首脳が産休を取るのってどう?
議員の出産、あるいは出産するかもしれないのに議員になることについての考察です。
この問題は「理念」と「運用」に分けることができますが、ここでは主として前者について考察します。
まず単純な話として、妊娠・出産する女性が議員になるとどういう問題が生じるかというと、「一定の活動不能期間が生じる」ということがあるわけですね。そして、やはり単純な解決法としては「その分の休みを認めれば良いでしょ」となるわけです。
一般的な職業であれば迷わずそうすべきです。その際に生じる企業の損害は公的に補償してあげれば良い。しかし議員となると話はまるで変ってきます。
以前にニュージーランドの首相が産休を取った際に当ブログでも触れましたが、議員になるってことは国家首脳である総理大臣になるかもしれないってことであり、総理大臣が「ちょっと子供産むんで」と言って休まれると困るわけですね。その時戦争が起きてたらどうします?あるいは逆に、敵対的な国家がその機に乗じて、なんてことにもなりかねません。
首相と言うのは極端、なんてことはありませんよ。確率は非現実的なほど低くても、今は「理念」の話をしているのですから。確率の問題を言い始めたら、そもそも国会議員で言えば衆参合わせて700人以上もいるわけで、その中が何人かが妊娠・出産のために休暇を取ったり辞めたりしたところで、全体としてはどうってことないのです。
ここで左側からは「ポンポン痛いっつって辞めた首相もいたではないか!」と安倍元首相なんかを引き合いに出してくるんでしょうが、自分の意思によるものとそうでないもの、予測しやすい事象としづらい事象、妊娠・出産と怪我・病気を同列に考えるべきかどうかと言えば、私は「否」だと思います。「妊娠はコントロールしづらい」という意見もありますが、「妊娠する」コントロールは難しくても「妊娠しない」コントロールはほぼ確実にできるはずですよね。
なぜ女性ばかりが差別されるのか?
理念とは言え、「妊娠・出産する女性は議員になるべきではない」と言うと、極めて差別”的”に映ります。と言うか、差別でしょう。しかしこの「差別」は人間社会が生み出したものではなく、悪趣味な神様が女性にしか出産する能力を与えなかったことに起因するもので、今のところはどうしようもありません。私の予想では30年後は事情が変わってる可能性もあると思っていますが、現在はまだ無理です。
しかししかし。
国会議員で言うと、「700人以上もいる」はつまり、1億3000万人の人口を擁する日本において「たった700人そこそこしかいない」しかいないわけです。日本人の中で国会議員は約0.0005%、18万人に1人もいないのです。もちろん「俺、明日から国会議員やるわ」と言ってなれるものでもありません。日本人のほとんどは国会議員ではないし、なりたくてもなれないのです。
そもそも国会議員はいろんな意味で「選ばれた集団」であり、いろんな差別あるいは区別の篩をかけられて残った、実にイレギュラーな存在であるわけですよ。つまり、その700人だけを見ると女性が差別されているように見えますが、国民全体を見ると男女問わず差別されているとも言えるわけです。
このような特別な存在が男女平等のサンプルとして、あるいは象徴として見られるべきかと言うと、私はそうは思わないわけです。
一方で一般の国家公務員はサンプルであり象徴であるべきだと思います。少なくともトヨタの社員よりは国家公務員の方が多いわけでして。クールビズにしろ残業時間にしろ給料にしろ、日本の企業の手本となり、従事者は全ての被雇用者のサンプル(基準)でなければいけません。その点において、政府機関が割とギリギリまで既婚女性の旧姓使用と認めなかったという事実はもっと糾弾されるべきだと思います。
「産休」期間はどのくらいが適正か
例えば出産を挟む1か月を出産休暇として認めたとして、それがすべての女性にとって相応の休暇期間となるかどうかが問題です。
例えば私のワイフの場合だと、妊娠したら仕事を辞めようと思って妊活をしていましたが、就職中は連続で流産してそもそも妊娠ができなかったのです。そこで仕事を辞めたらすぐ妊娠、そのまま無事出産に至りました。どうやら仕事が大きなストレスになっていたのではないかと思われます。
女性の体は複雑で不可解で神秘的です。また、妊娠・出産と言っても人それぞれ。性格・体質・年齢によってケアすべきポイントや度合いもかなり変わってくるでしょう。ワイフのようなパターンだと産休や育休とは別に「妊活休暇」まで必要になってきます。
また、妊娠すると所謂マタニティーブルーに陥ったり、精神面での産後の肥立ちが悪いと産後うつ、さらにそれが慢性化するケースもあります。
さてさて、一体どうやって「標準」を決めましょうか?
