認められたケース」はどれほどあるのでしょうか。少なくとも日本ではまだ1件もないはずです。

良いんですよ、それは別に。

ただ、それを言うのであれば、同様に「コロナ死亡者」についても言わなければいけないのです。

所謂「コロナ死亡者」には、「コロナが原因で亡くなった人」以外の人がかなりの割合で含まれます。先日投稿した記事にある、経営コンサルタントの算出した数字からすると、9割程度はコロナとは無関係の死亡者となります。

ここに医師会や厚労省は全くと言って良いほど触れていません。

デタラメな「コロナ怖い」論は放置しておきながら、「ワクチン怖い」論に対しては強く反駁するとなれば、そこに何かしらの大きな闇の力の作用を疑うのは当然の話であり、「デマ」だの「陰謀」だというのは的外れとしか言いようがありません。

 

私は本来、mRNAワクチンは別に怖いものではないという立場です。ところが、今のように医師や河野大臣がやたらワクチン怖い派の主張を叩く光景は、逆に何かあるのでは?と思わざるを得ません。

何より、河野大臣はこれほどお話をしながら、「未成年者にワクチンを接種する意味」を一切説明しないまま、推進しているのは言語道断と言えるでしょう。

 

西村大臣の飲食店イジメが象徴するもの

「休業要請に応じない飲食店には金融機関を通じて圧力をかける」という西村大臣のとんでもないやり口は予想通り、滅茶苦茶に叩かれました。

発案や段取りまで西村大臣がやったと思い込むほど私はおぼこくもありませんが、最大の責任者であることには違いありません。

さて、このことのどこが問題であるかというと、これが「日本が法治国家であることの否定」になってしまうという点なのですよ。

 

今般のコロナ禍の最大の問題は、【科学】と【規律】をあまりに軽視したというところです。

科学の面については当ブログで1年半以上書き続けていますので割愛します。

西村発言が象徴するのは規律の方です。

法律も作らず「要請」としておきながら、それに応じなければ「金融機関に圧力」というのはヤクザのやり方です。あるいは独裁のやり方です。そうすることが必要なら法律を作れば良いだけの話なのですよ。「【私が】そう判断して執行した」のと「【法律に基づいて】執行した」のとでは雲泥の差です。

1年半を振り返ってみると、コロナ対策と言われるものは常に場当たり的で「空気に依存」し続けました。

例えば、2回目の緊急事態宣言においては、その解除基準を「東京都の1日当たりの新規感染者500人」に設定されていたはずなのですが、いざ500人を切ったら「いや、まだ怖い」と言って反故にしてしまいました。

じゃあ「500人って言ったのは何だったの?」と。何も考えてなかったのです。その時の為政者の恣意的な判断であり、規律もクソもないのです。

 

西村大臣の騒動も、法治主義を放棄し空気に甘えた結果です。

「だって皆コロナ怖いでしょ?要請に応じない飲食店なんて悪者でしょ?こうすることが今の常識であり倫理的判断でしょ?」

ってなもんです。

実際、基本理念においてはこのやり方で高齢者を中心とした情弱を騙し続けることに成功してきました。「コロナに対しては保守的であることが支持率維持に繋がる」という法則を学習しました。

しかし、そんな状態が続くはずもないのです。

もちろん政府にも同情すべきところはあります。高齢者とは言え、情弱とは言え、彼らは有権者であり、世論形成の重要な層であるわけです。彼らを無視して支持率を下げてしまうと、正しいことであっても実行できなくなるのです。※支持率が十分高ければ今の政権が正しいことをしたかどうかは甚だ怪しいところですが、そこは問いません。

と言ってそのやり方を続けてしまうと今般のような問題になる。

 

それを考えると、返す返すも小池百合子は見事です。

何にも仕事してないのに仕事している感だけは凄い。情弱の空気を利用しながら、そのカウンターパンチは当たらないところにいる。天才ですね。

 

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