……てなことを考えると、「運用」の問題も「セックスとしての女性の特性」の話になてくるんですよね。つまり、どのようなルールを設けても「あんたはそれでいいかもしれないけどさ」と言う意見は必ず出てきます。公平と言うのはあり得なくて、どうやっても蓋然的なものに過ぎないわけです。
そもそも議員という職業は
ここでは前提として「国会議員」を想定していますが、そもそも議員とは18万人に1人しかなれない職業であり、それは言い換えると「18万人分を代表する1人」と言う特殊な立場です。つまり、労働力を金銭に替たり、企業を経営したりする一般的な「職業」とはかなり概念の違うものです。
その立場になれる人間は、学力・思想・人格などで選別されることになります。
その選別の理由に「妊娠・出産」が加わると、女性からすると納得できないかもしれません。が、任期である4年あるいは6年の間に妊活をしなければならないくらい切迫している人は、そもそも18万人の代表という立場にならなければいけない理由があるのでしょうか。
議員の職務を全うしてから妊活に励むか、出産を終えてから議員になっても良いわけですよね。
これは優劣の問題ではなく、「政治家なんてやりたいヤツにやらせときゃいいじゃん」と思うのですよ。
確かに妊娠出産という事業は女性にしかできいないことであり、政界進出においてそれは足枷であり、不平等です。しかしながら、男性だって出馬や議員の仕事は決して簡単ではないし、女性の出産適齢期にあたる20~30代は男女を問わず国会議員の数は非常に少ないでしょう。
出産する女性の議員の存在は「多様性の担保」になるか
かつて選挙権は男性にしか認められない時代がありました。それでもそこには一応の民主主義はありました。すなわち、家長である成人男性は、家族の幸福を願うのが当たり前であり、自分以外の女子供の代弁者であったわけです。
と言っても、これはあくまで名目上の話であって、そもそも男性全体が女性全体を見下していて、ジェンダー上の社会的立場を不当に固定していたかもしれません。それを考えたら、確かに今の方がより民主主義の度合いが大きいのでしょう。
しかしながら、現行の民主主義のメソッドは、いずれにせよ議員という国民の代表者を選ぶというものに変わりなく、我々はその代表者を選出することについてより慎重に、より賢明でなければならんのですよ。
そこを踏まえると「議員の中に妊婦さんがいるから多様性が担保される」と言うのもちょっとおかしな話で、だったら700人の中には「新世界で昼間からワンカップ片手にバーチャル阪神の監督になって与太話してる歯抜けのおっさん」もいないといけないことになるし、そもそも被選挙権のない子供の幸せは政治では実現されないことになります。もちろんそうであってはいけないわけで、1人が代表を務める18万人の国民には、妊婦さんも、子供も、歯抜けのおっさんも含まれていて、代表者はその全員の代弁者でなければいけないのです。
まとめ
というわけで、雑なまとめ。
議員と言う極めて特殊な職業に男女平等の象徴を求めるより、一般の職業における女性差別に目を向ける方が賢い、と私は思います。
これは別に「女性議員を増やすべきではない」などと言っている訳ではありません。そこは、【それはそれとして】じっくり考察すべき問題なのです。
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